川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

聖アントニウスの誘惑への誘惑

 「出タラメな画が描きたい」とは、七月一日放映のNHK日曜美術館に従えば、画家古賀春江(一八九五~一九三三)の述懐だったそうだ。お蔭で、彼が日本のシュールリアリズムを代表する画家として、その名を今日に残し得たのは慶賀の至りだが、現実の秩序や約束を「出タラメ」にして現実を描くことは、その現実に縛られてしか生きえないでいる人間にとっては、甚だ厄介で簡にできることではない。彼には、色と緑とを記号のように使って抽象的に描くというのとは違って、「出タラメ」にしようと欲する現実との違和を2人以上に強く感じ、それへの強い拘わり職が働いているはずである。その意味では、シュールリアリストは、並の人より激しく現実に呪縛された、現実に対する拘泥の熾烈な人物だと言ってよい。超現実主者とは、チョー、現実拘泥者の謂なのではないか。

 それが証拠に、ダリの絵は、男や女や、馬や鳥や、さまざまな器具類に、それらにどのような変形が加えられたにしろ、最後までそれらに拘り捉えられ続けて生々しい。それに比べれば、畢竟、区切られた色違いの四角な面の組み合わせによる抽象的な画面に到達したモンドリアンの絵には、最早モンドリアンという人間の生々しさを実感することはできない。もし、モンドリアンの手柄を言うとすれば、個人の価値が殆ど無化してしまった現代に相応しく彼の絵が機能しているということであろう。

 ところで、古賀春江が憧れた「出タラメ」な世界は、現実の条理というものを逸脱破壊してしまった世界なのだから、それこそ、不条理な世界ということになる。ところが、現実とは、本来その中に、条理を超えた不条理な暗部を抱え持っていてこその現実であり、だから、日常しばしば、「打ち ようもなく、「絶句する以外にない不条理に我々は出会いもするわけで、そのとき、人は「ナンデー?」と叫び、加えて「ウッソー!」と驚嘆するのを常とする。つまり、出会った不条理への当惑だけでなく、それへの感動も人間には存在するということを、それは誓っているわけだが、この不条理「出タラメ」な世界の表現が齎す不思議な感動を、私は、前のロー・コレクションの展覧会で体験していた、ヤン・マンディン(一五〇二~一五六〇)という画家の「聖アントニウスの誘惑」(一五四〇~一五五〇作、縦四〇×横五九センチ)という作品に出会っていたのである。

 私は、マンディンについては何の心当りもなかったが、「聖アントニウスの誘惑」という題名の方には心覚えがあった。心覚えは、その題名を持つ三つの絵画によっていた。その一つはヒエロニムス・ボッシュ(一四五〇~一五一六)のものであり、二つ目はマティアス・グリューネヴァルト(一四七 四頃~一五二八)の作品であり、もう一つはベーテル・ブリューゲル(一五二五頃~一五六九)のそれである。

 リスボン美術館にあるというボッシュの、中央と左右のパネル三点から成る「聖アントニウスの誘惑」は、画集で見たに過ぎないが、その中央の一枚を、殆ど同じ図柄で描いた問題の別の一点があって、それは、一九七九年、愛知県美術館で開かれた『サンパウロ美術館展」で見知っていた。またブリューゲルの同題の作品は、半紙大の版画で、もう三〇年も昔の一九七二年に、同じく愛知県美術館で催された「ペーテル・ブリューゲル展』で見知っていた。これに対してグ リューネヴァルトのその題の絵は、ウンターリンデン美術館にあるという『イーゼンハイム祭壇画』の中の一点で、これ は画集によって知るに過ぎない。

 話が横にそれるが、この『イーゼンハイム祭壇画』の両翼 を畳んで閉じたときの中央最大の画面は、「キリスト磔刑図」で、この磔刑図こそは、グリューネヴァルトから私を離れがたくさせてしまった実に禍々しい作品なのである。禍々しさは、十字架上に釘づけにされたキリストの肉体的痛苦の表現として、その残酷と悲惨においておそらく右に出るもののない、顔を背けたくなるほどの物凄さに与かっている。全く、怖いこの絵に逢うためならば、私は美術館のあるフランスの片田舎の町、コルマールへ出掛けることも厭うまい、それほどの絵である。

 それに比べれば、同じ祭壇画の中の一点とはいえ、「聖アントニウスの誘惑」に描かれた、横にわる僧衣姿の老アントニウスに、ありとある魑魅魍魎どもがとり囲み襲いかかろうとしている面は、当の化け物どもの得体の知れぬ物々しさに も拘わらず、磔刑図のキリストはどの怖さも淒惨さもない。

 それあってか、私は、「聖アントニウスの誘惑」としては、「ブリューゲルとポッシュの方に、より愛着を感じているのだが、一体、この二人の作品の、グリューネヴァルトとの最大の違いは、パースペクティブの扱い方にあり、描く対象に対する描き手の眼の位置の差にあるのである。グリューネヴァルトの眼の位置は地上にあって、そこから見上げられるように描かれているのに対して、ボッシュとブリューゲルの眼は、中空の高さにあって、この二人の絵の殆どの作品に通有することだが、空飛ぶ鳥の赤みから見遥かされた文字通の鳥瞰的世界像として描かれている。つまり、眼の位置からして既に、現実の生から浮遊した「出タラメ」になっているところが面白い。その眼のせいで、二人の絵は、画面一杯、殆ど漫画的に滑稽と言ってよいほどの雑多な魑魅魍魎どもの、跳梁跋扈をほしいままにした、これまた殆ど牧歌的と言ってもよい喧噪を描いて無類である。グリューネヴァルトの絵では、魑魅魍魎どもは、すべて型アントニウスを襲ものとして画面に収束しているが、ブリューゲルとボッシュの二点では、魑魅魍魎どものあらかたは、型アントニウスなどそっちのけで勝手にところ構わず戯れ狂っている。最早、化け物どもに襲われ、魂を悪魔どもに誘惑されようとする聖アントニウスを描こうとする、グリューネヴァルトの主題性の顕著さなどはなく、何が描かれているかの説明を遥かに超えたところに、この二点の出来があるのである。

 そして、今度新たに見たマンディンの作品は、このポッシュとブリューグルの絵に繋がるものだと一目で分かるものだった。ただマンデインのこれは、喧噪を殆ど感じさせない夜の闇の世界として描かれているところに、二点と違った新鮮さがあった。

 それにしても、「聖アントニウスの誘惑」と題された絵は、アントニウスという人(二五一頃~三五六頃)が夢に見た、彼を誘惑しようとする魔物たちの跋扈する世界を描いたものだということになっているのだが、こんな夢を見るからには、聖アントニウスという男、余程の強迫観念に捉えられていたに違いない。この男は、若い時両親を失って家を捨て、ナイル河畔の砂漠の中の洞窟に、二十年もの長きにわたって一人隠遁生活を送ったというのだが、外へ向かって発しようとする人間の生理の自然に全く背きながら、しかも無辺広漠の砂の世界に生きてこそ始めて体験される生理的惑乱なのかもしれない、どうも私にに隠者としての超俗を志すゆえの世俗的欲情との精神的葛藤と割り切るには、絵がそれを拒んでいるように思われる。

 絵は絵であることにおいて生理的なのであり、生理的であ ることにおいて、これを夢見るアントニウスという男の実在 を確信出来もするのだが、そう思ってこのマンディンの絵を見ると、画面左手の、頭巾つきの道順を身に纏って巨木の 根方に身を寄せる老アントニウスの、丁度対極の右手の木の 幹に、馬手に鏡を翳し弓手で頭上の砂時計を押さえている、 萎びた乳房の裸の老婆が描かれているのなどは、砂時計や鏡の象徴的記号性にもまして、老いさらばえた老妻の肉体のリアリテイに作者マンディンの真骨頂が発揮されていることが直見されて嬉しい。このリアリティがあって、絵は観念的な 税明画への堕落から自らを救っている。

 それにしてもまた、頭部は既に髑髏と化しつつある裸の萎び婆に相応しく、僧侶姿の聖アントニウスも、相当な老爺に描かれているのを見ると、かほどに年老いてなお、夢魔そのものもまた老いさらばえるまでに、夢魔と付き合い夢魔に苛まれなければならないことを、これは表現しているのではないかと思われてきて、だとすれば、一体どこがアントニウスの「聖」なのかと首を捻りたくもなる。つまり、この絵は、いかように道を志そうとも、生あるうちは、夢魔から解き放たれるなどということは有り得ず、夢魔に捉えられ続けて死ぬのが人の生涯というものだということを、物語っているようにも見えてくる。

 聖アントニウスは、数多の修道院を建立し修道僧の戒律を規定して、後世、修道生活の規範を作った功により聖者の列に加えられたとされるが、そのような者にしてなお、夢魔からの解説は与えられないことを、これは語っているわけだ。さらにも言えば、そのように夢魔から解放されえないこのアントニウスという男は、果てしない砂に覆われたエジプトという大地に深く関わって始めて存在しているように思われ、あらためて、キリスト教がエジプトに隣接しエジプトと相似た風土のイスラエルに発していたことを思わないではいられなくなったのである。

(二〇〇一、二、三一)

 

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