川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

夏の終わりのまなこ遊び(四)
    ーベルリンの至宝からロシアのレーピンまでー

承前

 

 締めの四つ目は、同日午後、同じ渋谷のBunkamuraザミュージアムでの、『国立トレチャコフ美術館所蔵レーピン展』である。

 ドストエフスキーが『罪と罰』(一八六六年)を書き、トルストイが『戦争と平和」(一八六八~六九年)を書くに至ったような、変革が到来するロシアの激動の時代を、つまり絵画史的には印象派が生まれる時代を、レーピンは生きた画家だ。そのことは、もう二十年近く昔、「ロシア近代絵画の至宝」と銘打った『トレチャコフ美術館展』ーー確か奈良県立美術館で私はそれを見たーーに出ていた、十点程のレーピン作品を通じて知っていたから、出自はロシアでありながら、母国を離れたフランスで名を成したシャガールやドイツで著名になったカンディンスキー等とは違い、あくまでロシアという国土に身を据えて描き続けた、近代的・民族的な意味での彼の表現世界というものには、それなりの興味を持っていたのである。

 ましてや、これまで見たロシアの近代絵画については、エルミタージュ美術館を始めとする、ロシア美術館、プーシキン美術館、トレチャコフ美術館等の、全て美術館展としてのものばかりであって、生涯をロシアで生き、ロシアで活躍した画家の個人展が催されるのは、私にはこれが初めてのことだった。是が非でもといった気分になったのも致し方のないことだ。

 そして、私のその気負いに展覧会は見事答えてくれたのである。動く時代のロシアの歴史的表情が、さまざまな人間群像の作品と、肖像画群に結晶していた。

 一体、人間ならば、全てが醸し持つ匂いというものがはずで、それらが集まって更に醸し出される群れや暮らす場所などの匂いというものが、人と環境との独自性を生々しく伝えてくれるのが、本来の自然というものだーーそういえば、小堀杏奴は「パッパの匂い」と題して、タバコの匂いの染みついた父鴎外を懐かしんでいたっけーーが、今や、そういう匂いを全て抹消し、飾りの匂いで偽装する御時世になってしまっている。

 その虚飾の匂いに溺れるに任せている自分にとって、レービンの絵は、それぞれの匂いをそれぞれが持つ温度や湿度まで含めて実感させる、そういう慕わしさを持っていたのである。そしてそれは、フランスの印象派のモネやルノワールの作品からは味わうことのない、ロシア的な素晴らしさだった。

 

 そして、その会場の冒頭を飾っていたのは、まず、名作「ヴオルガの舟曳き」の、油彩による小さな習作と、同じく船曳きを描いた「浅瀬を渡る船曳き」という完成作である。

 そこに描かれた船曳き労働者の、身に纏った衣服の貧しさは、労働者自身の汗ばんだ体臭を醸し出していて、労働者が、最早「労働者」と呼ばれなくなってしまった現代の浮薄な実態について、改めて見返させる懐かしさを、表していた。私は、労働者の肉体的苦痛が、今やサラリーマンと呼ばれる者たちのストレスの語に置き換えられ、それを進歩の如く思うようになってしまっていることの不幸を考えないではいられない。

 そういう群像画として、前の『トレチャコフ美術館展』でも観た、「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」(「習作」と記されていたが、充分一つの完成作品と見えた)の、民族的・風俗的に極めて独特なコサック兵たちの、集い笑い合う群像を描いた作品では、その醸し出し蒸れる体臭は、その声の騒音と共に、見事こちらに響いてくるし、これも既に観た「タベの宴」と題する作品の、激しいロシアンダンスを踊るカップルを真ん中に、それを取り巻いてヴァイオリンや笛を奏でる者、踊りに併せて歌う者、笑って見る年寄りたちが、農家の集会場所に群がり騒ぎ楽しんでいる画面からも、さまざまな声や音がそこに蒸れる匂いと共に伝わってくる。因みに、前者は八〇×九〇センチ位、後者は一二〇×一人〇センチ位の大きさの油彩画である。

 匂いの点では、時代が着した政治的な意味を持つ絵画も同様で、初見の「思いがけなく」《一六〇×一七〇センチ程〉と題した作品では、ピアノが一隅に置かれ、その壁に肖像写「真の額が何点か掛かった広やかな居間に、今し、一人の、恐らくその思想的活動によって、捕らえられていたか逃亡していたかした靈れて見窄らしい風体の、この家の息子だったと思われる男が立っており、開いたドアには彼を招き入れたメイドが彼を見つめ、部屋の中央には、身を乗り出して彼の方のに驚きの声を発せんばかり女性の後ろ姿が描かれている。ドアの陰、部屋の隅のピアノの前に掛けた女性の顔も驚いていて、部屋の驚きは、この男の臭気によって際立っているように見える。

 また「懺悔の前」五〇×六〇センチぐらい(これも再見である)という作品では、黒い地厚のガウンの袖に、寒そうに両腕を差し入れてベッドに掛けている、恐らく死刑の宣告を受けた革命家であろう男に向かって、ロシア型の十字架を捧げて恐らく告解を勧めて司祭が立つっている、暗い独房の光景が描かれているが、この囚人の髭茫々の顔と、その全身を包むガウンを見ると、その臭気が、部屋の寒気と共に生々しく伝わってくる。

 ところで、今回の出展数は油彩・水彩・スケッチを併せて百点近くあったが、風景画は五点あっただけで、全てが人物を扱ったものだった。私には、レーピンという画家は人間に関心を持ち続けた画家に見えたが、人物の作品ということになれば、その中心が肖像画になることは当然で、本展でも、約四十点が、その肖像画になっていた。しかも自画像は二点だけだったところからすると、レーピンにとっては、自分より、自分を取り巻く環境としての人物、レーピンを動かし働かせる人物の方に、絵心が向かっていたように見えてくる。

 そうした人物像でまず心曳かれた作品は、自分の家族を扱った肖像で、まず七Oセンチ程のキャンバスに描かれた、金色の背凭れ椅子に乗せられた着飾った幼い長女ヴェーラの像である。描いている父を見やるその幼児の泣きそうな眼差しの緊張振りが愛らしい。

 次に、「休息」と題した、妻ヴェーラ・レピーナがソファに身を任して居眠りをしている姿が、丈一メートル五〇センチはあろうキャンバスに描かれている。臙脂の椅子に、裾の豊かな赤い衣装を纏い、足を組んで身を沈めているその妻が描かれたとき、彼女は一男三女の母になっていたことが紹介されている。しかし、頭を傾けて眠るその面差しには娘らしさが残っている。この絵が描かれたのは一八八二年とあるところからすれば、レーピンは三十八歳、十七歳でレーピンに嫁いだヴェーラは二十七歳だったことになる。四人の母である、いとけない面差しの妻に注がれるレーピンの愛の眼差しが、赤い臓脂の厚い色合いによく出ているように見えた。

 その妻の像に続いて、息子を描いた「少年ユーリー・レーピンの肖像」が登場する。一メートル程の丈の作品で、少年は背も床もロシア風の柄に織られた緋毛氈で覆われ作られた背景の上に乗っている。青い厚地の金ボタンの服を着、黒い長靴を履いて少年の眼差しは描き手の父に注がれているが、その目に長女の目のうろたえはなく、特別に作られた場で特別な服装でモデルを勤めることへの緊張が読める。

 そして四点目の、次女を描いた「日向でーー娘ナジェージダ・レーピナの肖像」という、やはり一メートル程の作品に出会う。一九〇〇年の作品で次女は既に二十五歳になっている。日差しの中、黒い日傘をさして、辺りの光に目が眩しさを感じている、そんな感じで地に腰を下ろしている。

 次には信仰に関する身近な者たちの肖像。「祈るユダヤ人」と「長補祭(注9)」の胸先にまで達する豊かな白鬚(はくしゅ)の老人の、一人は手を組んで祈る、一人は腹の上に右手を置いた、それぞれの指と手の甲が老いの温もりを伝え、暗いバックを背に黒い衣装と頭巾で身を覆った豊若く白い「修道女」の、数珠を嵌めた右手を左手で救い持つ、その指が真面目な緊張の鼓動を伝えてくれる、どれも救われる出来栄えだった。

 そして、彼の周囲の画家たち、ワシーリー・ポレーノフ、ウラジミール・メンク、イワン・スラムスコイ、グリゴーリー・ミャンエードフの四人の肖像であったが、これは面白味に欠け、むしろ音楽家たち、作曲家のムソルグスキーとセザール・キュイ、女性ピアニストのソフィー・メンターとルイーザ・ダルジャントの四点の方が、魅力的だった。中でも、ムソルグスキーとルイーザ・ダルジャントの二点は、それぞれ、二人の死の十日程前に描かれたものらしい。

 しかし、私に最も高い関心が働いたのは、作家ウラジミール・コロレンコの肖像と、トルストイの油彩と水彩の肖像完成画二点と、スケッチ二点だった。コロレンコの方は、髭と鬚に覆われた赤ら顔が、椅子の背を掴んだ手と共に、そのざっくりとした筆捌きによって、体温を醸し出しており、トルストイの二点は、どちらも既にみたものだが、やはり私には、素晴らしい出来だった。それは、前に紹介したニコライ・ゲイの「文豪、ルストイの肖像」(注1)に比べ、その人間らしい温もりが親しみ深く表出されていた。特に私には、大きな手を肘掛けに置いて椅子に黒い衣装の身を託している、縦が一メートルを遥かに越え、横が一メートル近い油彩画のトルストイ像と、髭面の胸先までを水彩で描いた、三〇センチもない小さなトルストイ像との、その表情が、さまざまなこちらの思いを誘い出す筆捌けになっていて見飽きない趣を持っていた。

 数多い肖像画を見てきて、描かれた人一人一人の個性が、そこに読めるだけでなく、描かれたその時と場の条件が、その具体的な肉体が醸す空気感をもって、その色彩と筆捌けと共に個性的立体性を造形していたのだと、感取できた。 

 ささやかな時間の中で、こんなにも多くの様々な人々と、それぞれの思いをもって私は接することができた。それは、町中を歩いていて多くの人と、時には視線を交して接してさえいても、こんな相手の体温を感じるほどの親しい思いをもって接することなどは、つゆぞないことを考えれば、展覧会見て歩きの醍醐味はここに尽きるというものだ。  

 

(二〇一二、九、八)

注9 

 ロシア正教の聖職名。祭礼の滞りない進捗を輔ける祭司の長を言う。

注10

 『緑』二〇一一年一二月号(NO.591)の「美  術展回遊記」、「忘れ得ぬのは何だったのか」参照。 



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