川柳 緑
509

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

ボッティチェルリの不思議な「受胎告知」

 大きな絵だった。これまで展覧会場で私が見た最大の受胎告知画である。縦二メートル四三、横二メートル六〇の左翼と、二メートル九〇の右翼とからなる、一双五メートル五Oセンチに及ぶ、厚さ五センチの壁に描かれたフレスコ画の大作である。作者は「ヴィーナス誕生」や「プリマヴェーラ」で名高いボッティチェルリ、フィレンツェはウフィッツィ美術館から、今年のイタリア年に因む「イタリア・ルネサンス宮廷と都市の文化展」に貸し出されたものである。その絵に、上野の森の緑の美しい五月のある日、国立西洋美術館で私は出会った。

 ウフィッツィ美術館へは二度訪れたことがあるが、この絵を観た記憶がない。ウフィッツィ美術館にはボッティチェルリの絵を並べた一室があったと思うが、この絵が掲示されていなかったのか、迂闊な観方で記憶に残らなかったのか、それが分からない。頼りないかぎりである。ボッティチェルリの「受胎告知」といえば、美術書などに必ずや引き合いに出される一メートル半四方位の、典型的な作品があって、それには確かにウフィッツィで出会った記憶があるので、その意味で今度の展覧会での出会いは誠に有り難かった。

 今「典型的な」と言ったが、それは、受胎告知画では、一般に画面左側に大天使ガブリエルがマリアの純潔の徴である白百合を手に跪く姿で描かれ、彼がマリアに向かって告げる彼女の処女懐胎を、マリアは右側で立つか掛けるかして驚きをもって受け止め聞く姿で描かれることを踏まえてのことである。ウフィッツィ美術館には、美術史上、受胎告知画の典型的サンプルのように扱われているレオナルド・ダ・ヴィンチの著名な一点もあり、こちらの方には二度とも出会った記憶が確かにあって、美術史上の宣伝の霊験はあらたかなのだが、御蔭で出会った折りの有り難みが極めて薄くなったのも事実である。

 もっとも同じように美術史上の宣伝の行き届いた作品ながら、対面して有り難みが失せなかったばかりか、新たな感動さえ覚えた典型的な受胎告知画もある。同じフィレンツェはサン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの「受胎告知」に出会った時がそれである。修道院の二階へ階段を上り、上り切って息をつぎ仰ぎ見る目にその絵が飛び込んできたとき、思わずあっと息を飲んだものである。絵の指示の、巧まずして見せる演出の冴えがそこにはあった。

 仰ぐ視線に、アンジェリコの絵は、幾つものアーチ型の粱の半円とそれを支える円柱の直線の織り成す空間構成が実に爽やかで美しく、それが、絵のテーマの精神性を決定づけていた。それに恐らくこれほど色模様の美しいさで描かれた大天使ガブリエルの羽はないのではないか。この羽のはばたきならば、天使の体を軽々と天空に舞わせること疑いないと思わせる羽である。不思議なのは、跪いて告知をする左の天史の視線は、マリアの顔に注がれていず、それを聞く右手のマリアの方も、顔こそ天使に向けられてあれ、眼差しは何処にも定まらずあらぬ彼方へ放たれていることだ。関係を語る視線による説明がここでは消去され、二人の、全く同じように両の手を組んで己が 脚を抱くようにして対峙している、人体表現としては些か稚拙な姿が、それを埋め合わせで余りがあることに気づく。この画面にはマリアの純潔の徴としての白百合さえ描かれていない。

 それに比べれば、ダ・ヴィンチの「受胎告知」の表現の説明的であることは否みようがない。つまり、面伏せにして跪いて片膝を立て、右腕を延ばし告知をする指をマリアに向けて立てている天使と、そういう天使に目を注いで腰を掛け、告知を受け止めるかのごとく左手を上げ天使に向けて掌を立てているマリアとが、落ち着いたな静謐な画面として国ま ってしまっている。天使の背から高く生えた羽は私には茸の化け物のように見え、羽の太い根が天使の背中を押し付ける強い重さと化して、この羽で天使を飛翔せしめることは至難のことかと疑わせる。だからこの絵を仰ぎ見る高みに掲げ直したからとてどうなるものでもなく、改めて確かなデッサンカに基づくリアルな人体表現の限界という問題に逢着する。

 このダ・ヴィンチの「受胎告知」に比べれば、ボッティチェルノの著名な「受胎告知」は、人物二人の関わりの、仕草を通じての説明的描写という点では同じ方法ながら、ダ・ヴィンチを超える徹底ぶりで、それを動的に動きのある一弾として描こうとしたところにその特徴があると言ってよいだろう。天使の左手に握られている白百合も、同じく左手に握られているダ・ヴィンチのそれに比して遥かに鮮やかに大きく描かれている。その徹底した明快な描きっぷりは、いっそ気持ちがよいほどだ。それに天使の羽は、ダ・ヴィンチのそれとは雲泥の出来で救われもする。

 さて、そのボッティチェルリの今度の「イタリア・ルネッサンス」展の「受胎告知」なのだが、それは彼の動きの一瞬を捉える表現が、天使に面白く生かされていて、全体として何とも不思議不可解な大作だった。

 不思議というのは、この五メートルを越える横長の絵の遠近法の焦点が、画面全体の中心線あたりにはなくて、画面全体からすればかなり左偏った、左翼二メートル六十センチ幅の中心線上の上部にきており、しかもこの左に偏った中心線の左側に大天使ガブリエルが描かれているといった奇妙な構図にある。そればかりか、天使の対極の位置に描かれたマリア像は、天使の動に対して静的な姿で描かれ、先のボッティチェルリの、身を捩じるようにして腕を差し出すマリア像の動的な捕捉とは格段の差である。つまり二人は動と静のコントラストをなして捉えられている。しかも不思議はそればかりに止まらない。天使の 足は画面の床から離れて宙に浮いているのだ。椅子に掛ける床上のマリアに、上から宙に舞って天使が相対する受胎告知画は、一つのパターンとして多いのだが、このように僅かに床から浮き上がっている天使像は珍しく、一体何ゆえかと不思議になる。それにさらにも不思議なのは、マリア像が、天使の姿に比して些か小さいことである。顔の大きさを見比べるとそれがよく分かる。そして二人の間、右翼の画面奥に描かれた部屋の内部には、枕が片寄せられてダブルベッドが収まっているのだが、邪心にあらぬ誤を招きそうな、こんなベッドの描かれた受胎告知画を、寡聞にして私は他に知らない。

 お蔭で私は絵の前で首を捻って立ち往生せざるをえなかった。立ち往生しながら、こういう大きな壁画がどこから剥がされてきたのか、気になりだしていた。イヤホーン・ガイドでは何か案内があるのだろうと思うが、私はこれまでそれを借りたことがない。当てにできるのは図録ばかりと、いつものようにそれを買い求めて美術館を後にした。その日、私は同じ上野の上野の森美術館で「ヴェネチア絵画展」を見たりして、夜ホテルで漸く図録を繙いたのだが、繙いた図録が私の不思議を一挙に解いてくれたのである。

 図録は、この壁画が「病人、巡礼者そして捨子を収容する病院の役割を担っていた......修道院のロッジャ(回廊のこと)を飾っていたものである」ことを語り、その修道院の二つ目の「門の上部の横五メートル三十五センチ、床面から三メートル六十センチの高さの位置に、ボッティチェルリはフレスコ画を描いていた」と説き、絵が仰角で見上げられるように描かれていたことを知らせていた。しかも、「ピラスター(透かし彫りの柱のこと)によってふたつの場面に区切られたこの作品の遠近法構図は、その下の門の存在と位置を考慮して構成されている」と言い、「画中の天使の位置は門を入る人には中央正面に見えることになり」、「この位置が作品の全体を見る位置となる」と記しているのである。つまり、マリア像は右手奥に見えることになり、それが彼女を天使より小さく描かせることになったのだと分かる。さらに図録は「加えて、ふたつの場面の中央にあるピラスターは、門の右側の側柱アーチからそのまま続く形になっていた」とまで言うのである。遠近法の中心線が左翼の画面の真中にあり、その焦点が、その中心線の上部に設けられているわけである。

 どうやら、この絵には一つの仕掛け・演出が施されていたことが見えてくる。この門を潜ろうとする巡礼や病者は、始め、今正に地上に降り立たんとする天使の姿を仰ぎ、彼等や幼児の守護神である大天使ラファエルを見るのであろうが、一歩近付き、次に天使の手に百合の描かれていることに気づくとき、同じ大天使でもガブリエルだと見直されるに違いない。そのとき、仰ぎ見る目は天使の視線に誘われて右に走り、自ずとその奥に描かれた聖母マリアの姿が望まれるという寸法なのだ。手を胸に当て小腰を屈めるようにして俯けているマリアの顔は、恐らく見仰ぐ来者に向けられた慈顔になっている。そしてマリアの奥の部屋のベッドは、ここが、聖なる母マリアによって守られた憩いと安らぎの場であることを教えているのだ。絵は、門の上から、ここを訪れる者へ、救いの温もりを与えることを伝えるべく機能している。

 私にはほくそ笑むボッティチェルリが想像され、改めて絵とそれの置かれる位置とについて一考させられたわけだが、しかく腑に落ちて身軽になった感じを抱いた途端、絵の不思議の消え行くことに対する寂しさが、一方で勃然と沸き上がってくる のを如何ともし得なかった。

(二〇〇一、一二、二二 )

 

 

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