秋、十一月十日、その日の午前、私は横浜でゴヤ展を見て、逗子に向かった。横須賀線の逗子に一時少し前に着き、駅前からバスで葉山に向かう。乗車二十分、神奈川県立近代美術館の葉山館前で下車。美術館はバス停の道を隔てた目前、湘南の海を背にして建っている。
この美術館に、私は今日、長い間ずっと憧れ続けてきた画家古賀春江の作品に会いに来たのだ。
私はまず美術館のレストランに行き、記帳して順番を待つことにした。このレストランで逗子の海を見やりながら、一度ゆっくり食事を取りたいというのが、かねてからの願いで、それが、憧れの古賀春江を見にきた時と重なれば、腹拵えの至福これに勝ることはないと思ったのだ。
一体どうして自分は古賀春江に憧れてきたのか。それは、多分、二十代の終わり頃に、画集を通じて見た、彼の「海」と「窓外の化粧」の二点に負うている。それは、モダンなモチーフを用いた超現実的な構成の面白さが、遺憾なく発揮された作品で、日本の現代美術を代表する作品として、私に強く印象づけられたからである。そこに示された、明快爽快と言っていい超現実的表現が、戦後の合理的で機能的な志向に根差した日本の姿に、相応した快適さを持っているように見え、高校時代から背負ってきた暗鬱な気分から漸く抜け出た頃の私の嗜好に、ぴったり嵌まってしまったのである。
しかもその彼は、私がその風貌への興味もあって親しんでいた作家川端康成と、深い関わりを持つ画家であったことを、川端の言葉から知り、それが古親への関心をさらにも深くした。
川端康成は、その「十六歳の日記」からして、私には、死の匂いの極めて強い作家で、初期の「末期の眼」は、題名からして既にそのことを最もよく表徴しているわけだが、それは、三十八歳で古賀春江が死んだ一九三三(昭和8)年に書かれた、その死をモチーフにした随想だったのである(注1)。「それあって、一層古賀春江は、私には死ぬまでに是非とも出会っておきたい画家になったのだが、その願いの適う機会が、八十に手の届く年になって漸く到来したのだ。
松の木立の下に拡がる葉山の海を、眼下に望みながら、私は定食のランチを食べる。波の寄せる浜に、こんな時期なのに、サーフィンをしている男の姿が小さく見えた。紙ナプキンで口を拭い食べ終われば、二時を過ぎている。
私は『古賀春江の全貌新しい神話がはじまる。』展の 会場に入る。
しかし、「新しい神話がはじまる」が古賀春江の願いだったとしても、古賀春江に対する私にその願いはない。むしろその「全貌」に触れ得るならば、きっと聞こえてくるであろう彼のファンタジアの音色に、私自身がすっぽり包容されてしまう幸せへの期待があるばかりである。
入館すると、まず「第一章センチメンタルな情調」と題 して、初期の春江十七歳から二十五歳まで(一九一三~一九二〇年)の、二十点を越す水彩画と何冊かのスケッチブックに出会う。油絵は一点もない。初めて接する水彩画がみんないい。土蔵が水路に面して並び立つ「柳川風景」と題した絵を見れば、たちまち古賀の北原白秋への思慕が連想され、その抒情味がたまらない。
古賀春江は詩的な言葉を沢山残した画家だが、この展覧会では、絵画と並行してそんな彼の言葉が随所に掲示されていた。それは、古賀春江の絵が、彼の詩的個性を抜きにしては楽しむ事が許されないことを物語っている。その彼の、この初期水彩画のコーナーにあった言葉は、「水彩は長編小説ではなくて詩歌だ。(中略)而して淋しいセンチメンタルな情調の象徴詩だ。」というものだった。
その「センチメンタルな情調」の最も優れた表現が、私には、彼の妻になる好江の、庭木の前で普段着の和服姿でしゃがんでいる一点と、その庭木に開かれた窓に凭れ同じ和服姿で描かれた上半身の二点の水彩画だった。どれにも初々しい娘らしさはなく、笑まいのない冷めた大人らしい表情で美しく描かれているのだが、その絵に温もりが乏しいだけ、その女性との愛の深い寂しさがこちらに伝わってくる。そこには、何点かの水彩の自画像もあったが、その幼さの残る顔に比べれば、好江は遥かに年長けて見えた(注2)。
初期水彩画に続く第2章は、「喜ばしき船出」と題して、一九二一年から一九二五年、春江二十代後半の五年間の、三十点余の油彩を中心にした作品が並んでいた。作品の多くは間違いなくキュビズムの影響を受けており、その濃厚な色彩と構造表現へのチャレンジの伺える作品が目立ったが、中で は、二科展に出し二科賞を得たという「埋葬」が最も印象的だった。と共に、「観音」とか「曲ろく(注3)につく」等の力作を見ると、彼が寺院住職の長男であったことがあるにしても、そこに日本的土着的な暗さに引かれる春江の資質が見て取れた。
それが、次の「空想は羽搏き」の章になると、このキュビズム的解体と、幾何学的再構成との画法が、詩的で童話的な叙情性の濃い色彩と構成を持った作品群へと進化する。その作品群には明らかにパウル・クレーの影響が見える。しかし、クレーのような乾いた知的澄明さはなく、油彩水彩の別を問わず、湿りを帯びた詩的情調の豊かな、それもどこか微笑ましい温もりを感じさせる作品に仕上がっている。その中の「美しき博覧会」という、帆船、サーカスのテント小屋、窓に浮かぶ人影、ドームの屋根、大きな金魚、向日葵や三つ葉の草などを、浮遊させて組み合わせた、モチーフも手法も相似た水彩画が三点あったが、同じ題で、古賀春江は次のような詩を残していた。
薔薇色のガラスの踊り子は三角形のガラスの上に立つてゐる/頭の上の青い林檎は軽気球で/遠い水平線の上から銀の箭が空へ飛びます(中略)//若夏色の水が流れて/ガラスの踊り子が沈みます/それは水中の赤い金魚です//白い文明的な空間に華やかなドームが浮き/黄金の向日葵が揺れる(中略)//美しい博覧会は魔術師の光る花束です。
また、「窓外風景」と題する水彩画と同題の詩には、
目に映る一切の風景が/異常に孤立して淋しく見えることがある/ガッシリと組み合はされてみながら/お互が全然無関係である時が。
の詩句が見え、四角い部屋を積み木のように並べ積み上げた 「窓」という油彩画では、同じ「窓」という題の、
沢山の窓のある家、/一つ一つの窓から顔が出ている。 /顔には地図が描いてある。/みんなの地図が読める、 /鳥籠も描いてある、花もあり、コップも、望遠鏡も、 並ぶ顔、水筒、霧、黎明とパイプも確実につながってお互いの陰翳を持つてゐる。/痙攣する避雷針の窓からまた一つの顔を見ないか、/揺れる、揺れる、椅子が、星が、/黒い夜の絵具は沈黙して語らない―その後の顔等に就いては。 /今はただ明るく揺れる顔がある。
の、詩が添えられている。
そこには、夜の深さを、建物、少女、帆船、椿の花、走る花火、開く花火によって浮上させた二点の「煙火」ーーその一点は川端康成の所有したもので、私には傑作に思われるーーという曲彩画もあり、こういう油彩画の混迷した塗り具合を見ていると、土着的な暗さが、クレー風モダニズムの中に 潜り込んできているのがよく分かる。
こういう古賀の絵を、「末期の眼」で、川端は、次のように評価している。一寸長くなるが、ここで引いておく。
私がシユウル・リアリズムの絵画を解するはずはないが、古賀氏のそのイズムの絵に古さがありとすれば、それは東方の古風な詩情の病ひのせゐであらうかと思はれる。 理知の鏡の表を、遥かなるあこがれの霞が流れる。理知の構成とか、理知の論理や哲学なんてものは、画面から素人はなかなか読みにくいが、古賀氏の絵に向ふと、私は先づなにかしら遠いあこがれと、ほのぼのとむなしい擴がりを感じるのである。虚無を超えた肯定である。従つて、これはをさなごころに通ふ。童話じみた絵が多い。単なる童話ではない。をさなごころの驚きの鮮麗な夢である。甚だ佛法的である。(中略)古賀氏は西欧近代の文化の精神をも、大いに制作に取り入れようとはしたものの、佛法のをさな歌はいつも心の底を流れてゐたのである。朗らかに美しい童話じみた水彩画にも、温かに寂しさのある所以であらう。その古いをさな歌は、私の心にも通ふ。けだし二人は新しげな顔の裏の古い歌で、親しんだのであったかもしれぬ。だから私には、ポオル・クレエの影響がある年月の絵が最も早分りする。
それにしても、古賀や川端のこうしたクレーへの親交ぶりに接すると、多分まだクレーが四十代の頃に、既にその作品を知っていたことになり、改めて二人の先駆性に脱帽せざるをえなくなる。と同時に、展覧会での私の反応も、ひょっとして、こういう川端の影響を受けていてのことなのかもしれないと、高の知れた己が個性の発現に恥じ入ってしまう。
このクレー的な作風から抜け、次は第四の「新しい神話」の章に移る。そこには、古賀の最後の四年間の作品が並ぶ。そこで、古賀の名を私に決定的にした「海」と「窓外の化粧」の二点を目の当たりにすることが出来た。そこに齎されたものは、近代機械文明のさまざなな姿をモンタージュ風に構成した、イメージの明快な、最早湿りや温もりを感じさせぬ古賀的シュールリアリズムへの脱皮だった。
「海」には、例によって、
海水衣の女。物の凡てを海の魚族に縛ぐもの。/萌える新しい匂ひの海藻。//独逸最新式潜水艦の鋼鉄製室の中で、/艦長は鳩のやうな鳥を愛したかも知れない。/ 聴音器に突きあたる直線的な音。//モーターは廻る。 廻る。/起重機の風の中の顔。/魚等は彼らの進路を図るーー彼等は空虚の距離を充填するだらうーー
の詩句が見え、「窓外の化粧」にも同じように、
埃を払った精神は活動する。/最高なるものへの最短距離。//発刺として飛ぶーー急角度に一直線を。/計算器が手を挙げて合図をする。//気体の中に溶ける魚。//世界精神の糸目を縫ふ新しい神話がはじまる。
の詩句に出会う。
そしてこの項では、死を控えた古賀の、おそらく残る力を蕩尽して描いたと思われる大作「深海の情景」に始めて出会うことができ、何よりの収穫となった。
それは、鮮やかな色彩の深海の魚や藻草の美しく動く闇の底に、大きな帆立ての貝殻に横たわる純白の裸女、ヴィーナスーーその顔だけは何故か猫であるーーが横たわっている絵だ。そこには静謐で透明なこの世ならぬ時空が停止していて、古賀の夢見た永久の死の深遠を見てしまう。その前年に描かれた何点かの微笑ましいシュールな叙情的水彩画もあっただけに、「深海の情景」は鮮烈なイメージを齎した。世俗を超えた有り得ない澄明な間に、自らの時的絵画の「神話」の誕生を見込んだ一人の男の、哀しさそのものが結晶しているように思われ、その哀しさに私はすっぽり包まれてしまっていた。そしてこんな没入ぶりも、私が老いたればこその所為かと窺え、すると、秋の夕を迎える帰路を、一人辿る自分の侘びの足取りが見えてくる。
(二〇一〇、一一、二〇)
(注1)因みに、古賀春江が没したのは三十八歳、その年川端は三十二歳で、川端の方が四歳若い。
(注2)古賀春江と好江夫人との年齢関係は、図録の年譜に好江夫人の生年が記されておらず、分からないままである。
(注3)寺院などで用いる、寄りかかる背凭れを丸く曲げた椅子のこと。