川柳 緑
550

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

展覧会、縁は異なもの味なもの(その一)

 これは奇妙な一日になってしまった。

 展覧会のために上京しながら、それとは別の目的で出掛けたような結果になったのである。しかも、それならがっかりして当然な首尾になってもよさそうなものだが、上々だったのだから妙である。

 二月二十二日の木曜日、例によって「ひかり」で上京する。目指すは、六本木に開館したばかりの国立新美術館。その開館記念の企画展「異邦人たちのパリ」と題した、ポンピドー・センター所蔵の作品展を覗いておこうと思ったのである。但し、私はその展覧会にさしたる期待を持ってはいなかった。新たに国が造った、国内最大の威容を誇る美術館の建物という触れ込みに、例の物見高い当方の下衆な根性そのものがうかうか乗せられて来たにすぎなかった。何しろこの美術館、自らの収蔵品を持たぬ故、願っても常設展示など行われ得ない、お蔭で各種企画展の会場としてのみ機能する、文字通りの箱物である。言ってみれば、都立の東京都美術館と機能的には全く等しい、箱物の国立版なのである。

 さて、ヤフーの案内に従って、地下鉄千代田線乃木坂駅の六番出口から美術館の裏口に出る。その裏口で券を購入して入館すると、展覧会に使用する二階・三階の部屋の部分を除けば、一階のフロアーから三階の天井まで吹き抜けになっている広大な空間に立ち会うことになる。そのあまりの広々漠々のエンプティに唖然と佇み、佇む自分の卑小さに否応無く気づかされること請け合いといった造りになっている。

 開館を祝して、これを作った建築家黒川紀正の展覧会も催されていたが、私は初めっからそちらは、当の建築家自身に予てより全く親しみを持てないこともあって、パスすることに決めていたから、迷うことなく真っすぐ三階の「異邦人たちのパリ」展の会場に向かった。

 パリにとっての異邦人である芸術家たちが、パリでどんな仕事を残したのか。二十世紀に入ってから今日までのその異邦人達の仕事を見せようという企画展なのである。

 スペインから来たビカンやグリスやミロ、イタリア人のモディリアーニ、白ロシアの出であるスーティンやシャガール、ウクライナ生まれのドローネー、モスクワ生まれのカンディンスキー、ボヘミアンのクプカ、ブルガリアのパスキン、ポーランドのキスリング、スイス人ジャコメッティ、アメリカから来た写真家マン・レイ、それに日本人藤田嗣治や荻須高徳、そういった面々の作品を、気楽に眺めながら、パリというコスモポリットな町の広がりと奥行き、つまり町の持つ、殆どミステリアスと言っていい芸術的創造を触発して止まぬ魔力と、その活動を全て素知らぬ振りですっぽり包容してしまっている魔力を、一体それは何なのかと面白く思いながら、作品の前を歩く。そして、この魔力に呑まれた芸術家としてのピカソや藤田嗣治の作品の魔を見直すことにもなる。

 そうした中で、私の野次馬根性に箔をつけてくれ、私の絵惚け限に活を齎してくれたのは、ピカソがパリに住み始めて一年程経った頃描かれた「座せる裸婦」、スーティンの描いた一人の「聖歌隊の少年」の立像、ナチスの迫害を逃れてパリで最期を迎えることになるカンディンスキーの晩年の抽象画「相互和音」といった絵の魔の魅力だった。

 ピカソの作品は五点出ていて、「座せる裸婦」以外は、一目、全てキュビズム以後の作品と分かる女性像で、それだけリアルな描き振りの「座せる裸婦」が際立って見えるということがあったのかも知れない。しかし、それを割り引いても、この全く精気を失った死相漂う青白い女の顔が、暗い背景の中に、黄色い胸と肩、同じく黄色く長い右手の指と共に、浮かぶように描かれているのを見ると、その虚ろな視線に誘われて、深く閉ざされた哀感にこちらは落とされているのだ。色の青さからは抜け出ているものの、青の時代の人間像が伝えていた絶望的な哀しさを強く表明していて、そこがこの絵の魅力になっているのだと勝手に納得する。そして、こういう哀しみの感情をピカソほどストレートに表白した現代の画家は、他にいないのではないか、そう思って故郷を離れ一人パリに出て漂白する若者をそこに被せるとき、ピカソの感傷性に私は得心が行く。

 「聖歌隊の少年」は、お定まりの制服ーー真っ赤で長いスカートを下に、白い上着を纏い、赤い帽子を頭に乗せた少年が、濃紺の背景の中に立っている作品である。紺色という美しい闇あるいは夜に、赤と白の少年が封じ込められている絵だ。封じ込められた少年の顔は、無邪気な可愛らしさを微塵も持っていない。スーチンらしく誇張的に歪められたその赤ら顔は、見様によっては泣いているようにも見え、少年の虚ろな孤独を私に語りかけてくる。私には、この少年像が、貧しいユダヤ人家庭を捨ててパリに出た、スーチンの自画像のように思われてきたりもするのだ。

 それに対して、「相互和音」にあるのは、夜の世界から弾けた喜びの踊りのように、二つの黒い三角を中心に、色とりどりに、花火やシャボンや紙吹雪を舞わせでもしたかのような、賑やかな明るさを作り上げている。曾ての原色のきつさは赤以外に影を潜め、バックを始め、中間色のいろの取り合わせが、主張することより楽しみの境地に遊ぶカンディンス キーの心をこちらに伝えてくる。

 他にも、円曲線を中心にした、多彩な色の組み合わせで見せるドローネーやクプカの抽象絵画作品もあったが、私には、カンディンスキーの直線と曲線の両方を巧みに操った多彩な色の組み合わせの方が馴染みやすく、こちらの性に合っていることがよく分かった。が、それと同時に、ピカソ、スーチンの具象から、カンディンスキー、ドローネーの抽象への推移、つまり近代から現代へのそれが、確実に、暗鬱から軽快への、絵画の無重力化への経緯であったことを知らしめる。

 帰りは、美術館の建物の外観を見ようと、正面の出入口から広い前庭へ出た。訪れた人達が、三々五々ケータイやデジカメでこの巨大な建造物を仰ぎ写している。カメラを持って出なかったことを悔みながら、建物を振り仰げば、なるほど大きい。そのことだけを確かめると、私は外苑東通りへ出、左へ折れて、人通りの多い大通りを乃木坂駅の方へ歩く。

 すると、道の右下にこじんまりとした森が見え、その正面の鳥居と石柱に刻まれた文字によって、それが乃木神社と知れる。初めての私は、へえーと内心に呟き、この外苑東大通りの下を潜って、通りと交錯する形で乃木坂の道に面した、その緑濃い神社の森を見下ろしていると、先程の美術館や、大通りの人や車の賑わいとは全く裏腹の、この異次元空間が、暗い手で私を手招きしているように思われ出す。

 招かれるままに私は乃木坂の道へ降りて行った。正面の鳥居を潜れば直ぐ右手に社務所があり、境内とてさほど広くはなく、折しも拝殿の前で、それを背に、ここで結婚式を済ませたばかりの家族が、列を成して記念写真を撮っている。私には、祭神である乃木将軍の最期を思うと、その光景が酷くミスマッチなものに思われる。

 拝殿にお座なりな参拝を済ませて踵を返せば、右手に乃木邸へ上る案内板がある。庭園風に設えられた坂を上がると、木造二階建のシンプルに四角く黒い木造の屋敷の裏手に出る。建物の周囲に人一人が通れる程度の通路が設けられていて、通路を辿れば二階の部屋の中を窓のガラス越しに覗き見出来るようになっている。

 そして私は見た。二階奥の窓越しに、乃木将軍夫妻が自刃した和室の、二人の死の座を示す立て札が置かれているのを。私は、その札の位置に、正装した将軍乃木希典とその妻静子夫人とを思い置いて、それぞれの血にまみれて倒れ伏した姿を想像した。それは瞬間にして私の脳裏に齎され、ぎくりと私を脅やかした。

 私は子供の頃から、白い髭を生やした写真の乃木希典の容姿に接する度に、老人の体臭が臭うような気がしてならなかった。それに大きく与かったのが、水師営の中庭で敵将ステッセルと中央に並んで、会談に列した一同十名程で撮った写真の乃木であり、そしてその会見を唄った唱歌だった。その歌は私達が子供だったころ、お手玉歌として女の子によく唄われていたものだが、とりわけまだ十歳にも満たなかった私には、

庭に一本棗の木

弾丸あともいちじるしく  

くずれ残れる民屋に

今ぞ相見る二将軍

の一節が、会見場の現状を彷彿とさせて生々しく、それに続く「昨日の敵は今日の友/語ることばもうちとけて/我はたたえつかの防備/彼はたたえつ我が武勇」の歌詞に、彼我の対立を越えた人間的な交歓の優しさを感じて、乃木さんへの親しみを培っていたのである。実際、私は大山巌や山県有朋を、大山さんとか山形さんと呼んだことはなく、「さん」付けで呼んだのは西郷さんと乃木さんぐらいのものだ。同じように神格化された東郷平八郎も、私には、東郷元帥ではあっても東郷さんではなかった。

 そういう乃木さんの臭いが、今、一瞬鼻を突いて幻覚されると、その臭いに誘われて、彼の自刃があって執筆されることになった(注)、鴎外の短編「興津彌五右衛門の遺書」のことが、続いて脳裏に蘇ってきた。作品の最後に、彌五右衛門が短刀を手に、介錯人を振り向き「頼む」と言って切腹する場面があったが、それが生々しく思い出されたのである。

 この短編によって、鴎外が、乃木の「乃」の字も出さないで、乃木将軍の自刃を評価・正当化したのは明らかだが、鴎外の「鴎」の字も知らぬ子供だった私達には、にも拘わらず乃木さんは、親しみの情をもって評価され信頼されていたのである。そして、実際のところ、乃木将軍について、私などはその伝記一冊も読んだことなく、もう三十年も前に出た岩波新書の『日本人の死生観』によって、多少の啓発を得ていたに過ぎない。「それだけに、この乃木神社の森に、今我が身を置くと、乃木さんに極わる記憶と共に、明治の命のこんもりした暗さに、すっぽり包み込まれてしまう不思議を味わってしまう。

 この不思議な感覚を逃さぬようにと、乃木邸の前から通りに出、私は迷わずタクシーを拾い、運転手と言葉を交わすことさえも控えて東京駅に向かった。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

P /