川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

オルセーからの贈り物(その一)

 ハヤシライスが美味かった。初めの一匙の味と香りが、咄嗟、私を魅了し、その目立たぬ喫茶店に入って、このささやかな昼食を注文した私と妻との一寸侘しくなっていた気持ちを、一転、穏やかな時間へと救い誘っていった。

 その日、昼過ぎ、私と妻は、神戸の三の宮を訪れていたのだ。

 年の瀬を控えて、今年もテレビは、神戸のルミナリエの行事の開催を伝えたが、来年は、市民主催のこの行事の継続が財政上危ぶまれていることが案内され、それを知ると、私たちは、後がないなら見ておこうと即座に心し、ルミナリエの夜を迎える前に、折しも神戸市立博物館で開催中の「オルセー美術館展」も序でに見ておこうと、妻と語らって出て来たのだった。

 扠、三の宮に着くと、展覧会を見る前に、昼食を済ませておこうということにしたのだが、中の佇いがガラス越しに明るく伺えるようなレストランはどこも満席で、私達は、博物館から程遠からぬ、間口二間程の何の見栄えもない喫茶店のドアを致し方なく開けたのであった。

 カウンターの内側の女将が、一人で店を切り盛りしていて、私の「おいしいですね」をきっかけに言葉を交わすことになり、それが一服の味わいを増すことになった。お陰で、美術展の割引券を入手できるコンビニの案内もして貰うことができ、私と妻は、この小さな仕合わせを得て、人込みの博物館に入館したのである。

 ところで、「オルセー美術館展」は、私にはこれが三回目になる。最初は「モデルニテーパリ・近代の誕生」と題して一九九六年の初夏に、二度目は「一九世紀の夢と現実」と題して九九年の夏に、いずれもこの三の宮の神戸市立博物館で開催されたのを私は見に来ていた。そして、過去二回とも、私にとっては見応え充分な内容で、足を運んだ甲斐を喜ぶことができたのである。

 だから今度も期待は当然働いていたのだが、期待に身構えた気負いは、展示冒頭のテーマ「親密な時間」の項において、見事解きほぐされてしまう。

 まず、入館早々、美術全集などで見慣れたホイッスラーの大作、「灰色と黒のアレンジメント」と題した母親の肖像画に出会う。微かに頬に血色を残す老母の横顔と膝の上に置いた手以外は、黒い衣装に、黒いカーテンと灰色の壁で画面は覆われ、まるで死の禍々しさを暗示的に語っているかのように見える。母を描きながらホイッスラーが見詰めたものが何だったのか。

 そしてこれに、同じ女性画家ベルト・モリゾの代表作、寄り添って眠る幼子を見守る若い母親を描いた、「ゆりかご」という小ぶりな作品が並ぶ。一八四一年生まれのモリゾ三十一歳の一八七二年に描かれた作品だと分かる。こちらはどうやら姉母子がモデルのようだが、画面が母親の髪の毛と黒っぽい上着以外は殆ど白色で占められている。

 誕生と死、白と黒、やられた!という感じになる。

 そしてその虚を突くように、モネの「アパルトマンの一隅」に出会う。小暗い部屋の中にこちらを向いて立つ、モネの息子と想像出来る少年が描かれている。絵の、画面両端に対照に置かれた大きな鉢植えと、その後の左右に開かれた明るいカーテンとの奥に、その少年は小首を傾げて立っている。それが何とも可愛く、息子を愛くるしく思うモネの気持ちが結晶している。微笑んでその少年に目を遣ると、更に少年の後方の部屋の暗がりに、どうやら椅子に掛けた女性が描かれているのが分かり、途端、それがモネ夫人カミーユだとの想像が働く。すると、この前「クリーブランド美術館展」で見た 「赤いスカーフのモネ夫人」や、前回のオルセー美術館展に出品されていた「死の床のカミーユ」という絵のことも連鎖的に思われて、たちまち胸が熱くなってきてしまう。全く年寄りは困ったものだと自嘲もされてくる。

 このせいでか、「セーラー服のアリ・ルドン」という、ルドンの息子を描いた小品に出会うと、殆どこの項の止めの一作のように記銘される。ピンクや青や紫が詩的な、ルドンらしいパステルカラーの背景に描かれた少年の白い横顔が、無垢な哀しみをこちらに伝えるのだ。

 そして、ルドンの、この哀しみが、前回のオルセー美術館展にあった、同じルドンの有名な「目を閉じて」という小品を、私に思い出させる。まるで水面から浮き出ているように描かれた、目を閉じた顔ーー髪は長いが男か女か分からないーーには、ルドンの哀しみの哲学的なとしか言いようのない実体が感じられ、あの時、確か、冷めた細面の貴族夫人の横向きに近い肖像画もあり、そちらは、確か今度の息子の絵の背景と同じような色どりの中に、一寸ルドンらしくない精緻な写実で描かれていたのだが、これも目の前の少年像に今重なって思い出されてくる(注1)。

 こうして展示事項のテーマは「特別な場所」に移る。 

 この項では、風景画や風景写真が展示され、シスレーの、馴染みのある、洪水に水浸しになったマルリーの街や、冬枯れの木立の中の赤い屋根の村の家々を描いたもの、これも見慣れた、モネのルーアン大聖堂やベリールの岩礁の上から見た大西洋の波の絵など、評価の定まった明るい作品が出ていて、親しみを増すように配慮されていたのだが、そんな中で、わたしを捉えたのは、マネの風景画だった。

 「ブーローニュ港の月光」と題されたそれは、白いスカーフを被って屯する女達の後に、これも屯する黒い男達と黒い帆船とが描かれ、それらの黒い影を、月光が港の水と共にけざやかに浮かび上がらせている夜の透明な空気感。その空気感を際立たせている星空のディープブルー。私には、その一メートル程の絵が、モネの「印象、日の出」に先立つ夜明け前の港の風景のように見えもしたのである(注2)。もう一点「アンリ・ロシュフォールの逃亡」という作品で描かれている海の青も、「マネの青」と言って良いような印象を私に齎した。

 しかし何と言っても、今度の展覧会の私の最大の見栄えとなったのは、第四のテーマ「芸術家の生活」の中にあった一点、マネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」という六〇×四〇センチ位の肖像画であった。

 ところで、初めのところでベルト・モリゾの絵に触れたが、マネの絵は、そのベルト・モリゾが、黒い帽子に黒い胴着、首を巻く黒いスカーフに、髪の後から下がる黒いリボンで装いを凝らし、こちらに眼差しを向けている美しい肖像画である。一八七二年の出来だと記されているのだから、先程のモリゾの「ゆりかご」と同じ年に作成されたと分かり、だとしたら描かれているこのモリゾの顔は三十一歳のものだということになる。

 マネのベルト・モリゾを描いたものに、私はこれまで二度お目に掛かっていた。その最初は、第一回の「オルセー美術館展」を飾った一点、バルコニーにいる三人の人物を描いた大作「バルコニー」という作品中の、画面左側、真っ白なドレスを身に纏って椅子に腰掛けた姿で描かれたモリゾ像である。二度目は、先にも記した「クリーブランド美術館展」にあった、やはり黒衣姿の左を向いた「ベルト・モリゾ」像である。その、粗いタッチ、素早い筆刷けの二度目の作品を思い出すと、今度のこの傑作は、そのどこか習作的な二度目の作品の仕上げとして完成しているように印象付けられる。しかもそう印象付けられるだけでなく、私はこの作品に対してある馴染みを既に感じとっているのだ。はて。私は首を捻ってその絵の前に立ち尽くす。

 三十一歳の画家モリゾの、どこかこましゃくれた唇の美しさを気に止め、こちらに向けるその大きな目の眼差しを受けながら、そうだ、私はこのスタイルのモリゾ像に何点も出会っていたのだと気付く。そうだ、確か大阪の市立美術館で、もう二十年も前(一九八六年九月のことだった)になるが、「マネ展」があって、そこに同じ格好のモリゾ像のリトグラフやエッチングがあったはずだ。それが目の前のモリゾ像に対する懐かしい親しさを喚起させたのだと気付く。

 気付くと、版画にはなかったモリゾの眼差しの見事さが改めて認識され、するとこの瞳によって見詰められ仕上げられたモリゾの作品群が、今度は彷彿として蘇り始める。

 私が出会ったモリゾの作品展は二つ。一つは難波の高島屋で見た「印象派の華メアリー・カサット、モリゾ、ゴンザレス展」(一九九五年六月のことだった)であり、今一つは、京都市美術館で見た「パリ/マルモッタン美術館展」(二〇〇四年四月であった)だ。

 二つの展覧会には、それぞれ三、四十点のモリゾ作品が出展されていた筈で、その作品には、庭先などの母と娘や、屋外で遊ぶ女の子を描いたものが多く、動き変わりやすい対象の一瞬を逃すまいと、濃淡の乏しい淡い色の数々を、筆忙しなく描き急ぎ定着させたといった感じの出来で、それが印象派の女流画家としての立場を保証したのだと伺える。

 そういえば、マネのような確とした肖像画ではないが、モリゾの描いた髭面のマネ像も二、三見た筈である。マネはモリゾにとっては絵画の先輩であるだけでなく、義理の兄でもあったのだが、モリゾらしく、それがどこか家庭的なマネの優しい風情で仕上がっていたように思う。

 いずれにしろ、慌ただしい筆使いの、母親らしい作品を多数描き残したモリゾの眼差しが、何処か茶目っ気を感じさせる鮮やかさでマネに描き挙げられているのが嬉しくなり、思わず私の頬が緩む。

 このマネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」のあった「芸術家の生活」のテーマ中には、鉛筆による、ドガの、椅子に掛けたモネの肖像画があったり、ルノワールの、若くして死んだ画家バジールの肖像画や、ドニの、黒い衣装のモデルの前に立つドガの肖像画があったり、セザンヌの、書斎に坐す美術評論家ジェフロアを描いた大きな肖像画があったりして、そのどれもが私には興味深く鑑賞されたが、とりわけルノワールの描いた、黒い髭に覆われた黒い姿のパレットを持つモネの肖像は、モネの体臭までが感じられそうで、白い髭面で広く紹介されている晩年の彼の風貌を髣髴とさせ て、これまた微笑ましくなった。

 

 注1 オルセーのルドンの作品では、これまで、「エヴァ」や「エジプトへの逃避」(初回)といった名品も来ている。

  

 注2 マネのこの港の絵は一八六八年、モネの「印象、日の出」はその四年後の一八七二年の成立である。

 

(つづく)

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