川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

アメリカに渡った江戸期絵画の誘惑(その二)

承前

 そういう喜びの体験があった上での、この夏、カリフォルニアから来たプライス・コレクションである。

 私は今年も、夏休みになったら妻と海外旅行に出掛けようと予定を立てていた。その矢先、七月二十二日、妻が腰椎の圧迫骨折で入院する羽目に陥ってしまった。私は、母の面倒を見ながら暮らさねばならなくなった。どうにか七月中の授業はこなし、この御時世の有り難さ、コンビニの弁当などで飢えに苦しむこともなく、五十日を過ごし、漸く退院の日も決まるところまで来ていた。私の緊張は一挙にほぐれ解け、背中の羽がばたばた羽ばたきを始めた。折しも母はショートステイに預けてあったのでこれ幸いと、妻の退院を翌日に控えた八月の六日、「若冲と江戸絵画」展を見に上京したのである。

 こんな時でも貧乏性は抜けず、どうせ同じ上野だからと、「ルーヴル美術館展」も見る心積もりで出掛けたのである。

 昼前に、まず東京芸大の美術館へ行ってルーヴルを見ることにした。今度の「ルーヴル展」が、彫刻を主にしたものだということは、事前の情報によって知っていたし、その出展作に、期待出来そうなものはなかったのだが。結果は予想を裏切らぬもので、それは、会場を埋めている多数の観客の比較的冷めた様子からも知れることだった。

 仕切りを設けずワンフロアーにした、思いっきり明るいメイン会場に、大理石の白い彫像や浮き彫りが並べられているのだが、殆ど陰影を失った白々しさであっけらかんと置かれていると、まるで重量を感じることできず、これほど石の像の石の像としての本質を消す意図は何なのかと展示企画者に伺って見たくなり、観客が白けるのも宜なる哉と頷ける。それに、また言いたくはないが、頭部の像が、ソクラテスもプラトンもアナクレオンも相変わらずの鼻欠けなのである。

 アレスやアポロンなどの裸の青年像が何点か来ているのだ が、どれも何故か気の抜けたようなものばかりで、張り合いのないこと著しいし、恐らくそれが今度の目玉商品になっているであろう「グネトリクスのヴィーナス」や「アルルのヴィーナス」にしても、立ち止まって吐息を漏らすような出来ではない。前者は肩から首への線に女らしさが見られず、後者は、発見後持たせたという右手の林檎が、その右手の指の美を決定的に奪ってしまって像の魅力を半減させているといった有様である。

 昼食をと思って、館内のレストランに行ってみれば、こちらは盛況で人の列。諦めて外に出、変わり映えがしないが、定番の精養軒で済ますことにした。

 腹が満たされ午後の眠気が鑑賞を妨げるのではないかと危惧はしたが、博物館に入り、平成館へと赴いた。

 ところで、このプライスコレクションの展覧会については、コレクションの所有者プライス氏の要望に基づいて、和室固有の明るさの中で見る屏風本来の鑑賞法を成り立たせるため、展示ケースのガラスを外して屏風を置き、そこに当たる光を和室の明るさに相応しく工夫を凝らすという、これまでにない会場設営をしていることを、テレビなどによる紹介を通じて知っていた。しかし、この、ガラスによって守られることのない、展示作品の保護に過分の神経を使わねばならぬ企画の実現は、疑っては思案の他としか言いようのない結果に終わっていたのである。屏風に当たる光の自然さを作ろうとすれば、観客の通る屏風の前の通路の方も暗くせざるをえなくなり、自然の光の中での屏風鑑賞が、美術館の中の通路を暗くした特別な異空間で行われることになり、全く通常の美術展示からは不自然な事態の中での鑑賞行為になってしまっていたのである。第一、屏風が本来置かれて然るべき本物の和室空間に、鑑賞者が座して対峙するわけではないのだから、下手な細工は、細工の異常性を浮き立たせるだけで、通常の効果を阻害してしまうことを、見事証明したと言ってよかった。

 美術館とは、既に日常の生活空間から切り離された、非日常空間なのであり、それ故にこそその館内に入るのに、その非日常空間の一部に日常的空間を作り込むという、嘘の上に本物らしく見せる嘘を作る訳で、それが非日常空間に対する裏切りになることは知っておくべきであろう。

 つまり、美術館では作品の本来的な在り方も、想像しながら見る以外になく、その見方こそ、また、芸術鑑賞の醍醐味になるのだと知るべきなのだ。

 そんな訳で、屏風を置いてガラスを外した幾ケースものコーナーの前はそこそこに、専らガラスのケース内に、明るく均一な光線の下で展示された作品を、わたしはじっくり味わうことになった。ただ、長沢蘆雪の「白象黒牛図屏風」や前宣伝高い本展目玉作品の若冲作の「鳥獣花木図屏風」は、ガラスの中に収められており、つぶさに見ることができたのは 幸いだった。

 それにしても、鑑賞を阻害された屏風の無念を除けば、その内容の面白さは相当なものだ。

 まず第一に私を喜ばせたものは、「京の画家」の項で登場した蘆雪の作品群である。この項には、応挙の風景作品もあるのだが、毎度の事ながら応挙には私を刺激する何物もなく、オーキョねで済んでしまう。私は応挙に対しては、上手に描いてあるとか、お品よく描けているとかいう以上には思わないで来てしまっているが、これはどうしたことなのだろう。そこへ行くと、蘆雪のはまず鳥獣画が面白い。虎と孔雀と軍鶏の三点が出ているが、とりわけ軍鶏の一幅は、その首と目の表現が、作品の持つ筆の勢いを象徴して傑出している。神仙と大亀とをそれぞれ一幅ずつ筆墨豊かな気勢を以て描いた、一対の「神仙亀図」も魅力的だ。そして私の目を誘い込んだ一幅の「幽霊図」。同じ本展出展の「幽霊図」でも、呉 春のそれはその裾まで描かれているのだが、蘆雪の幽霊は上半身のみで、下半身は軸の空白の中に消えている。その右手はざんばら髪を下から掬い持ち、左手は胸乳の辺りで懐にさし入れて、うっすら開けた流し目をこちらに向けている。その面長の女の発情に、私などは見事魅入られてしまう。神仙の粗い線描と、この幽霊の繊細な線描と、その全く異なる蘆雪の手際に乾杯!と行きたくなる。

 蘆雪となれば、曽我蕭白も、辻惟雄の言う「奇想の画家」の一人として、その出展が気になるが、本展では「寒山拾得図」二幅と「鶴図」一幅が出ていて、その内、いかにも蕭白 らしい「寒山拾得図」は、先に記した「曾我蕭白展」で既に見たものだった。その蕭白と共に、奇想の画家として「エキセントリック」の項で括られた一人の画家若冲の作品は、六曲一双の屏風二点を含む全一七点の充実ぶりだったが、展 覧会名を「若冲と」と一人抜き出しただけのことはあり、これは見事見せたものである。

 中でも二点の屏風絵は、どちらも、六曲のその一曲毎に一点ずつの水墨画が貼られ、一双合計十二点の作品が並ぶことになっているのだが、その一点は「花鳥人物図屏風」であり、もう一点は「鶴図屏風」である。そしてこの水墨の線の齎す白い空間造成が実に面白いのだ。「鶴図」の殆ど一筆の曲線で描かれた鶴の体が、その曲線によって造られる白い一曲毎の様々な楕円・卵形の続きとなって、それに足と嘴の直線が加わり、不思議な変奏を奏で、揚げ句、鶴を離れ、抽象的な現代画のように見えてくるのである。同じことは、「花鳥人物図」の方にも言えて、瓢箪を担いだ人物も笠を被った後ろ姿の人物も、共に丸い卵型に描かれ、ユーモラスな惚けた味が嬉しくなる。花も鳥も、丸い曲線と薄墨色の楕円とで構成され、こちらも恰も抽象的な図案でも見るような不思議な感じに陥るのだ。なまじ彩色されていないだけ、色彩の果たす 対象の説明性が捨象され、アブストラクションとしてのイメージを増幅させているように思われる。

 この屏風の一方で、若冲独特の精密な線と彩色の大振りの軸が何点もあり、マンガ的相貌の「猛虎図」、鶴を描いた「竹梅双鶴図」、「群鶴図」、松の幹にとまって真紅の太陽に向かって鳴く鶏を描いた「旭日雄鶏図」、筆の切れ味颯爽たる雌雄の鶏姿が魅力の「紫陽花双鶏図」等、どれも見甲斐充分である。

 テレビでも大々的に紹介されていた、タイルの升目に描いた巨大なモザイク画のような六曲一双の「鳥獣花木図屏風」も、その平面的で羅列的な対象の配置において、何故こんな描き方をしたのかと不思議になる、これまたマンガ的面白さである。この鳥獣を羅列陳列的に描く描き方を通じて、この画家にあったものが、紛れも無く動物学・博物学的興味関心とでもいうものだったことが想像されて来て、そういう興味に席巻されてしまうような時代環境が、確かに若冲に到来していたことを裏付けていそうだ。

 それ以外で私の興味を満たしたのは、それぞれ十数点ずつあった酒井抱一と鈴木其一の作品充実振りが目だつ、「江戸琳派」の項の作品群だった。抱一の絵では、十二幅揃っていた「十二か月花鳥図」の穏やかな色と風情の作品群、其一のでは、水墨の「飴売り図」と、着衣の姿と柄意気の構成の目立つ「群舞図」の二幅に魅かれた。中村芳中の扇面に描いた「三味線を弾く芸者図」のとぼけた味も捨て難い印象を残した。但し、これには本展で宗達や光琳の出展がなかった事実によって、割り引かねばならぬところもあろうか。

 それにしても江戸絵画の総花を一覧でき、満足を齎すこと疑いないと人に推奨して憚らない展覧会だった。

 そして、私はこの満足顔で、翌日退院する妻を迎えに行くことになったのである。

(二〇〇六・八・二〇)

 

 

 

 

 

 

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