私が、彼、セガンティーニの絵に始めて出会ったのは、半世紀以上も昔、倉敷の掘割の道沿いに建つ大原美術館でのことだ。それは明るい展示室の壁に掛かった一メートルもない「アルプスの真昼」という絵だったが、眼にした瞬間、周囲の絵にはない、空気の澄明さが、ふわっと我が身に被さってきて、薄荷の飴を口に含んだような匂いを感覚したのを覚えている。
雲一つない澄んだ青空と、その下の、稜線に雪を頂いたアルプスの山の連なりとを背に、広がる草原の羊たちと、彼らの守役の、麦藁帽子を冠り青い野良着を纏い、倒れ掛かった白棒の幹に凭れて立つ娘が、そこには描かれていたのだが、その草も羊も娘も、それに背景の山も空も、実に細微な筆捌きで描かれている写実的な絵だった。その独特の筆捌きに私が感じたものは、下界にはない、アルプスの高原の持つ光と空気のきらきらした清澄さだった。それは、近くに並んでいたピサロの、林檎の薄暗い樹下で「林檎採り」をする娘の優しい絵があったことで、なおさらに際立っていた。爾来、そんな、下界にはない空気感の描けるセガンティーニという画家の名前が、脳裏に刻まれて離れないものになった。
しかし、そのセガンティーニの作品に、これまで展覧会で出会った記憶は全くなかった。ただ、テレビでは、スイスのサンモリッツにあるセガンティーニ美術館が紹介されることがあり、その特別室の壁面に飾られたセガンティーニ畢生の大作、「生」「自然」「死」の三部作を、一度ならず映像を介して見る機会があった。いかに鮮明であろうと、スイスでの映像であるからには、その遥かな距離感を避けることはできず、彼の空気感を間遠に見終わるだけになった。そのセガンティーニの作品展が、静岡に来るというのである。私は、アルプスの澄んだ空気を、久しぶりに目の当たりにすることができる幸せを夢見て、蹌々踉々、忽ち出掛けることにした。
これまで、静岡の大きな企画展といえば、ロダンの大きな展示館を持つ、県立美術館で行われるのが通例で、そこまで辿り着くのに結構面倒な思いをいつもしてきたものだが、今度は、静岡の駅前のビルにあるという静岡市美術館での開催 「だというので、出掛ける気分も軽くなる。
九月七日(水)の晴れた朝、新幹線で静岡に私は向かう。ひかりで一時間、十時半に着き、北側の駅前に出、美術館への案内を辿れば、忽ち正面西寄りの葵ビルに至る。入れば、三階に美術館があると知れる。三階のフロアでチケットを求め入館。私の今日のセガンティーニへの旅が始まる。
そのセガンティーニ自身の画家の旅は、二十頃のミラノから始まっていた。十九歳で結婚し、二十代前半、三人の子供との五人家族を保ちながらの、初期作品十五・六点に出会う。しかし、光の明るい、晴れた気分の作品は、一点もない。どれもが、暗い色彩で描かれている。
セガンティーニは一八五三年に生まれて一八九九年に没しているのだから、丁度、一八五三年に生まれ、一八九〇年に死んだゴッホや、一八五九年に生まれ、一八九一年に死んだスーラと同じ時代、所謂後期印象派時代に生きていたことになるのだが、ゴッホやスーラのような、色彩の楽しく豊かな晴れがましさは微塵もない。時代の都会的近代化を背負って進んだ、フランスの近代絵画の中心であるパリからの距離の隔たりが、田舎者セガンティーニの個性を磨き上げたということになろうか。してみれば、この初期作品は、スイスの山小屋のアトリエで生涯を終えたセガンティーニに相応しいものだということになる。
その作品群の始めに、横長の一メートル位の作品で、画面が上下に二分され、下半分には、一本の道だけが通る大地が黒っぽい姿で広がり、上半分には、その大地の果てに夕日が沈んだ後の大空に、赤みを帯びた巨大な雲のたたずむ「プシアーノの夕暮れ」と題された作品に出会ったが、即座に、テレビで見たアルプス三部作の、雪に覆われた高原の村と黒い何人かの人影が点在する「死」という作品に描かれた、冬の青空に大きく浮かぶ一つの雲塊を思い出した。
すると、私は、そこに、人間が生きる場としての自然の根源を大地と大空だと観ずる、セガンティーニの眼が窺え、そこに閉じられている自己の存在の小さな寂しさが、青年期の彼の暗い色彩への拘りに結晶しているのだと、思い至ることになった。
しかも、この初期作品群の中には、羊達と羊飼いを描いたものが、油彩画六点、木炭画四点の十点もあって、若いセガンティーニの素材への拘りが窺われる。先に指摘した同時代の画家たちにこんな拘りはなく、それだけに、そこに或る象徴的な意図が籠められていることを読まねばならなくなる。つまり、キリスト教世界にあって、羊は神に捧げられる生け贄としての弱者であり、それを導く羊飼いは、牧神と称される善なる存在であるはずだ。セガンティーニが、自らの生に何を見ようとしていたか、その暗い色彩とともに解るように思われる。
それを、最もよく示す一点として、暗い小さな木炭画「山のアヴェ・マリア」をあげることができる。そこには、胸下で両手を組み合わせ、頭を垂れて大地を見つめて祈る野良着姿の少女と、その傍らに慕い立つ一頭の子羊が描かれていた。画面中央央を横切る地平線の上の表現は、明らかに日没後の夕刻であることを窺わせた。
次の場面は、僅か四点の肖像画になった。一点は、二十前に描かれた三十センチほどの、ブロンドの髪を垂らした若い女性の頭部だけを描いた小品だったが、そのこちらに注がれる眼差しと唇の表情に、娘の色気と意志を感じて、まだ幼いと言っていいような時代の、セガンティーニの力量に敬服した。
残る三点は、どれも老人の肖像を描いているが、二点は、セガンティーニの三十以後の作品で、その表現法(注1)は、明らかに、初めて私を虜にした、アルプスの高原を舞台にした作品の技法と同じものであることを示していた。
一点は、膝掛けに両手を置き、ベージュ色の背もたれの椅子に、毛深く青い上着を羽織り、青い頭巾を被って腰掛けた老婆が描かれている。彼女は何一つ装身具を付けておらず、首の所で結ばれた頭巾の紐の房が、唯一の胸飾りになっている。歯の老化で窪んだ口元の笑まいと、こちらに注がれる眼差しの深い強さに、我を持って生きてきた田舎の老婆の姿勢がよく出ていて、新しい技法が、老婆の衣服と顔面に温もりを生み出していることがよく分かる。
もう一点は、老神士の肖像だが、それは小さな文机に立てた左肘に己が顔を傾けて預け、右手で椅子の肘掛けを握って掛けながら、こちらに視線を送っている整った背広姿で描かれている。部屋は暗く、老紳士の上半身、特に顔の部分が机上のランプによって照らし出され、背広の全面、肩から裾に掛けての毛織りの生地肌が、季節の寒さを感じさせるほど細かな筆致で描かれている。それが、背後の窓から見える、まさに夜の闇が迫った屋外の景色と呼応して、親しさを呼ぶ室内の不思議な静寂を伝えている。
このように、夜であることを、はっきり環境として表現している肖像画というのは、私には珍しく、どこか孤寂な気配を醸し出していて、印象深いが、この印象を齎す働きこそが、肖像画というものの絵としての意義であるはずだと思う。
そして、期待の大きい、アルプスの山村の空気の輝く絵に触れることになった。しかし、期待に適う、アルプスの空気を実感できた写実的な油彩画作品は、六点しかなかった。どれも、七・八〇センチの大きさである。それを僅かで期待外れのように思う気持ちが、まず働いたが、しばらくして、その数の少なさが、当該作品の貴重さを私に認めさせ、その貴重さが、たった一点によって魅かれ続けて今日まで来た自分にとって、極めて至当な事態に思われた。
しかも、六点の内一点は、大原美術館所蔵の「アルプスの真昼」だったが、久しぶりの出会いで嬉しく、しかも同じ作品名で、まさに感取する空気感もぴったり等しい今一点に出会えた時の、気持ちの爽快さといったらなかった。セガンティーニ美術館所蔵のその作品は、若い娘の羊飼いと羊の群れを素材にしている点でも似ており、高地の空気の微粒子の煌めきに被われた一点の曇もない青空の下、白雪の手広く残る 山並を背景にして草原の草を食む羊たちを後に、青の野良着姿の娘が麦藁帽の屁に手をやって、日差しに向かい立っている光景が描かれていた。
そして、この晴れた日差しの爽やかさを表したものとして、「水を飲む茶色い雌牛」と「井戸のかたわらに女性のいるアルプスの風景」、「春の牧草地」の三点があったが、どれも空に雲が掛かっていて、その分微粒子の煌めきは弱くなっていた。
しかし、残る「森からの帰途」の一点は、澄んだ空気が冬の冷気の中に捉えられていて、夕刻近い白い空、白い山、白い大地の、微妙な色彩の変化を持つ表情が、その場の気温の震えを見事伝えてくる。太い木の根や長い枝木を積んだ木橇を、こちらに背を見せて引いて行く、全身を黒く厚い野良着と手袋ですっぽり包んだ老婆が、冷えた空気の景色に、生きる命の暮らしの温もりを微かに醸している。その歩む先には、山を背に教会の尖塔が見え、その下に、村の家々が、既に灯を点じて描かれている。それは、日差しの中の羊飼いの娘の二点と対極をなす、しかし間違いなくどちらも、アルプスの澄んだ空気を、その季節の温度と共に表現して、優れたものだった。
そして更に、このセガンティーニ的技法の今一つの成果が、既に「森からの帰途」にも伺われた象徴的表現だったことを知らされることになる。絵画に彼が象徴主義を見込んでいたことは、素朴な木炭画の「山のアヴェ・マリア」によっても 明らかなことで、その証しとしての作品、「湖を渡るアヴェ・マリア」「生の天使」「虚栄」の三点と出会うことができたのは、セガンティーニが「自然」に何を見ていたかを感じ取る上で貴重なことだった。
中でも、私には「生の天使」のパステル画が素晴らしく、そこには、太い樹幹が屈曲して枝分かれした箇所に、男の子を抱いてそれに頬摺りする若い母親が腰を下ろしている、母子像が描かれていた。母子の周りには、一葉も残さない小寒い風に揺れる繊細な小枝の群れと、日没後の微妙な空の明るみの中に静まる、樹下遠い湖と山並みとが描かれている。淡い色使いだけに母子像は微かな人肌の温みを伝え、それが聖母子像であることを強く訴えている。このアルプスの自然の中に宿る聖母子に、セガンティーニの宗教、哲学が滲んでい る。彼の微妙繊細な表現技法、それもパステルという儚い絵の具を用いての技法が、この神秘的情調の表出を美事成功させているように思われて身が緊まった。
最後は、油彩二点と木炭画二点の自画像で締め括られていたが、一点の油彩画を除いて三点は、どれもこちらを正面切って睨みつけるような、緊張した表情で描かれていて、画家の、全く遊びのない生真面目な堅苦しさが出ており、それがかえって、こちらに頬笑みを誘うものだった。
見終われば十二時を過ぎている。一階に降りて、ロビーに出ると、エレベーターの乗り場の側に、このビルの二五階にあるレストランの案内板が立っていた。ここで昼を済ますことにして二五階に上り、エレベーターを降りると目前の窓から、丘陵越しに海が見えた。そして、踵を返すようにしてレストランの入り口を入ると、広い正面の窓越しに、今度は富士の姿が望まれたのだ。窓際の席は全て塞がっていて、真ん中の大きなテーブルに一人掛けることになったが、雲に霞むこともない富士の嶺を遠望しながら、私はランチをゆっくり楽しむことができた。
しかし、その富士を取り巻く空気に、セガンティーニのアルプスの空気を感じることは無論できなかったのである。
(二〇一一、九、一五)
注1 展示場の解説で、この技法を分割主義ということが、記されていたが、分割主義というのは、仏語デイヴィジョニスム(Divisionnisme)の訳語で、それが、スーラの点描技法に象徴される新印象派の、つまりフランスおける技法として、私には理解されていたのだが、どうやらフランスにおける技法としてだけでなく、イタリアでも色をパレットで混ぜ合わせることをしないで、一つ一つの色を、細かに画布に塗り重ねる技法が起こり、それをディヴィジョニスムと呼び、セガンティーニはその技法を発揮した画家と見做されているようだ。しかし、スーラから何と遠く離れた高みにいることだろう。