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について

積みあがった絵と、
レリーフたち。

こちらに紹介するのは私の父 大野裕と母 大野弘子が創ったものです。
父も母もプロの作家ではありません。他人様に評価いただいて、生業にするほどのものではないのです。けれど、細い筆で息を止めて線を描き、お気に入りの国文学辞書入りのワープロで文章を書く父の姿と、首をひねっては木を彫り、木くずを靴下にくっつけて歩いている母の様子が好きです。毎日の見慣れた姿の積み重ねは、集めたらこんなになっていました。長い年月つづいた生活の結果なので数だけはあるのです。積みあがった絵や、レリーフを改めて眺めてみたら、ちょっと欲が出ました。量だけでも皆さんにご笑覧いただこうと、このホームページの作成に至りました。

謝 辞

大野裕 謝辞

川柳誌「緑」について
ここにまとめました大野裕のイラストと文章はいずれも雑誌「緑」に掲載頂いたものです。イラストは206号(1981年)から670号(2018年7月最終号)の表紙および裏表紙として描いたものです。文章は、500号(2005年)から670号(2018年)にわたって、掲載頂いたものです。
緑(川柳緑:川柳みどり会 出版)は季語等の規則を外れて、自由に人のあり様を詠う定型詩としての「川柳」のための雑誌です。おかしみに限らず、人の姿、暮らしを五七五の韻律で表現する場として、長年刊行されてきました。195号(1980年)から主催者として尽力された渡辺和尾さんとのご縁により、父大野裕は40余年にわたり毎号の表紙絵を描きました。渡辺和尾さんはじめ、編集にたずさわる皆様方の、おおらかな心持のおかげで、自由に、好きなように描いてまいりました。娘の私から見ても、少々締め切りに追われることも含めて楽しそうに描いていたと思います。500号から同誌に掲載された随筆「画惚眸美術展回遊記(えぼけまなこびじゅつてん みてあるき)」も同様、テーマも内容も自由に、時々、訪ねた美術展に連なる思いを、何に縛られることなく書いたものです。自由な創作の場である「緑」の表紙と紙面に遊んだ幸せをあらためて思います。
長年にわたり緑の主催をされた渡辺和尾さん、原画、原稿の受け渡しから、校正のお世話までいただいた吉田三千子さん、堀恭子さん他、支えてくださった皆様方に深く御礼申し上げます。

大野弘子 謝辞

前田なつほ先生のこと
ご近所の「木彫り教室の先生」でした。が、ご自宅でのお稽古にとどまらず、多くの文化教室でのお稽古を抱え、デパート催事場での展示即売から、作品展、果ては教室のメンバーでの旅行の企画と手配までなさいました。広い人脈をフルに活かしたプロデューサでした。あちこち飛び回ってイベントを仕切る前田先生はご自身で作品を作る時間はとれるはずもなく。そんな前田先生と、職人としての母のコンビはうまく回っていたように思います。娘の私から見ると、ちょっと母が損してる?と思うほどに、母の彫ったものは、お稽古の見本として、展示の目玉として、即売会の売れ筋小物として前田先生の活動を支えていたと思います。彫るスピードも、仕上げの丁寧さも、目新しいデザインを取り込むのも、母は良い相棒であったようです。
前田先生は、朗らかで、エネルギッシュで、世話好きで。家族ぐるみのお付き合いの中で、私も随分お世話になりました。ここでこんな風に作品を紹介できるのも、前田先生あってのことです。

藤本陽二先生のこと
ここで紹介させていただいたもののうち、丸彫りのものはいずれも藤本陽二先生のお手本を模刻したものです。時には、先生のオリジナルとはちょっと変えていたりもします。けれど、基本的には先生の素直で柔らかい、穏やかな作品に近づこうと彫ったものです。
前田先生の御父上である藤本陽二先生(母も私も大先生とお呼びしていました)のところへお稽古に行くようになったのは、1980年を過ぎたころ、木彫りを始めて10年ぐらいでしょうか。名古屋から、隔週のペースで大阪の園田まで、彫りかけの大きな荷物を抱えて新幹線で通うようになりました。母に言わせると、私が大阪の大学へ進学しようと決めたか決めないかあたりで、先回りして、大阪を見てやろうと思ったとか。その割には、先生の所へ行くだけで、私の下宿に現れたり、私を誘ってどこかへ行くというようなことはあまりなかったと記憶しています。日帰りでお稽古に来るのですから、娘の相手をする暇なぞあればこそ だったのでしょう。私にとってもそれは好都合ではありました。
大先生がお稽古をおやめになるまで10年ほど続いたでしょうか。そうして丸1日かけてお稽古に通うことで、家の中だけで過ごす日常から逃れて、人の往来を、世のうごめく様を見ることは、母にとっては木から姿を彫り出しながら、娘もいなくなって舅と姑との日々の中に埋没しそうな自分の輪郭を彫なおし、作っていく作業だったのかもしれません。

母の作品を集めるにあたって、前田先生のご子息である前田章さん、前田先生と木彫りのご縁の武広和子さん、井端悦子さんにご尽力いただきました。ありがとうございました。

作者紹介

大野 裕

YUTAKA ONO

絵画 随筆

昭和7年(1932年)5月生まれ。
名古屋で生まれ育ち、暮らしています。
長年高校教師を務め、縁あって大学で教鞭をとるようになりました。専門は近代の国文学。高校教師であった時の教え子とのつながりは、人生の楽しみをずいぶんと増やしたようです。ここで紹介する作品も、高校教師だったころの教え子の一人とのご縁から始まりました。

大野 弘子

HIROKO ONO

日常 彫刻

昭和9年(1934年)1月生まれ。
名古屋で生まれ育ち、暮らしています。
私の記憶では、昭和45年(1970年)か46年(1971年)ごろから、木彫りの教室へ通い始めました。通い始めたきっかけを、私は知らないのです。ご近所の、今で言う「ママ友」と一緒に通い始めて、なんだか性に合ったようです。80過ぎまで50年ほどの間に、ずいぶんと沢山のものを彫りました。私の生活のそこ此処に、母の彫ったものがあります。