川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

どこが大なの?ーエルタージュ美術館展のことー(その二)

承前

 それにしても、話が随分横に逸れてしまったものだ。ことは、私の見たエルミタージュ美術館展を辿ることだったはずだ。

 そこで今度は三度目になるのだが、それは、一九八八年末名古屋市美術館で見た「エルミタージュ美術館展/フランス近代絵画の流れ」であった。それは、世界中で愛好される「フランス近代絵画」が、ソ連にもこのように所有されているのだという、お天狗顔の側面と、それによって西欧先進国に劣らぬという芸術を借りての国威の発揚を示そうとするコンプレックスとが、充分伺える展覧会だった。出展数も一回目に比して油彩画九〇点と倍増し、エルミタージュ美術館の所蔵の大なることを、今度は充分誇示して見せたのである。

 トルソー、ドービニー、コロー、ミレーと来て、マネ、モネ、ルノワール、シスレー、セザンヌ、ゴーギャン、ボナール、マティス、マルケ、ヴラマンクと続く、その名を列しただけでも「御立派」と言わざるを得ない画家たちの作品が並び、これまで画集などでもあまり知られていないものが多く、それも風景画が多数を占めていたこともあって、却って各画家の個性的な色彩の構成の面白さが極めて新鮮で、作品への親しみやすさを持つことができた。

 四回目になると、ソ連は最早ソ連ではなく、ロシア連邦へと世変わりをしてしまった。それはエリツィン時代の一九九六年秋、大阪中埠頭のアジア太平洋トレードセンター内にあるATCミュージアムという所で催された、「エルミタージュ美術館特別名品展ーー神と人間ーー」と題するものだった。この展覧会は、会場の場所が新規でそれに驚いたこともあって、随分強い印象を受けたのだが、「原始文化史」「古代ギリシア・ローマ美術」「東洋美術」「ロシア文化史」「西洋美術」の五部門、各部門四二点、一七点、三三点、一六点、一八点から成る、計百二六点の大展覧会だったのである。

 各部門それぞれに面白い見ものだったが、無知な私には、東洋美術が部門を立てられるほどエルミタージュにあることが驚異で、恐らくそのほんの一部であろう仏教関連の壁画の断片や絵画の素晴らしさに胸が高鳴ったのを覚えている。さらにロシア文化では、数点の聖母子のイコン像に新たに懐かしい親しさを感じもしたし、中でも西洋美術の出展作、ルーベンスの「ローマの慈愛」(乳飲み子を持つ娘が、獄舎に繋がれた自分の父に自分の乳を飲ませようと、乳房を父の顔に宛てがっている)、クラナッハの「林檎の木の下の聖母子」(マリアの膝の上に抱かれて立つキリストは右手にパンを左手に林檎を持っている)、カノーヴァの白い大理石の彫像「改俊するマグダラのマリア」には、胸の締めつけられる哀しさを味わったものだ。とりわけ展示の最後を飾ったカノーヴァの作品は、座して項垂れた目頭に涙の一筋を流す全裸のマグダラのマリア(その膝元に彼女の証しとなる髑髏が一つ在る)が、そのエロスと共に、彼女に対する私の思い込みの強さのせいもあって、じーんと突き上げてくるものに胸がつかえ、うろたえたその一瞬は今も蘇る。

 そんな訳で、エルミタージュは、その時までに、確実に私に近しく慕わしいものになっていた。

 そして五回目が、二〇〇五年初夏、名古屋市美術館で催された「華やぐ女たち/エルミタージュ美術館展/ルネサンスから新古典まで」ということになる。

 前年の九月、私はツアーでロシアを訪ね、お定まりのエルミタージュ美術館見学を経験していたが、その美麗豪華な館内と展示スケールの大きさ広さを、約二時間の、ルネサンス美術と印象派を中心にした近現代美術を見せる、ツアー客向けのお定まりコースを辿るだけであったにもかかわらず、十二分に感知させられていた。無論、ルネサンス美術、近現代美術の展示作の美事さは、全く羨ましい限りで、収蔵作品の 内容の充実振りも、想像に余りあるものだということになった。

 それあって、今度の五五点の女性の肖像画ばかりの展示というのは、例え「華やぐ女たち」とあろうと、私には、肖像画だけでも企画展を催し得るだけの美事な収蔵はあるのだという自惚れ展のように思われ、さらに見様によっては、この御時世、「奇麗に描いてあるわねえ」と位しか言いようのない、芸術的刺激に乏しく人気乏しい個人の肖像画にも一稼ぎをさせようという、「エルミタージュ」という名前におぶさった横着な根性に発した展覧会とも見え、私には初めから魅 力の持てないものだった。

 ただ、「マリア・テレジア」や「ジョセフィーヌ」、「皇后マリア・アレクサンドロヴナ」などの肖像は、歴史上の人物としての興味から目を留めたが、それ以外は、一六世紀初めアングィッソラが描いた「貴夫人の肖像」とゴヤが描いた「女優アントニア・サーラテの肖像」の二点に、心引かれたにすぎない展覧会だった。前者は、ルネサンス時代の女性の横顔像の傑作の仲間入りが充分許される優品だと私には思われ、後者は、顔や上半身が、脈打つモデルの鼓動を伝える筆捌きで、その見事な動的表現から、女の匂いが立ってくるほどの秀作であった。とは言え、それによって、展覧会の魅力が挽回されるわけはなかったが。

 一回目から四回目まで、私にとって結構見甲斐のあるものだったエルミタージュ美術館展が、五回目で落ちを晒した。その上で今度の「大」を付しての「エルミタージュ美術館展」ということになれば、付されたこの一文字が、展覧会の内容を糊塗するために使われたのではないかと勘ぐられても、致し方はあるまい。そして、この懸念は見事に当たってしまったのである。

 油彩画ばかり全八〇点の出展なのだから、数から言えば、まずまずの物だが、見て行くと、既にこれまでの五回で見たことのある作品一〇点ほどに出会ったのである。つまり私にとっての実質は七〇点分という訳だ。

 ところが、である。

 この展覧会には、「いま甦る巨匠たち四〇〇年の記憶」というサブタイトルが付けられていたのだが、四百年前の一七 世紀になる頃までに成った出展作は一〇点ほどに過ぎず、それで「四〇〇年の記憶」が「甦る」とは、些か大袈裟なと思ってしまう。

 それに、全体が「家庭の情景」「人と自然の共生」「都市の肖像」の三部門からなっていたのだが、フランソワ・フラマンの「一八世紀の女官たちの水浴」やジャン・ダニャン・ブーヴレの「ルーヴル美術館の若い水彩画家」、フェルディナン・ロワベの「オダリスク」などの絵が、「家庭の事情」の項目の中に何故属するのかはとんと分からず、またこれらの作家ーーこれ以外にも知らぬ名前が何と多いことかーーが「巨匠」とはとても聞こえにくい。ただ、「巨匠」の呼び名に恥じない画家、ゴーギャンの「果実を持つ女」、とピカソの「農夫の妻」の二点は、私にとって、紛れもなく「いま甦る」作品だった。

 結局、Uさんの問いが俄然生彩を放ってくるのが、最大の展覧会の収穫となって見終わったのだから皮肉である。

 それから二十日程して、「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」展を見に行った。「ルソーの見た夢」については、その夢の面白さを味わい得る作品など、私には数える程もなかったが、日本の画家達がルソーに見た夢の色々には、結構面白く付き合うことができた。

 出展されているルソーの作品が全て国内に所蔵されているものばかりで、それももう二昔も前、名古屋の電気文化会館ギャラリーーーこのギャラリーは今も利用されているのだろうか、ここを訪ねることはなくなってしまっているーーで見た「アンリ・ルソーとフランス素朴派の画家たち」という展覧会に出ていたルソーの作品や素朴派の作品が、何点も今回も見えているばかりか、中にはルソーの名に恥じるような見窄らしい小品もあって、そこに、「ルソーの見た夢」など、想像するも苦々しい始末。

 ルソーも素朴派も、日本所在の作品だけで展示企画を立てれば、こうなるのは当然というべきであろうが、そう分かったところで、わたしの不満が解かれる訳ではなかった。

 私は、オルセーから持って来て見せてくれた「M夫人の肖像」や「戦争」の大作ーー絵は大きさで芸術的値打ちの決まるものではないとは分かっていてもーーを思い出すことで、この不満を埋め合わせた。

 今年の美術展初詣での幕は、こうして閉じられたのである。

(二〇〇七、二、一〇)

 

 

 

 

 

 

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