川柳 緑
559

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

師走の愛しきプレゼント
    ーまたもロートレック賛歌ー

 今年二〇〇七年の私の美術展見て歩きは、地元で見た二つの展覧会で締め括られることになった。年毎に薄暗さを内に溜め込んでいくこの年頃の私からすれば、この締め括りは、怱々暗鬱、気ばかり落ち着かぬ年の瀬の時空から、たとえ一時にしろ私を救ってくれたのである。その一つは、十一月二十四日、妻と出掛けて松坂屋で見た『キスリング展』である。

 キスリングについては、彼がエコール・ド・パリの画家達の一人であることと、その色鮮やかな若い女性の肖像画と裸婦像によって評価の高い、ポーランドはクラクフ出身の画家だという茫漠曖昧な認識以外には、何一つ持ち合わせがない。

 だから、特別な期待を持つこともなく、暇潰しに町に出る遊び気分で出掛けただけである。ところで、期待をしていない分、些かなりとお気に召せばそれだけで嬉しさ百倍、とまではいかなくても、何倍かの儲け気分になるものだが、見事その気分になったのだから妙である。

 まず、机上の果実や花瓶の花を描いた静物画が、結構多いのに、私の既成概念が、修正を迫られることになった。

 明かに眺めるセザンヌ的色彩を踏まえてキュビズム的構図に傾き拘る道筋を辿った揚げ句、作り物然とした色彩で描かれた果物や花は、まるで店頭に飾る商品模型のような静物画として仕上がっているのである。それは何処か玩具のような佇まいを持っていて、文字通りの「静物」という印象を私に齎す面白い絵だった。

 エコールド・パリの画家たちのアイドル的存在だったモデルとしてのキキの名は、あまりにも著名で、藤田嗣治も彼女と付き合い、彼女の裸婦像を描き残しているのだが、キキと交渉を持ったキスリングの彼女の裸婦像は、夙に知られた彼の代表作として評判が高いので、ひょっとしてと当てにしていた。だが、それは虫のいい願いに終わって、キキを描いた作品は、「赤いセーターと青いスカーフを綴ったモンパルナスのキキ」と、「赤いワンピースを着たモンパルナスのキキ」の、上半身の肖像画二点が出展されているだけだった。どちらも衣装の赤によって、キキという女性を表微しているのだが、前者は一九二五年、後者は三三年に描かれている。二作のうち、後者の方がその髪形も顔立ちも少女っぽく、前者の方が、髪形も、面長に描かれた顔立ちもしっとりした大人っぽさで描かれていて、年をとるにつれ無邪気になるキキという女性がそこに見え、そこに男達の視線に晒されて生きる女性の男性に対する表現の一典型が見られるように窺われ、それがまた面白い。

 肖像画としては、他にも、オランダの風俗衣装を身に纏った二点の「オランダ娘」という作品があったが、これがまた、見事静物画同様、作り物然とした商品模型のような色合いの面白さを備えた仕上がりになっているのだ。

 この作り物の模型ということに引っ掛かった時、私は、キスリングの描く女性達の大きくくっきり描かれた瞳の全てが、無表情で焦点の合っていない虚ろなものであることに気付かされた。そして、その眼という命の虚を、虚であればこそ成り立っている色彩のキスリング的実によって包み取ったところに、彼の絵の魅力の秘密があったのだと、私は勝手に自得する。

 そして、何といっても私がキスリングに待っていたのはその裸婦像だったのだが、今度お目にかかることができたのは、何と「女優アルレッティの裸像」だったのである。

 アルレッティ。それは、まだ大学生だった私に、中年女性の魅力を遺憾なく知らしめた、フランスの大女優だったのである。女優としての彼女の名は、マルセル・カルネの映画、『天井桟敷の人々』におけると貫禄の演技によって、忘れてられないものになっていたのだ。

 映画の最後、雑踏の群衆の中に姿を消していく、アルレッティ演ずるガランスを探し求めて、その群衆をかき分けるジャン・ルイ・バロー演ずる青年バチストに、殆ど自分を同化させて見ていた、暗い館内の遠い昔の自分の姿を思い遣ることが今もできる。

 そのアルレッティの裸体像が横たわっているのだ。映画を見たとき、彼女は四十過ぎに見えたが、それが正しいとすれば、この絵の作られた一九三三年というのは、『天井桟敷の人々』の時より十年若い、彼女の三十過ぎということになろうか。

 乳首の立った乳房を見せて長くしなやかに仰臥しているアルレッティは、こちらに向けている顔立ちが、映画で記憶している彼女の風貌などをまるで持ち合わせぬ、人形のような。顔付きをしている。それだけに、生々しく描かれた全裸の女体は、正にイズムと化したエロスの表現になっているように見えた。そしてそう見えるのは、紛れも無く性的イズムの虚と化した裸体を取り巻く、長椅子の派手なシーツやバックに掛けられた錦糸絢爛のカーテンの色彩の、今度は、不思議なほどリアルな表現に負っているのだということが分かる。

 実の虚を、虚の実が包むこの表現技法は、アルレッティの裸像より一回り小さい「赤い長椅子の裸婦」、「赤毛の裸婦」の二点によっても充分裏付けられることだ。

 やるものだと、私は、キスリングに脱帽した。と同時に、あらためてキスリングの色彩の抱える重みを、重みとして受け止めることが出来たように思ったのである。 さて今一つは、十二月十八日、『ロートレック展ーパリ、美しき時代を生きてー』を、県の美術館に観に出掛けたことである。

 その日は、今年最後の仕事のあった日で、午前中にそれを終えて栄に出、地下街のトンカツ屋で、好物のトンカツ定食を注文し、定番の蜆の味噌汁と山盛りの千切りキャベツとでゆっくり腹を満たしてから、一人で出掛けたのである。

 そして、よかった。

 ロートレックの過ごした世紀末の時代的・文化的環境というものが、当時の多数の写真や雑誌、夏には彼以外の作になるポスターやによって、ロートレック作品との関連で展示され、お蔭で彼の作品が、いつになく温もりを伴って実感され、彼への慕わしさが一段と近しいものになったのである。

 温もりとは何か。写実を主体にした印象主機の時代から、やがて訪れる、物の解体と再構築に根差す表現主義的な二十世紀へと移行する、その狭間の混乱が、まさに、そういう時代を終徴するかのように、いびつな身体を持って登場した芸術家、ロートレックという男の営為に集約されている、そのことに発するものだと感覚する、その感覚である。それが三百点に及ぶ出展によって、ひたひたこちらの肌を潤してきたという訳だ。

 そして、この過渡期の時代の慌ただしさが、ロートレックの作品の動きの甚だしい、慌ただしい表現のスタイルに結晶していることが、こんなに納得できたのは初めてのことで、私にとっては好ましい企画展だったことになる。

 出展の中には、二十点近い日本の浮世絵の展示もあって、そこに出展されていた作品のどれがどれにという訳ではなかったが、例えば女優イヴェット・ギルベールの幾つかのポーズを描き止めた下書き風スケッチ作品などを見ていると、そこに紛れも無く浮世絵の人物のポーズが生かされていることを素直に認めることができた。と同時に、その素早い鉛筆の走りがそのまま残るイヴェット・ギルベールのポーズの次々に、全く静止のない、被写体のみの動きそのものを、瞬間的な存在として定着させようとする試みが、否応無く認められて、ロートレックが浮世絵の人物のポーズに発見したものが、それまでのヨーロッパの、肖像画を中心にした人物像にはなかった、瞬間的な動きの表現というものだったことをよく物語っている。動いているということこそが、ロートレックにとっての世界というものの本質だったのである。

 世界が動き続けるものだという認識は、全てのものの定着は一瞬のものでしかないということだ。ということは、この世が永続性を持たぬ瞬間的なものだということだ。仏教的無常感などという中世的なものを超えた性急さで感得させられている、瞬間こそが生の現実だとする観念、それこそが絵を支えるロートレックの持ち味だったという訳だ。

 その瞬間こそを絶対だとする持ち味が絵画化される時、口ートレックを代表する二つのテーマの一つがムーランルージュの喧噪の一瞬であり、他の一つが娼館の娼婦達の一瞬ということになる。即ち同じ夜の世界における陽(表)と陰(裏)の瞬間の表現に、その持ち味は結実した訳だ。

 そして、その動く世界の一瞬を画像に定着させ、そこに浮世絵の面としての色彩の用法を、浮世絵以上に単純化した色彩の面に処理して定着させた時、彼独自の世界にまで結晶した、ロートレック自身の浮世絵、即ちロートレックのポスターが出来上がったのである。そのことは、同時に展示されていたジュール・シェレやマニエル・オラジのポスターと比べてみれば歴然と分かることだ。

 今回、華やかで賑やかな世界を描いた大ぶりなポスターは「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」と「ディヴァン・ジャポネ」ぐらいしかなかったが、あらためて、面として処理された色彩と、動きの一瞬を定着させた構図との齊す魅力に敬服せざるをえなかった。

 そして、動いていることこそが世界だと認識されていたとすれば、彼の作品に、印象派からその頃までの画家達の作品のように、しっかり絵の具で画面を塗り込んだ、それだけ不動の定着性を作品に目論んだ油彩画などというものは、少なくなって当然ということになろう。

 彼の油彩画の多くが、塗り残した空白の部分をそのままにして終えられていたり、隅まで塗られていたとしても、着彩はポスターのリトグラフのように面的に処理されず、筆の線の走り重ねによって色彩的処理をしているのは、つまりは、そこに作品のスピードと瞬間性とを表現しようと意図していたということになろう。

 そして今回、かつてその出展の乏しさを嘆いた、ロートレックとしては油彩画の大作と呼べるような作品が、十五点ほども出展されていて、この展覧会の充実振りを裏付けていたーが、「黒いボアの女」の肖像画や「束の間の征服」の娼婦像は、塗り残しのあるまま終わっているにもかかわらず見応えある出来であるし、「女道化師シャ=ユ=カオ」や「ベルト・バディ」の女性像などは、画面全体の線の走り重ねによって、瞬間的即席性が実感出来る仕上がりになっていて、まるで焦ったように描かないではいられなかったロートレックという画家の特質をよく表明していた。

 デカダンスという言葉に象徴される世紀末を駆け抜けるように生き、二十世紀の到来と共に三十六年の生涯を終えた口ートレックは、正に世紀末らしく自己を表現したと言ってよく、その生涯の短かった分、作品は、時代と共に生きた彼の観念の真実性をいや増して映す。

 今度の展示には、彼の生きた時代の駆け抜ける馬車の群れや人の波で溢れるパリの大通りや、キャバレーの中で踊る人波の絵葉書写真などと並んで、ロートレック自身の写真も数多く展示されていた。中に踊り子の衣裳とそのボアと帽子を身に纏った写真や、垂線の冠を冠った直垂姿で、右手に扇、左手に日本人形を抱いている写真があり、それを見ると、瞬間に存在の真を実感していた筈のロートレックの真骨頂が伺われ、私は殆ど悲しくなってしまった。

 あらためて、今度のロートレック展に感謝したくなったものである。今年一年、慈無く過ごし得たことの有り難さと嬉しさを感じながら、何か美味しいものでも買って帰ろうと、私はデパ地下へ足を向けた。

 

(二〇〇七、一二、二〇)

P /