承前
三
最後は、六月から八月にかけて名古屋市博物館で行われた『ポンペイ展・世界遺産古代ローマ文明の奇跡』である。
見に行ったのは八月十一日水曜日の午後で、今度もやはり妻と連れ立って出掛けた。
出展作品は、『ポンペイ展』と銘打たれている以上、出展はナポリの国立考古学博物館からのものが殆どで、その点では正月の『古代ローマ帝国の遺産』の場合と同じだったが、その出展数は、正月の場合の二倍以上、二百五十点からなる充実ぶりで、古代ローマ人の、ポンペイにおける暮らしの豊かな現実を、美的に味わうに不足はなかった。
展示は、ポンペイの街の繁栄振りを語る、何点ものフレスコの風景画から始まる。二層・三層の建築物、その前を行き来する人達、桟橋や往来する船、遠くに霞むように描かれた木立や白っぽい屋根や柱、それらが「建物のある風景」「川辺の風景」「海辺の風景」と題して、遠近法がないだけ、どれもやや俯瞰的に描かれ、それが近代的な都市景観に通うように私には思われ、しかもそれが家屋の壁を飾っていたのだから、ポンペイ市民の自らの街に対する自負の程が伺えもする。
それに次いでは、彫像が並ぶ。中で、大理石の身の丈二メートルに及ぶ男女像が数点、左肩にマントをかけ、その腕を前に掲げてポーズをとる全裸の「ポセイドン像」以外は、マントを全身にい着た市民の男女像で、ここでも、神話的で、はないポンペイの市民の現実の姿そのものを伝えようとする崎らしやかな意図が見えていた。
そんな中で、「伝ルキウス・カエキリウス・ユクントゥスの肖像付ヘルマ柱(注1)」と題した一点は、そういう作りの作品にこれまで出会ったことのないチン作だった。大理石の四角な石柱の上に、六十過ぎの男性老人の青銅製の、皮膚の表情まで伺えそうな非常にリアルな首(それがユクントゥスなのであろう)が取り付けられ、その顔の下、角柱のほぼ中心に当たる位置に、同じ青銅で造られた陰茎と睾丸が、陰部を示す変形の銅板と一緒にぶら下がっているではないか。要するに、老人の風貌が、その陰部とだけでこちらをしかと見詰めているのである。
そういえば先ほどのポセイドンも、一寸小ぶりな作品「へルクレス小像」の岩に掛けたヘルクレスも、さらにはそれに続いた、神話的世界を扱ったフレスコ画先の風景画に比ベれば、どれも色彩が鮮明に残っていて見甲斐のあるものだったーの「アキレスとキローン」のキローン(注2)にしろ、「玉座に座るディオニソス」にしろ、「マルスとヴェネス」のマルスにしろ、すべて陰茎と睾丸を下げていて、今回は豊かなチン列を楽しむことになったようである。そのあと、青銅製の剣闘士の兜や臑当―幅二〇センチ・高さ五〇センチ位のものだったが、鋳造された鳥や仮面の細かな装飾が見事だった――や、盾を手に剣を構えた剣闘士の、二〇センチほどのテラコッタの小像が何点かあり、これも私には珍しかった。
珍しさで言えば、青銅の飲み物の加熱機や金庫、丈を伸縮出来る燭台や鋏やナイフや針などの医療器具、饗宴の場を飾った銀製の皿・椀・鉢・スプーン・カンタロスと呼ばれる左右に把手の付いた酒杯その側面に酒神ディオニソスの神話的光景がどれも細かに浮き彫りにされているーー等の食器類、それに、装飾が施されたグラスや椀や水差しや杯のガラス製品―その群青色は特別美しかったーーの纏まった展示が、往時の暮らしの一端を物語って興味が津々だった。
しかし、何と言っても、ポンペイの遺品といえば、フレスコ壁画と青鋼や大理石の像とであり、それが、決して全てが大作ではなかったけれど、三〇点と二〇点位ずつあったのは、この展覧会の見栄を十分に決めていたことにはなろう。、フレスコ画の中でも、二メートル近い「ディオニュソスとアリアドネ(注3)」や一、五メートル大の「スキロス島のアキレス(注4)」「タウリスのイピゲネイア(注5)」の神話的光景をダイナミックに描いた三点と、どれも五・六Oセンチの「宴会の情景」と題した、幾組かの男女が、寝そべるようにして饗宴の逸楽に溺れ込んでいる宴席の光景を描いた数点とが、ローマ人の生活の夢と現実の遊びの二局面を語って見せており、私には、庭園の草木や鳥を描いた風景画や魚介類や果実を描いた静物画などより、遥かに面白かった。
また青銅製の小さな彫像ーー全て四、五センチの台座の上に作られた二〇センチほどのものだったーーが何点もあったが、ジュピター、ヴィーナス、ヘラクレス、ミネルヴァといったギリシアの神々で、恐らくそれぞれの干支に応じた守り神として、部屋に置かれたもののように見える。像こそ小ぶりながら、それぞれの像の独自なポーズが、かなり細部まで鋳造されていて見飽きなかった。
同じ青銅の塑像でも、高さが一メートル近い「ディオニュンスと子供のサテュロス」や、五〇センチ位の、驚鳥を抱いたりラッパを手にした童子像を見ると、それらが室内に置かれるようなものではなく、庭を飾るためのものであろうことが直ぐ見て取れる。同じ背丈の大理石製のファウヌス(注6)やサテュロスの像も、庭の置物であるのが最も自然だと見える。同時に、また同じ背丈の大理石製の、側面に神話的情景を浮き彫りにした、クラテルと呼ばれる円柱型の大きな壷が何点もあったが、これこそ庭の水場を飾るに相応しく、それが人体像の働きを裏付けていた。
古きローマ人たちの暮らしが、神話というものに如何にどっぷり漬かったものだったか、如何に虚構の迷信的世界に現実の生の証しを見ていたか、そうしないと生きられなかったこと、それほど現実はおぼつかぬものと実感されていたことを、さらには、その実感が強烈なものであったればこそ、夜な夜な現を忘れて饗宴に溺れる自らの実態を描き残しもしたのだということを、こちらに語り立ててくる。
私は自分の心臓がひどく心細くなっていた。
(二〇一〇、八、一八)
注1
ヘルマ(Herma)とは、ギリシア神話の神ヘルメスの頭像のこと。古代ギリシアでは、角柱の前面に陽根のみを刻み、柱上に神々の頭像を乗せて、聖域や戸口に悪魔払いの門柱として立てたらしい。それが、ボペイ繁栄の頃には、個人崇拝的な用いられ方をするようになったということか。
注2
ギリシア神話の英雄アキレスは、半人半馬のケンタウロスの変身したもので、そのケンタウロスを教育したのが、医術・狩猟・音楽に秀でた少年キローンだったとされる。絵は、跪くケンタウロスに抱かれるように立つ、竪琴を持ったキローンを描いており、その陰部はまさしく少年のものとして小さく描かれていた。
注3
背中のマントを風で膨らませて、今まさに「クソス島に降り立ったディオニュソス(酒神バッカスに当たる)が、砂上に横たわって眠るアリアドネ(後に自らの妻となる女性)を目の前にして驚いている場面だが、そのアリアドネのはおっているマントを、羽を付けた二人のキュピドが剥がして、その裸をディオニュソスに見せようとしているところなど、如何にもロマンを意識した出来になっている。
注4
スキロス島とは、戦場で若死にすると予言された青年アキレスが、女に身を変えて隠れ住んだ島だが、そのアキレスが、島に来たオデュッセウスによって見つけられ、トロイア戦争に駆り出されることになる、事態の急変を描いている。部屋から逃げ出そうとするアキレス、それを後から抱きとめるオデュッセウスを中心に、侍女たち家の者の混乱ぶりが描かれている。
注5
タウリスは現在のクリミア半島に当たり、そこに持ち去られていたアルテミスの彫像を、神に命じられたオレステスとその従弟の二人の若者が取りにくるのだが、捉えられ生け贄として女神に捧げられようとする。その行事を司る祭司こそが、オレステスの姉であるイピグネイアなのある。画面は、左手に手首を縛られた二人の若者が描かれ、右手には、兵士を従えてその生け贄の捕虜を見詰める、椅子に掛けたタウリスの王が描かれ、両者の間の中央奥に、上体の色が消えかかっているのだが、どうやら左手にアルテミスの彫像を持った女性、恐らくイピゲネイアが、上半身を二人の若者の方に振り向けて立っている。この三人が、彫像を持ってタリウスからの脱出に成功する、その後の緊張の展開を暗示する気配を十分感じ取ることができる。
注6
森の神であるが、穀物や家畜の神としても捉えられる。ここでは、胸に農作物を抱えている。