川柳 緑
547

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

どこが大なの?
    ーエルタージュ美術館展のことー(その一)

 年改まって、地元で、前宣伝の行き届いた二つの展覧会を見た。一つは名古屋高美荷館での「大エルミタージュ美術館展」であり、今一つは、愛知県美術館での「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」展である。

 今年も開くことのできた、『緑』の皆さんとの我が家でのささやかな新年のお喋り会で、談偶々この「大エルミタージュ美術館展」に及んだ折りのことだった。Uさんが、いかにもUさんらしい罪のなさで、「どうして大の字をつけて言うのでしょうね」と言い、思わずこちらをドキッとさせたものだ。新春の初笑いよろしく、「美術館の建物が大きくて立派だからじゃないんですか」とでも応じればよかったものを、何と「美術館の偉大なことを誇るためでしょうね」と答えた、私の科白の味気なさ。果して、Uさんの疑いを吹き飛ばすような、エルミタージュ美術館の大いなる傑作が、到来しているのだろうかと、その時一瞬、私は金縛りに遭ったような気分に陥った。

それにしても、これまで、もう何度も私は「エルミタージュ美術館」の所蔵品展には出会ってきた。そこで念のため、出会った順にそれを辿ってみることにする。

 初回は、今から丁度三十年前の一九七七年、京都市美術館へ見に行った「エルミタージュ美術館展」で、どうやらそれが「エルミタージュ美術館」の作品の本邦初公開だったようである。何しろまだロシアが「ソ連(ソヴィエト社会主共和国連邦)」と呼ばれていた時代で、ネヴァ河に面してエルトミタージュ美術館の建つ古都は、「サンクトペテルブルグ」ではなく「レニングラード」だったのである。この時初来日した作品は、全四十二点因みに、同じ三十年前のこの年、やはり、初めて公開されたレニングラードの「ロシア美術館名作展」も愛知県美術館に見に行っているが、そこに出品された作品も全三十二点に過ぎなかったのである―で、それは私達にとって、殆ど閉ざされていた「ソ連」というアカの国との交流が漸く行われ始めた証しだったのだ。その時私は、七点あったロシアのイコン画というものを初めて目にしたのだが、それは、見慣れたヨーロッパの宗教画からすれば、間違いなく鄙びて素朴で、それだけ稚拙な純度の高い面白さを私に齎し、ロシアという大地に生息してきた人間たちが、守り培ってきた宗教的造形の一端を、微笑ましい親しみをもって迎え入れることができた。と同時に、その背後にソ連という絶対主義的権力国家の、信仰はアカに限り、宗教的信仰を否定し抑圧してきたと耳にしてきた、その横暴を透かし見るようで、思わず顔がこわばったものだ。

 このイコン画のために、ティツィアーノ、ベラスケス、ファン・ダイク、フランス・ハルス、プッサン、ル・ナンプシェ、シャルダンと言った顔触れ錚々たる初見の作品群の影が、薄くなってしまったほどだったことを思い返すことが出来る。

 このイコンへの親しみが、一九九二年(この時ソ連は崩壊してロシア連邦になっている)の秋、東京の目黒区美術館で催された「ロシアのこころ・イコン展」に私を誘うことになる。それによって、十三世紀からのイコンの歴史の凡そを辿ることが出来たばかりか、インへの私の親しみが裏切られることなく見れた幸せを、胸郭一杯に吸い広げることを得た。この時ばかりは、お蔭で、会場の最後に添えられていた山下りんの十点ほどのイコン画が殆ど霞んでしまって見えたものだ。

 そしてこのイコンへの愛着は、二〇〇四年の夏出掛けたロシアへのツアーで訪れた、モスクワ、ウラジミール、セルギエフ・ポサードの三箇所それぞれの、ウズベンスキー聖堂の内陣の壁と柱を埋め尽くしていたイコンの景色の、ほの暗く熟成発酵した安堵の気を、黙って呼吸する秘めやかな幸せに結晶したのである。ありがたや、めでたしめでたしというものだ。

 さて、二回目は、愛知県美術館で見た「レンブラント展」と銘打たれた一画家の展覧会だが、「エルミタージュ美術館秘蔵」と断られているのだから、これも当然、話題の仲間に数えなければなるまい。

 出展されたレンブラントの油彩画十点、素描二点、エッチング百点の全てが、エルミタージュ美術館から来ていたのであり、それが、私にとって最初の「レンブラント展」でもあったのだ。

 私は、その時、美術全集などで知っていた「フローラを装うサスキア」、「アブラハムの犠牲」、「天使のいる聖家族」にお目見えできた驚きに震えただけでなく、「老ユダヤ人の肖像」と「老婆の肖像」の二点によって、肖像画家としてのレンブラントの大きさを初めて実感させられたものだ。この肖像画家としてのレンプラントは、七点の自画像と二十点に及ぶ肖像画のエッチングによって、ますます揺るがぬものになる。三十センチにも満たぬ小さな画面ながら、エッチングの線が造る精妙な黒白による濃淡の人物像は、写真に毒された者の目には、古い時代の表情まで感じさせる魅力を示して、新鮮ですらあった。そして今一つ、その時レンブラントのエッチングに魅せられた点は、「羊飼いの前に現れた天使」や「三本の十字架」などに発揮されていた、放射する光線の束の表現だった。それは、エッチングの練の効能を語って遺憾がなかった。

 それにしても、「フローラを装うサスキア」における、妻のサスキアにフローラのなりをさせて立たせ、ドラマ性を持たせた肖像画の、その衣装の質感描写の殆ど絢爛と言ってよい見事さや、旧約聖書創世記にある、アブラハムが息子イサクを神に生け贄として捧げる話を素材にした「アブラハムの犠牲」の、まさにそのアブラハムがイサクを刺し殺しにかかる一刹那を、天使に止められて、短刀が振り上げたアブラハムの手を離れ、イサクの方へ落ち掛かるスリリングな描写と構図とが語る演劇的緊張の、息を呑む迫力や、さらには「天使のいる聖家族」における、鉈を購して木を削る髭のヨセフの姿―彼はその役割に相応しく蔭のように描かれているーをバックに、手を掛けて揺り籠を揺らしながら、そこに眠るイエスを座して見やる聖母マリアの、凡そ、ラファエロに代表される聖母の「聖」から程遠い幼い顔立ちのあどけなさと、その母子を祝福するかのように、画面左上の隅から舞い降りかかる天使の群れの一人が、羽と腕を一杯に広げて宙に浮き立ち、母子を見下ろしている幼児的あどけなさとが、ここでも動的な一瞬に凝縮して描かれている親近感、それらに目見えた時の喜びを私は忘れる訳にはいかない。

 それがそんなに印象づけられたのは、それらの作品が持つ凝縮した劇的ダイナミズムであり、肖像画はそれあって初めて齎されるレンプラントの魅力なのだと納得されたのである。何にしろ、私は、レンブラント展を通じて、エルミタージュ美術館の豪華な豊かさを、認めない訳にはいかなかったし、しかも、その後私は幾つかのレンブラント展を見たのだが、このエルミタージュの「レンブラント展」に拮抗するものに中々出会えないできたことを考えると、美術館への評価は愈々揺るがないものになったのである。

 実際、エルミタージュ所蔵の「レンブラント展」以後、私が見たレンブラント展は、以下のようなものだったのである。、まず、二〇〇〇年、愛知県美術館で見た「レンブラント、フェルメールとその時代」展がある。この展覧会は、サブタイトルに「アムステルダム国立美術館所蔵十七世紀オランダ美術展」とあるように、レンブラントの本場の美術館からの。ものばかりだが、出展されていたレンブラントの作品は、油彩三点、素描四点、版画五点の十二点だけで、「聖パウロに扮した自画像」という、ターバンを頭に巻いた老願の、一メートル近い丈の上半身像と、その自画像よりもっと高々と立派にターバンを巻き上げた髭面の男の風貌を描いた「オリエント風に装った男」ーーこちらの丈は七十センチ位だったかーーという二点の肖像画に、レンブラントを見出したに過ぎず、版画も三点はエルミタージュの「レンブラント展」で既に見たものだった。エルミタージュの比ではなく、がっかりしたこと、言うまでもない。

 次いで二〇〇二年、京都国立博物館で催された「大レンブラント展」になるのだが、これは「大」の文字を冠にしているだけに、油彩ばかり四十三点を、米・英・独・仏・蘭等の三十に余る美術館から集め、しかも京都以外はフランクフルトで催すだけの、画期的な企画展だった。しかし、出展中四点の自画像を含む三十二点が肖像画である点に、如何にレンブラント展とはいえ、偏頗に過ぎ、展覧会としての面白みを欠くことは甚だしい。ドラマティカルな動きのある大作としては「目を潰されるサムスン」一点のみで、他の聖書に材を採った作品数点も、名立たる作品とは言い難いものばかりだった。つまり油彩画四十三点を一堂に集めて見せたことの「大」には、敬意を表し得ても、その内容のレンブラントらしい構成に面目を認めることは出来かねたのである。

 そして、三つ目が、二〇〇三年、国立西洋美術館で見た「レンブラントとレンプラント派」展になる。

 この展覧会には、全体で九十点を越す作品が集められていて、中々の壮観だったが、中でレンブラントの作品は、油彩画十点、版画二十七点で、それに、レンブラント工房の油彩画四点が出展されていた。しかしここでも、新たに見た版画は十一点に過ぎなかった。それでも、「ディアナの水浴」「十字架降下」の二点は見つけものだった。それに対して、油彩画の方では、モーセが十戒の記された黒い石板を両手で頭上に掲げ示している「モーセと十戒の石板」という著名な大作ーーこの作品は、予てより私にはモーセの頭部がその胴体からずれているように思われていたが、これが錯覚として見直されるには至らず、このモーセの人体的不可思議はそのまま残されることになったーーと、イエスが捕らえられたとき、あなたも一緒にいたと言われたペテロが、それを否定する、ルカ伝の話を描いた「聖ペテロの否認」という大作と、作品としては小さいが、水浴するために衣装を脱いだ姿を長老たちーーその長老たちの姿は描かれていないように私には見えるーの視線の前に竦むスザンナの裸婦像ーーそれはいかにも不格好なポーズの裸婦像で、それが若いころ裸婦像に女性美の典型を見込んできた私に、異様な印象を齎していたーーを描いた、著名な「スザンナと長老たち」という作品が出ており、それに黒い背景の中に頭巾を被り僧衣を纏った若い修道僧ーーその白い顔に赤い唇の顔立ちの、何と女のような美しさであることかーーを描いた「修道士に扮するティトゥス」という息子をモデルにした優れて魅力的な肖像画が出ていたことによって、漸くエルミタージュの「レンブラント展」に勝るとも劣らない、充実したレンプラント作品に、浴することができた。さすがに、この時ばかりは嬉しさ一杯になったものである。

(つづく)




P /