七月二八日、展覧会見て歩きの幸せな一日になった。
上野へ出たその日の最初は、西洋美術館での『カポディモンティ美術館展』だった。
カポディモンティ美術館は、私の訪問願望が強い、ナポリにある美術館である。ローマやフィレンツェの様々な美術館に対して、ナポリは、ポンペイ遺跡の圧倒的な出土品を展示する国立考古学博物館が評判高く、カポディモンティ美術館は、その陰に隠れて、これまで殆ど紹介されてこなかっただけに、ミステリアスな興味が私にはあった。出展作品の多くが初来日のものであるだろうことも、その興味を深くする。
八十点の作品が、三つのパート、すなわち「イタリアのルネッサンス・バロック美術」、「素描」、「ナポリのバロック絵画」に分けられていて、順次見て行くことになった。
その「イタリアのルネッサンス」絵画の展示は、少年の横顔を描いた、二十センチほどの、マンテーニャが描いた「ルドヴィコ・ゴンザーガの肖像」と題した小さな作品から始まった。それが色の淡いテンペラ画であることもあって、目立った所の何もない、掌に乗せたくなる優しさで掛けられていた。少年の肖像は、黒をバックにして、どちらも赤レンガ色をした、ツバのない帽子と襟も飾りもない単純な衣装を身に纏い左向きに描かれている。帽子の下で切り揃えられた髪と目元とから、ルドヴィコが十三、四の少年であると伺われる。
私にとってのマンテーニャは、ミラノのブレラ美術館の、迫力の大きい「死せるキリスト」によって、決定づけられている(注1)画家であり、マントヴァのドゥカーレ宮殿の、「夫婦の間」の大きな壁面を、人物と風景の織り成す極めて写実的な光景で見事飾っていた、描写力に長けた画家である(注2)。その画家の、シンプルで穏やかなこの小品は、この隣から続くであろう、大輪の薔薇のように強い香りの油彩画の中にあって、菫の一花のような効果を持って、客を引く手立てを講じているのだが、それを微笑ましく思う。
現に、その数点後、私が一番魅力を感じる作品になった、丈が一メートル三、四十はあろう、パルミジャニーノの大きな「貴婦人の肖像」は、油絵具の色と艶とを遺憾なく発揮している作品だった。それは奥行きのある濃緑色を背にして立つうら若い女性像だった。髪を編んで纏め上げ、耳に宝石のイアリングを下げた、目鼻立ちのバランスのよい、細面のきりりとした美形はえも言われない。右手は手袋を嵌めて腰の前に置き、右肩から貂の毛皮が懸け下げられて、その貂の頭の白い歯が、まるで女の右手に噛み付きかかっているように見える。それに対して、素手の白い左手は小指に指輪を嵌めて胸の下に置かれ、ほの見える胸元の膨らみへこちらの視線を誘うかのように描かれている。つぶらな瞳でこちらを見据えるその姿からは、しかし気負いや険を感じることすら全くなく、何か声を掛けられそうな気配すらある。派手ではないが、臙脂と金と白磁色の仕組むゴージャスなシルクの衣装が、この娘っぽい顔立ちの女性に、たっぷりとしたゆとりを作り出している。私はその不思議なゆとりに包みこまれるように感じて絵の前を離れ難くなってしまった。どうやら、この絵のモデルを高級娼婦だとする解釈もあるようだが、それも含めて私にはこの絵が素晴らしい。
それに次いでは、ティツィアーノの「マグダラのマリア」に目を見張ったのだが、それは何よりも画集などで見慣れた、エルミタージュ美術館所蔵の「マグダラのマリア」像と同じヴァージョンだったからだった。暗い岩壁を背に、長くほつれた金髪を胸に抱くようにして、視線を天に向けて仰ぐ、衣を纏ったマリアの半身像は、肉厚豊かに描かれているけれども、決して性的触発を受けるようなことはない。マリアの脇には香油、前には髑髏の型通りの二品が置かれ、髑髏の上には一冊の本が開かれている。このヴァージョンには、マリアが裸身のものもあったはずだが、私にはこの着衣のものの方が好ましい。それはこのマリアが、聖母マリアとの対照の位置、つまり聖に対する俗の立場にある、まさしく贖罪を意識する現実の女の、象徴的存在として捉えられていると思うからだ。
この後、本展では「悔悛するマグダラのマリア」と題する二点に出会ったが、特に後半の「ナポリのバロック絵画」の項に展示してあったフセペ・デ・リベーラの七・八十センチの作品には打たれた。そこには、真っ黒な闇の中に、手にした頭蓋骨に口づけんばかりに面を伏せて、それを注視する横顔のマグダラのマリアの半身像が描かれている。彼女の肩から背中にかけては、優しく金髪が波打っているが、それは彼女の面差しの陰の表現と相俟って、まるで彼女の心の震えのさざめきであるかのように私には見えた。
ティツィアーノの後には、エル・グレコの「燃え木でロウソクを灯す少年」があった。それは五・六十センチの小品であるだけに、こころ癒される温もりを伝える。作品は題名通り、闇の中で、右手に持ったローソクに、左手に持った燃え木を近づけ、そこに息を吹きかける少年の半身が、その小さな炎の明かりに浮かび上がっている情景である。その手元などを見ているとジョルジュ・ラトゥールのロウソクに照らし出された作品を思い出すが、ラトゥールほどの研ぎ澄まされた透明感がない分、却って無垢な純朴さが滲んでいて嬉しい。
その後、中程に展示されていた、大理石やブロンズの彫刻作品や、多数の素描の中には、これはと思うような物は何も無かった。後半の「ナポリのバロック絵画」の作品には、一辺が二メートルはあろう大作が多数陳列されていて、それだけで結構な迫力を生んでいたが、そんな中で、私を捉えた作品が何点かあった。
そのうちの二点は、明らかに、光と影の天才カラヴァッジョの影響が顕著な、マティアス・ストーメルの作品である。どちらも宗教画の題材として西欧で作例の多い、「羊飼いの礼拝」と「エマオの晩餐」の横長の大作である。言うまでもなく前者はキリストの誕生にかかわっており、後者はキリストの復活に関わっている(注3)。そして前者は誕生したばかりのイエスが光源であり、後者はテーブル上の灯明台の口ーソクが光源になって、それを囲む人々、つまり、前者では幼児を見せる聖母と、その幼児に親しげな眼差しを注いでいる四人の羊飼いの男たちを、後者ではパンの上に手を置き祝福するキリストと、彼が復活したキリストだと気づいて驚きの眼差しを送る三人の男たちを、それぞれ暗がりの中に浮かび上がらせるように描いている。
この闇の中の祝福の図に対して、私が心引かれた別の二点は、西欧の典型的モチーフであるユディットのホロフェルネス虐殺の図であった。ユディットの絵についてはかつてクラナッハの作品をもとに書きもした(注4)が、今度の作品は、「ユディットとホロフェルネス」と題したアルテミア・ジェンティレスキのものと、ただ「ユディット」と題したマッティア・プレーティ作の二点であった。ジェンティレスキの名前だけは記憶にあるものの、プレーティの名前の記憶はない。どちらも縦長の作品だったが、プレーティの方がジェンティレスキのより一回り大きい。但し、迫力はジェンティレスキの方が断トツに大きかった。それは、その絵の内容による。
内容とは、寝ていて抵抗する逞しい肉体の武将ホロフェルネスを、若い侍女が上からのしかかって圧え込み、横からユディットがそのホロフェルネスの頭を圧え、手にした刀で今まさに首を切り落さんと力を掛けつつある光景のことだ。しかもそれが、三人の人物の剥き出しの腕の交錯、侍女の赤い衣装とユディットの青い衣装、ベッドの白布に流れ滴る血の赤によって印象を強烈にしている。
それに対して、プレーティの方は、目的を遂げた直後のユディットの虚脱の瞬間を捉えており、それだけ、ダイナミックな迫力には欠ける。こちらの絵では、天幕の中の、ベッドの上の中央にだらりと腕をこちらに垂れ、首を失って伏せた肉体が描かれており、その左側にユディットがホロフェルネスの首を膝に置いてベッドに掛けている。さらに左隅の彼女の足許の暗がりには、侍女が跪いてその首を持とうと手を差し伸べている。天幕の外から差し込む光りに向けられたユディットの目頭には涙の一滴が、私の目に見える。こちらの絵では、ユディットの着衣は矢張り青で、それが、打たれたホロフェルネスの下半身を覆っている赤い掛布とのコントラストを通じて、ユディットの心中を語るかに見える。殺された夫の仇を打ったことが決して喜びには繋がらない、その苦渋の佇まいが見えてくる、そんな絵だった。
なぜかジェンティレスキの残酷のド迫力が、プレーティによって償われるようにセットされているかに思われ、それが、この展覧会の印象をうまく締め括っているような気がした。
その他にも、女好きの私には、聖アガタを描いた二点と聖カエキリアを扱った一点が、素材としての珍しさもあって、興味深く見入る作品になった。前者は、神に純潔を誓って結婚を断ったために乳房を切り落とされる聖女であり、後者は結婚しても貞潔を守って殉教した女性で、音楽の守護聖人になっているらしい。切られた胸に白布を当てて意識を失いかけているアガタ、足許にヴァイオリンを置き、呼びかける天使を仰いで法悦の境に入るカエキリアの姿に、絵に遊ぶことへの喜びを味わうことができたのである。
それにしても、イタリア・ルネサンスからバロックへのこうした絵画は、私にとって新しい絵を見ることができた喜びはあるにしろ、一体現代の我々にどんな意義があるのだろう。
答えかねる不思議を胸に、私は美術館から解き放たれる時の新鮮な喜びを期待し始めることになる。
(二〇一〇、八、七)
注1 この絵については、志賀直哉が、「イタリヤの美術館巡り」の中で、その「驚くべき迫真力」に「すっかり感服して」しまったことを記しており、その影響もあって、一九九七年の正月、ミラノを訪れた際、ブレラ美術館を訪ねてこの作品の前に立ったとき、他の死せるキリスト像にはない独特の暗い魅力を私も感じ、強い印象を刻むことになったのである。
注2 このドゥカーレ宮殿を訪れたのは二〇〇六年三月のことである。マンテーニャは、一四六七年、マントヴァのゴンザーガ公のお抱え絵師となり、保存のよい見事な壁画を多数残すことになった。この小品はゴンザーガ家の息子を描いたものだということになる。マンテーニャは、マントヴァで一五〇六年に没している。
注3 どちらも、新約聖書「ルカ伝」に記載されている話である。
注4 「可憐なユーディット」と題して、『緑』の平成十七年三月号に記している。