絹谷幸二の絵を初めて目のあたりにすることができた。
彼については、もう何年も前、あれは多分NHKの「世界わが心の旅」というテレビ番組であったろう、イタリアはヴェネチアへ留学しーーローマやフィレンツェでなかったところが面白いーー、その地のアカデミアでフレスコ画の研究生活を過ごして名をなした画家であることを、彼自身の故地、ヴェネチア訪問の映像を介して知った。
放送の中で、そのフレスコ画の研究のために、絹谷は、ヴェネチアからパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂へ通ったものだと語っていた。その礼拝堂のフレスコ壁画群が、ジョットの残した代表的傑作であることは、既に「オフィーリアを超えてミレーをみる」で触れたが、絹谷はそのジョットのフレスコ画の青に魅かれ通ったと回顧していた。
彼自身が、留学当時の下宿やカフェを訪ね、昔の絵仲間と語らい、今在る自己への影響などを顧みるレポートは、自分が僅かな時間ながら、ヴェネチアの街をほっつき歩いた親しみがあるからであろう、結構見ていて面白く、そんな彼がどんな作品を描く画家なのか、気になっていたのである。
その絹谷幸二の展覧会が、年末から新春にかけて高島屋 で催されることを知って、二〇〇九年の自分の初詣ではこれだと心に決めてかかった。
その矢先、例の友人Oが、その招待券を、これも新春早々始まる松坂屋美術館での「大三国志展』の招待券と一緒に、二枚ずつ送ってくれたのである。もう絹谷幸二の初詣では欠かせなくなった。
一月五日、私は妻と高島屋へ出掛けた。尤も初詣での前に、私達は駅前のミッドランドスクエアのJTBの旅行店を訪ねた。かねてより思いをかけていた同社企画のインド旅行についての説明を受け、得心して二月十二日発、八日間の旅の予約を済ませた。だから、新たなインドの旅に対する心の浮揚が、展覧会の見物に大きな影響を齎したであろうことは、充分考えておかねばなるまい。
それにしても、絹谷幸二の作品は、初詣で宜しく、まさに正月らしい華やぎと賑やかさをもって私達を招き寄せてくれた。それは、昔門付けにやってくる漫才師に手渡したような、お捻りの一つでも投じたい気分を齎したのである。
つまり、それほど絹谷の絵は、祭礼的で大衆的な活気に溢れていたのである。
実際、展示は、日本国内の代表的な祭礼を扱った作品群から始まっていた。それは、京の祇園祭であり、岸和田のだんじり祭であり、浅草の三社祭であり、博多の祇園山笠祭であり、阿波踊りであり、東大寺の修二会であり、唐津のおくんちであり、相馬の野馬追祭であったのだ。
それがどれも、写実ではなく、具象的な表徴性をもって描かれている。
それらの絵は、思わず全体の印象として「赤いッ」と思わせるものだ。「赤」がエネルギーの爆発的発散であることを、その動的筆づかいによってこちらに訴えてくる。
絹谷が興味をひかれたという「青」は、どの絵にも、ジョントの壁画の場合と同じく、背景的に使用されていて、その青だけに目をと注げば、研究の成果を充分認め得るほどの澄んだ深さなのだが、それに気づかないで済んでしまうほどに、背景的な支えの色に徹した用いられ方になっている。つまり、それだけ活動的世界の「赤」が納得しやすいように「青」が仕組まれていることになるわけだ。しかも作品はどれも一辺が二メートルはあろう大きな作品なのだから、動的な赤い色彩の迫力には否応がないことになる。
そしてこの赤の迫力の祭礼的「動」を際立たせるために、絹谷は、いくつかの絵の中に、祭りの囃子詞を、文字そのものが踊っているようにマンガ調に描いている。「龍鬼渡海・博多祇園山笠」では、「前切れ前切れ、おいさおいさ」の赤や黄の文字が、「乱舞・阿波踊り」では、「同じあほなら踊らにゃそんそん」「祭りだ祭りだ、わっしょい、あらよ、はいはい」の多様な色の文字が、画面に踊っていて、祭礼が巨大マンガ、巨大劇画になっていると言ってよい。劇画的に描くことで、絹谷が祭礼に見込んでいるものがドラマであることが分かる。と同時に、劇画的な表現によって、「劇画」そのものへの挑戦になっていると見ることもできる。
そう見ることができるのは、囃子詞の文字のない作品によって裏付けられもする。
例えば、それを「炎炎・東大寺修二会」の絵で証してみれば次のようになる。
この絵は、あの二月堂のお水取りの、夜のお松明行事を描いていて、大松明がお堂の屁の下を、それに火が燃え移りはしないかと思われるほどの炎を上げて突っ走るその光景を、例年、テレビで堂下から仰撮して紹介する、丁度そのアングルで仕上げている。この絵の主役は、この大松明の燃え上がる炎の赤で、その赤が、画面中央を右から左へ、堂下に火の粉の糸を引きながら走って、左の軒下で、屋根上の夜空にまで上がる炎の爆発となって暴れている。
如何に残像が目に残ろうと、炎が左の端に達したとき、右端の炎の残像までが残ることは考え難い。ここに描かれた炎は、残像を超えた走る炎の時の流れ、言ってみれば炎の激しい鼓動の命脈を描いていることになる。眼前の現象を描いているのではなくて、時間の中で動く炎という生き物のドラマを描いていると言っていいことになる。
そして、この大きく横一文字に走る炎と靡き落ちる火の粉の「赤」を支えるバックの夜の世界には、堂の屋根の上と堂下の闇の中に、何と、二匹の巨大な龍が、どちらも頭を左にして大きく波打っているのだ。その「青」を主体にした鱗や鰭の動き様は、夜の闇と溶け合って、表の大松明の祭りに応じた、裏に蠢く祭りの表現に他ならない。祭りは龍の舞う夜が生み出す大松明の光の演舞と考えることもできる。
これが、祭礼のドラマ化、劇画でなくて何であろう。
ところで、これらの作品が、表示プレートの作品題名の下に、どれも「油彩」ではなく、「ミクスト・メディア」と記されていたのだが、始めて聞く言葉で、さっぱり分からない。
これは、絹谷が研究したフレスコ画の技法の、油彩とは異なる現代的な絵の具の調合技法なのだろうか。確かに油絵具ほどの光沢はなく、かと言ってフレスコ画のように乾いてかさかさした感じもない。
それに、見て行くうちに、この祭礼作品の製作がどれも「二〇〇八年」とあり、去年の作品だと分かる。つまり、絹谷は、少なくとも、ここにある大作と呼んでよい八点の祭礼画を、一年間描き続けてきたということになる。そこに画家絹谷の辿り着いている現在があるということになり、祭礼画は絹谷 的現在の表徴なのだ。
展覧会は、これに続いて、「賛歌」「愛(エロス)」「スポーツ」と、各テーマごとにそれぞれ何点かの作品が掛けられていたが、どのテーマの作品も、最初に得た強烈で動的な「赤」の印象に括られており、そこに既に劇画的・アニメ的な表現手法が採られているのも始めの通りあった。つまり、お祭り気分旺盛なのである。
「賛歌」では、「富嶽龍神飛翔」と「ヴェネチア朝陽・希望」とが心に残った。前者は、真っ白な富士と、それを取り巻く二疋の龍の、天空一杯にうねり踊る「赤」の氾濫によってできていおり、後者は、神谷の馴染んだヴェネチアの水に浮かぶ俯瞰された街が、水平線上に上った真っ赤な太陽に、赤く染まっている光景が描かれていた。富士の絵のダイナミズムは、私に片岡珠子の富士を思い出させ、ヴェネチアの赤には、その街への今も続く絹谷の憧れがほの見えて微笑ましくなった。
また、「スポーツ」の項には、長野冬季五輪用ポスター八点の原画が展示され、自分の記憶に残るポスターが絹谷の描いたものだったということを始めて知った。特に「銀嶺の女神」の赤と黄の明るさは、画面一杯に描かれた女性の顔の若やかな命を伝えて、気持ちの良い印象として残っている。しかも、そこには、口元に音符記号が踊り「ららら」の文字も見えることに、改めて気付かされた。背景の雪をかぶった信濃の山並みを低くして、女性の顔の背後を埋めた青は、まさしく冬晴れの空を伝えて遺憾がない。そして、こういう青を見ると、ジョットのフレスコ画の青が、絹谷的ミクスト・メディアの青として、現代的に再生していると思われ嬉しくなる。絵は一メートルほどの大きさでよりないが、細谷は、空の広大さに連なる、青が持つ深い広がりのイメージを表すことに成功していると言ってよい。
その後、「人間」の項では、裸婦を解析的に描いた初期の作品もあったーー祭礼的活力に溢れた作品に見慣れた眼には何の刺激も齎さなかったーーが、中にあった三点の、縦二メートル、横二メートル五十はあろうという大きな自画像には驚かされた。七七年作のものは、凧が上がる真っ青の空を背に大きな瞳を見開きこちらを見る顔だが、その、絵の具筆を口に咥えて、鼻下と顎に黒い髭を生やした顔は、竹で組まれた型に貼られた張りぼてとして描かれている。〇五年と六年に作られた二点は、五年作の方には、左下に「色即是空」の文字が大きく遊び、六年の方には、「空即是色」の字が同じく左下に書かれているところからすれば、表裏一体となる二点で あろう。「色即是空」は、青い星空に己の顔が大きく赤と黄で浮かび、その周りには、水の都ヴェネチアの建物のあれこれや、妻子との家族三人の肖像や、口づけを交わす恋人二人の横顔が、よみがえる記憶のように浮かびでている。それに対し、「空即是色」は、暗灰色の背景に、コーヒー・ブラウン肌の大きな顔が、その青い唇に赤い薔薇の一花を咥えて描かれている。見開かれた大きな眼は瞳の眼差しも定かならぬ暗黒に塗り潰されている。そして、その顔の周りには、家族三人の影や聖堂の影も描かれているが、原爆の煙雲の如きものや、戦闘機の姿も見え、何よりも、首の襟を巻くように大きな鯰と、二疋の怪魚の頭の描かれているのが、奇妙である。
この奇妙さ、言わば、不穏不安な世界の環境から逃れられない存在としての自己を、実感すればこそ、展覧会は「祈り」と題した主題の作品によって締められることになるのだろう。
そこには、深い群青の空に浮かび立つ風神と雷神が、テレビの埋もれた砂上に倒れ臥す男を見下ろしている「蒼穹夢譚」、真っ赤な太陽と陽光の中、鶴などの鳥が舞う天空に、笙を吹くもの、鉦鼓を叩くもの、舞を舞うもの、三体の飛天を輝き描いた「天空の調」、吉野ででもあろうか、花咲く山並みと、そこに上る満月を下界に俯瞰して、満天の星空に蓮華を手にして立ちのぼる観世音菩薩像を描いた「天空の華」の、どれも縦二メートル横二、五メートル位の三点と、縦二、五メー トル横六メートル位の壁画的大作、すなわち、中央に立つ「温顔慈悲阿弥陀如来」が、左に「白牛大威徳明王」、右に「降摩剣不動明王」を従えて、火炎のなかの巨大な龍を背景に描かれている「菩提心」と題する作品が展示されていた。
そこにあるのは静と動、青と赤との織り成す、安心立命の世界への祈りである。
それが、宗教的にではなく、まさに劇画的色彩的絹谷的表現として願望されているわけだ。それが、無論、絹谷自身の自己顕示、自己宣伝の願望=祈りであることは、言うまでもない。
ともあれ、ジョットの青に学んで、祭典的に氾濫する赤の世界が、劇画的現代の表現として創造された、絹谷のダイナミズムに、私は乾杯しよう。
この『絹谷幸二展』のあと、いま一枚Oから貰った『大三国志展』の方も、昔、小学校の頃、講談社が出していた『三国志』で親しんだ、さまざまな著名な場面やエピソードを懐かしく思い出して見に行ったのだが、展示は、懐かしい昔に漫ろうとする期待を見事に裏切るもので、悪い酔い醒め気分で帰る羽目になってしまった。
しかし、Oには、絹谷幸二を楽しんだこともあり、謝意を伝えておこうと帰宅後電話をした。すると、電話口に出た奥さんから、Oが、病を発して臥せっていると知らされた。大したことは無さそうだったが、その声に接し得なかったせいで、彼が私から少し遠ざかったように思われ、あゝ、こういうのが自分のような老年の正月として適当しているのであろうかと、受話器を置く手が重くなった。
すると、絹谷のせいか、何故か、ひたりひたりと細やかな波が建物の岸に打ち付けるヴェネチアの街の光景が目に浮かんできた。そして、その細やかな波の襞は、間違いなく過ぎてきた時の刻みの音に私には感覚されてくる。
(二〇〇九、一、一五)