川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

静謐の至福に誘う聖母子

 三月二十九日(金)の朝、『ラファエロ」展を観るため、私は開館十時の十分前頃に、上野の国立西洋美術館へ行った。門前には既に長く人の列が出来ており、私は列の後に並んで開館を待った。すると私の前に立っていた青年が、声をかけてきて、ラファエロの聖母像をどうしても観たくて、休暇を取って石川県から出て来たと語った。流石ラファエロであり、流石東京だと、朝の目覚めが爽やかになる。

 ただし、本展におけるラファエロの作品は、出展作品全六十一点中、十七点の油彩画と五点の素描画からなる二十二点だった(注1)。無論、高が二十二点などと言ってはいけなかろう。名にし負うラファエロの作品ということを思えば、これだけの作品に、日本で一度に出会うなどということは、贅沢の極みと感謝しなければならぬというものだ。

 ルネッサンスを代表するイタリアの画家と言えば、私には、その活動の年代順に、ボッティチェルリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロということになるのだが、その中で、ラファエロは、他の三人のように六十の老年にまで至ることなく三十七歳で夭折しており、その若死にが、他の三人のような、堂々たる大芸術家としての貫禄を、あまり私に感じさせないできており、それが一方で、彼の作品が、他の三人にはない、初々しい、ある哀切の瑞々しさを、私に感じさせてきた。

 そういう私が、今展で冒頭に出会ったラファェロ作品は、青年ラファエロの「自画像」だった。それは、黒い頭巾風の帽子に黒い襟なしの衣装を身に纏い、首筋にまで黒っぽい髪を下げた青年が、暗緑色の壁を背に、顔を斜めにこちらへ向け、こちらを見ている絵だ。それは記憶にある作品で、ウフィツィ美術館で既に私は逢っているように思うが、この「自画像」の特徴、魅力は、こちらを見る青年の眼差しが、若者らしい意志や力を何も見せない、無表情さを保っている点にあると思う。襟元の髪と首、黒い上着の上体が、色彩的に訴える何ものも持たぬ描かれ方をしているのも、青年の力無い弱さを助けている。つまり無力無表情に、表出する自己を見出しているところに、ラファエロの、自己の存在に対する根強いコンプレックス、拘りを感じ、そういう「自画像」の作者だからこそ発信できたであろう、ラファエロ作品の深い憂色というものを、改めてしみじみと思い遣ることが出来たのである。

 この「自画像」の後、ラファエロの父ジョヴァンニ・サンティ(注2)やベルジーノらの、一世代前の画家たちの作品が四点ほど並び、それに続いて、最も初期の、ラファエロー七歳から十八歳にかけて描かれた宗教画四点ーーどれも三、四十センチほどの小ささであるーーを見ることになった。

 その中の二点、右にやや面伏せになった「聖母マリア」と「天使(若い娘である)」の眼差しは、焦点定かに何かを注視するものではなく、どちらも「自画像」の眼差しに近いことが分かる。

 続いて、「聖セバスティアヌス」と「若い男の肖像」の二点に出会うのだが、この二点の肖像は、どちらも遠景である風景が描かれていて、それによって齎される空間的奥行き広がりが、絵を重さから解き、肖像に明るい軽みを与え、親しみ安さを醸成しているのだが、前者の聖人の面差しが、男女の別さえ不分明な冴えをもって、焦点を持たぬ物思わしげな眼で描かれているのに対して、後者の青年の目は、間違いなく左気味に向けた顔の、その方向とは逆の右手に視線が注がれていた。そこから、描かれる人物対象の観念的存在=聖セバスティアヌスと現実的存在=若い男との差が、ラファエロの目の表現の差になっていることが見て取れた。

 こうして、ラファエロの作品は、ウルビーノからフィレンツェに出て以後の作品に移る。その最初が三十センチほどの小さな「聖ゲオルギウスと竜」という、よくある画題を扱かったもので、足元に襲いかかる竜に向かって刀を振り下ろそうとする、白馬に跨がった若武者ゲオルギウスを描いた小品だったが、それまでのラファエロからすると、私には、それが、マンガの玩具絵のように思われて、心さらに止まらず、目は、続く二点の肖像画に魅かれてしまう。

 その二点は、どちらも青空の下の風景を背にして描かれており、前者は赤い縁無しの平たい帽子を被り、赤い服に毛皮のガウンを纏った、黒髪豊かな「リンゴを持つ青年」の像であり、後者は、決して美しいとは言えぬが、額に蠍の飾りを付け、長い金のネックレスを下げ、黒地に金箔柄の衣を纏った、気配凛とした中年女性、「エリザベッタ・ゴンザーガの肖像」であったが、どちらの目も、観る者に向けて注がれており、その眼差しは、「冷徹」と言っていい程の冴えを見せている。それが、絵から一切の嫌みを去って作品の透明度を高めていたのである。マンガの後だっただけに、これは嬉しい。

 この二作品の後で、私は、本展の花、「大公の聖母」像の前に立ったのである。

 この聖母子像は、それまでの人物像の多くが、自然の風景を背にして描かれていたのに対して、そのような俗界との関わりを断つかのごとく、真っ黒の背面の中に聖母が立っており、それも、これまでの肖像の半身像が、全て胸下までで括られていたのに、この聖母の半身像は、その膝の辺りまで描かれた丈長の、それだけに、円形にしろ四辺形にしろ、広く一般の聖母子像が持つ空間的な窮屈さから見事解かれていて、観る者に対象へのゆとりを齎す作品に仕上がっていたのである。

 聖母は、右手をイエスの腋の下に支え当てて、その尻を左手で救い抱き、抱かれたイエスはこちらに顔を向けやや下方に視線を遣りながら、その幼い手をマリアの肩と胸先に縋るように当てている。面伏せに小首を傾げたマリアは、聖母の典型的色彩である、臙脂色の衣装の上に、青いコートを頭の上から被るように羽織っており、その眼差しは、まるで放心状に遠く画面下方の暗黒に向かって放たれている。

 眉目のどこにも個性を兆す特徴を持たぬマリアの顔の穏やかさ、その没個性という個性が、人間という存在そのものの哀しみを私に語っている。立つマリアの姿が無言であるだけに、その哀しみは無限の深さをこちらに伝えてくる。それは、慈愛の至る果てに、十字に架けられ、死が招来される愛子の命運への哀しみを、詠み込んでいるのでもあろう。ここには、時に聖母の顔が漂わせる純粋可憐な幼さがない。

 凡そ、聖母の存在価値「無垢」などというものは、純情と可憐を借りて表す以外に手がないと言っても致し方のないことで、そういえば、エルミタージュ美術館には、ラファエロの師、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた聖母子像が二点あり、かつてその二点を目の当たりにした時、その聖母の一点は、幼児のような可憐な顔立ちに描かれ、もう一点は純情な乙女の横顔だった(注3)。

 それに、今回、この「大公の聖母」の隣には、ラファエロ自身が描いた黒い線描きの小さな下絵が展示されており、その下描きの聖母の顔は、紛れも無く幼児の面影を残して描かれていて、「無垢」の表現の仮説を、見事証かしていたのである。下描きの併展によって、この、レオナルド・ダ・ヴィンチを超える「大公の聖母」の哀しいほどの深さと、それを感じさせる完成度の高さが、改めて痛く実感されることになったのである。

 それは、決して楽しくはない、その前に佇めば佇むほど、聖母の哀しみの闇に深々と抱かれてしまいかねない、まがまがしいほどの美しさを湛えていた。

 この聖母子像からそっと去った後、同じ頃に描かれた肖像画二点、「無口な女」と「赤い服を着た若い男の肖像」に出会ったが、若い男の絵が背景の風景を持っているのに対して、女の絵は、聖母子像同様、背景のない黒い色の中に描かれていて、衣服も何も、身に纏った物に華美なもの何一つない上半身が、沈んだ色合で細部に亙ってまで、緻密で写実的に描写されており、その奥深さが、白粉気のない中年の女の、まさしく無口でひんやりした風貌の中に、独自な美しさを齎していて魅かれた。

 そして、こういう暗灰色の闇を背にした肖像画として、ローマに移ってからの三十代に描かれた作品が、もう二枚あった。どちらも一メートル近いサイズで、一つは「ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像」で、赤い聖帽と聖衣姿の枢機卿が、闇の中に斜め左を向いて座してこちらを見ていた。その細面で鼻筋の高い顔は、知的で、その眼差しがモデル枢機卿の意志の強さを伝え、その分立派な俗を形作っていた。

 ところが、今一枚は、「友人のいる自画像」と、その題名からして奇妙だが、暗灰色を背に二人の男が、どちらも白い襞シャツの上に黒い上着を纏って描かれていて、その顔と手とシャツだけが人物の体温を伝えているのだ。しかも、二人の男の中、友人は中央に座して右手でこちらを指さし、鼻下、頬から顎へかけて黒い髭で覆われた顔を左に向けて語りかけるように、眼差しを後に遺ろうとしており、それに応じるラファエロは、その友人の眼差しの左側で、友人の左肩に手を置き、同じように黒下と頬とが黒い髭で覆われた穏やかな顔で、眼差しをこちらに向けて寄越している、そういう絵だった。暗い画面の左上から右下へと、自画像、友人、その右手の順でほの見える、薄明かりの世界が構成され、そこに、中央にいる友人(それが絵の主人公の筈である)が、その隅に 立つラファエロによって宥められ、絵として括られているという、奇妙な作品が出来ているのだ。これが宗教的素材ではないだけに、この作品の意図が私には不可解で、その不思議が魅力を醸し出す絵だった。

 ただ、この「友人のいる自画像」が、冒頭の、若き日の「自画像」に応じた、ラファエロ出展作品最後のもので、その作画が、彼の死ぬ前二年程の間に成ったものだったことに気づくと、主役の脇・影にある存在としての自己に、拘り続け、そこに自らの意味を見出してきたラファエロの資質を、改めて思い遣らねばならなくなった。

 今回の来日したラファエロの油彩画作品十七点の中、自画像を初めとする肖像画は八点を数え、出展の主役「大公の聖母」や、「天使」「聖セバスティアヌス」の三点も、宗教画とは言え、肖像画を見る眼差しで見ていたことを思うと、間違いなく、本展で、私は、肖像画家としてのラファエロという人物に魅かれてきたことに気づかされる。

 見終えて、フロント裏のコインロッカーに戻り、バッグを取り出して、フロアに出ると、先ほどの青年がいてこちらに気づき、「やっぱり、聖母像が観れてよかった」と声を掛け、 笑顔を残して、若い足取りで去って行った。

(二〇一三、四、一〇)

 

 

 

 注1 今回のラファエロ展は、冒頭の「自画像」に次いで、「Ⅰ.画家への一歩」、「Ⅱ.フィレンツェのラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとの出会い」、「Ⅲ.ローマのラファエロー教皇をとりこにした美」、「Ⅳ.ラファエロの継承者たち」の順で展開していたが、ラファエロの作品は、Ⅰに六点(ラファエロ以外四点)、Ⅱに十点(それ以外四点)、Ⅲに五点(それ以外九点)が展示されており、Ⅳはラファエロ以外の作品十七点ばかりが展示されていたのである。

 注2 ウルビーノ公の許で、宮廷画家を務め、詩文を書いたりもしたウルビーノの芸術家だった。ラファエロが十一歳のときに没している(一四三九年以前~一四九四年)。

 注3 前者「ベヌアのマドンナ」は、一四七八年、後者「リッタのマドンナ」は、一四八〇年代初頭の作になるとされている。ダ・ヴィンチ二十六歳から三十歳位までに描かれた作品である。それに対し、今回の、ラファエロのこのマドンナ像は、彼の二十歳初頭に成ったものだと考えられている。

 なお、エルミタージュ美術館には、ラファエロ作のマドンナ像もあって、その顔は、レオナルド・ダ・ヴィンチに比べて、やはりラファエロらしく憂いを持っていたと思う。

 エルミタージュのこれらの絵は、どれも三十センチ程の四角な油彩画で、ガラス張りのスタンドの中に、 外気に触れる事なく展示されていた。

 

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