川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

夏の終わりのまなこ遊び
    ーベルリンの至宝からロシアのレーピンまでー

 夏休みも終わる八月の末、東京で二日に渉って四つの展覧会を観た。その観て歩記を書く。

 まず一つ目。

 それは二九日、午前、上野の国立西洋美術館の特別展、「学べるヨーロッパ美術の四〇〇年」という副題を持つ『ベルリン国立美術館展』から始まった。

 副題にある「四〇〇年」とは、横文字で「FromRenaissanceto Rococo」とも表示されていたことからして、十五世紀から十八世紀までの四百年、つまり、ヨーロッパに産業革命が起こり、近代社会が到来する十九世紀以前の四百年を指していることになる。

 会場は、全体が、六つの章に分けられ、「十五世紀:宗教と日常生活」と題された第一章から始まった。この項では、展示された二十四点中十六点までが彫刻作品だったが、中でも八点が、いかにもドイツ風古美術らしい、保存のよい宗教的な木彫の作品だった。

 だが、冒頭は、テラコッタ製の「聖母子」像三点との出会いから始まり、いきなりこちらの弱みに見事付け込まれてしまった。どれも四十センチに満たない小ぶりな作品で、マリアのキリストの抱き方もキリストの抱かれ方もそれぞれに異なり、キリストの方に傾けられたマリアの顔も、いず方へとも知れぬその眼差しも、すべてこちらの「愛しさ」の情動を醸させてしまう。

 ささやかな礼拝の場に掲げられていたであろうこれらの小像が、どれほどの人々に、聖なる優しさの心を呼び覚まし続けたかを思うと、私はこの聖母子像の作者などはどうでもよくなってしまう。そしてそれの余韻を奏でるかのように、テンペラ、油彩で着色された三点の「聖母子」像の小品が出現した。中で一番小さな、三十センチに満たぬ「聖母子」は、マリアが、幼子キリストの顔に頬を寄せ、白布でくるんだその幼げな素肌の体を胸元に抱き締めているのだが、赤児イエスの手足のめどけない動きや、それを抱き抱えるマリアの指手の柔らかな温もりが伝わり、中世的な風趣の滲むその絵の母子そのものを胸に抱きたくなってしまう、そんな絵だ。その絵の風情が、ブリュッセルのヴァン・デル・ウェイデンの作品を思わせ、何とも慕わしくていい。

 そして、いかにもドイツの美術らしい木彫の宗教的人物群、いずれもやはり小さな作品に私は出会う。その小ささは、教会ではなく家庭に置かれていたことを窺わせたりするが、それだけ、その小さな、虫食い穴さえ点在する、それを持った人々の手の温もりさえ残っていそうな木彫作品がいじらしく、私は嬉しくなる。

 「聖母戴冠」(注1)「聖母の誕生」「聖母の結婚」「奏楽天使」「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」の作品は、どれも高さ四、五十センチのもので、とりわけ「聖母の結婚」は、四列四段になって、マリアを中に十四人の人物が細かな彫りで作られた作品であり、「聖母戴冠」「奏楽天使」「ゲオルギウス」の三点は、リーメンシュナイダーやその工房で作られたもので、中でも、楽器を奏で歌を歌う六人の聖歌隊の少年の動きを彫った「奏楽天使」は、私にローテンブルグの聖ヤコブ教会にあった、リーメンシュナイダーの「聖血の祭壇」を思い出させる美しい彫りを見せていた。ともあれ、木彫の聖なる世界を充分堪能することができた。

 第二章は「十五~十六世紀:魅惑の肖像画」となったが、その最初に出会った肖像は、その横顔を大理石に浮き彫りにしたコジモ・デ・メディチ像だった。まさにフィレンツェにルネッサンス活動を誕生させた老コジモ像を冒頭に置くのは、理に適った展示振りで、しかも、これを造ったのは、ダ・ヴィンチの師匠だったヴェロッキオの工房のようだ。その横顔の隣には、作者は分からぬが、今一点コジモよりもう少し大きめの婦人の横顔の大理石像があり、これが老人像の隣にあるだけに何とも魅力的なのだ。その中年を思わせる婦人の、首飾りの先の胸元のブローチや、まとめ束ねた巻き毛の靡く髪の、繊細な彫り込みを備えた整った横顔を見ていると、それを刻んだ作者の視線の力の大きさを感じざるを得なかった。

 この婦人の額の前に、同じく「女性の肖像」と題した若い女性の胸部像が、こちらは、高さ五十センチほどに彫られた立体像として据えられている。その顔から首(かけての彫りいの流れが、胸の盛り上がりの浅さと相俟って、この女性の乙女らしさをよく形作っている。彼女の二重瞼の細目と笑みを漂わせた口元の彫りが、その乙女らしさを際立たせている。作者は、グレゴリオ・ディ・ロレンツォというらしいが、その名に覚えはなく、ただ優しい乙女の匂いを自分の胸に嗅ぐばかりだ。そして、その後に、デューラーとクラナッハの小さいが歴とした男性の肖像画が登場するのだから、憎い。しかも後者は「マルティン・ルターの肖像」なのだから、もはや何をか言わんや。

 この後何点かの油彩の肖像画があり、作家も作品も初めてのものばかりで結構面白かったが、中で特に私の眼を止めたのは、ヤン・サンデルス・ファン・ヘメッセンという画家の描いた「金貨を量る若い女性」という五十センチ程の作品であった。

 机を前に座した顔に少女っぽさの残る、結構に着飾った娘が、右手に天秤の計りを下げて、絵に眼差しを送るこちらに向かって、冷笑の眼差しを流している絵である。無論天秤の下の机上には何枚かの金貨が見える。私は、この女に幾らで、計られることになるのかを思い遣ることになってしまった。次の第三章は「十六世紀:マニエリスムの身体」と名乗ってあったが、冒頭の、闇の黒の中に、己が胸に刃を向けて立つ全裸の「ルクレティア」を描いた、いかにもクラナッハらしい小品の一点以外は、全て二十センチから四十センチ位までの、小さなブロンズ像だった。

 私たちは、「念持仏」という言葉を持っており、信心の対象である小さな仏像を手中に納め留めて暮らし、持仏に対するいとおしみの情を持つようになることを、その語に詠み込んでいる。無論、西洋でも手元において祈る小さなキリスト像や聖母子像があることは、これまで、美術館や博物館などでいくらも見知ってきていることだ。

 だから、ここに展示されている小さなブロンズ像を見ていると、たとえ祈りの対象ではなくても、持仏に等しい愛着の対象であったろうことは間違いあるまい。

 ましてや、ここに展示された「足のとげを抜く女」の裸身、「イルカに腰掛けるウェヌス」の裸身や「幼いヘラクレス(無論裸の幼児である)と蛇」などの小像に接すると、ガラス越しであるにも拘わらず、腰を屈め自然と対象に顔が近づいて、たちまち掌中に温めたくなる、そういう魅力を見出すことになってしまったのだ。

 そして、第四章の、本展の最大の売りである「十七世紀‥絵画の黄金時代」の会場に入る。そこで私は、ベラスケスの「三人の音楽家」、ジョルダーノの「エウクレイデス」と「アルキメデス」の半身像二点、ルーベンスの「難破する聖パウ口のいる風景」、ヤン・ステーンの「喧嘩するカードプレーヤー」、デ・ヘームの「果物、花、ワイングラスのある静物」、レンブラントの「ミネルヴァ」などに出会う。どれも見応え充分な作品ばかりであったが、とりわけフェルメールの「真珠の首飾りの女」の一点は、この何年かの間に見たフェルメールの中で、私には最も美しい作品に思われ、この一点を観ることができた以上、最早何もいらない幸せを感じてしまった。

 若い女の、髪を後に束ね纏め、淡い朱色のリボンをつけた、何処にも険のない柔らかで穏やかな横顔、首飾りを胸先に持つ膨よかな幼さの残るその娘らしい手、白い襟と黄色い地布のうら若い配色の上着、それらが齎すこの女性の美しさは正に無垢そのもので、不純そのもののこちらの心を柔らかい温もりに救う、そういう絵だったのである。

 しかし、展示は、更に第五章、最後の「十八世紀;啓蒙の近代へ」に進んだ。

 そこにはティエポロやシャルダンの絵もあったが、やはり私を捉えたのは二点の彫像だった。それはジョゼフ・シナールの「レカミエ婦人の胸像」とゲオルク・ディルの「戴冠の聖母」で、前者は、右肩から練った薄い布地の上に、両手を組んで露な胸先を隠し、巻いたスカーフの上に盛り上げた豊かな髪の夫人が、若く優しい面差しを伏せ気味にしている、五十センチ程のプロンズ像で、その初々しさが得も言われず、後者は、砂岩に彫った一二〇センチはあろう、聖母の膝から上の立像で、聖母は、左の胸先で合唱し、眼差しを伏せ、頭を右肩の方に傾けた敬虔さ(注2)が、その衣装の襟元から、袖、腰下へと流れる彫りの線の優しさの中に凛と窺われる像で、とりわけ後者の髪や衣装の線と陰の織り成す流れるような美しさに接すると、これこそがマニエリスムの成果の結晶のように思われもした。

 こうして、この展覧会の最後には、「魅惑のイタリア・ルネサンス素描」と題した三十余点の、素描だけを並べた一室が、付録として設けられていた。

 そこで、私は拾い物をした。ボッティチェッリとフィリッピーノ・リッピの作品に出会ったのである。しかも、ボッティチェッリの素描は、ダンテの『神曲』の挿絵の下書きで、神曲の場面の登場人物を中心にした線描の挿絵は、画面が小さいだけに、それを描いているボッティチェッリの手元の動きが想像されて楽しかった。

 それにしても、この展覧会では大作と呼ぶような作品が殆どなく、小ぶりな作品ばかりだったが、その小ぶりさゆえに親近感を抱きやすくなり、そうした作品の多くが持つ細やかな造形振りに、掌中に包みたくなるようないとおしみがついつい注がれてしまう、そんな始末となる鑑賞を齎しくれた。お陰で重い圧力を背負うような疲労感を抱くことはとんとなく、老境の快い癒しとなったのである。

(二〇一二、九、八)

 

注1

 聖母戴冠は、死んだ聖母マリアが昇天し(聖母被昇天)、聖母が父なる神とキリストから戴冠を受ける、三位一体を表す場面で、その彫像・絵画が作られるようになったのは十三世紀になってからである。冠を被せるのはキリストであるが、そのキリストが登場しない場合は、父なる神に冠を授かっている。なお、聖書にこのことの記載はない。

注2

 題名からして、この姿勢は、キリストから冠を受けるためのものだと思われ、或いは、実際の祈りの場では、聖母の頭には実物の冠が被されていたかも知れないと思われる。

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