川柳 緑
502

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

可憐なユーディット

 話は、一九九九年の秋、新宿にある安田火災東郷青児美術館で開かれていた、スイスのロー・コレクションによる「西洋絵画5〇〇年の巨匠たち展』で観た一つの絵についてである。

 その絵は、凡そ二〇センチ四方の四角でなんの飾りもない 額に嵌められた、直径一五センチ程の円形の小さな油彩画だった。小さなその絵の間に立ったとき、それが、ルーカス・クラナッハ(一四七二~一五五三)のものであり、三人並び の真ん中の女性が、右手に両刃の剣を立てて持ち、左手に男 の生首を下げているところから、ユーディットを描いたもの だろうとは、すぐ分かった。

 小さな画面の真ん中に、ユーディットは、クラナッハお定 まりの鍔広の赤い帽子を斜めに被って、いささかの乱れもない家華な身繕いで立っており、その両側に同じような身繕いで、若い二人の女がそれぞれユーディットの方に体を開き、 彼女に目をやりながら、彼女を支えるかのように立っている。そういう画面である。三人の女の顔立ちはいずれも丸顔で、桜の小ささに相応しく、可憐と言ってよい。

 ユーディットは、その名のとおりユダヤの寡婦で、旧約聖 書外典の「ユディット書」に従えば、夫を亡くして三年四ヶ月が経つはずだが、それを感じさせない若く愛くるしい順立ちに描かれている。そして、その眼は、彼女に眼を注ぐこの 絵を見る者に向かって注がれている。その眼にこちらが見つめられていることに気づくと、同じその眼が、彼女が手に提げる生首の主、ユダヤを包囲したアッシリアの猛将ホロフェ ルネスにも注がれたことに気づかせられる。つまりこの眼は、泣く子も黙るホロフェルネスの心を和らげ、仮に、敵国ユダヤからやって来たこの女に対する警戒心の一切を解かせてしまった、その眼なのである。そう思って彼女の可愛い顔を見ると、改めてホロフェルネスの油断が納得でき、とかく彼女にエロティックなイメージを重ね抱いてきた自分の先入観の誤りに気づかせられてしまう。

 もっともそれには訳があって、初めて出合った「ユーディット」の一つが、一九八一年の五月、新宿の小田急グランド 「ギャラリーでの「ドイツ美・500年展」に出品されていた、シュヴニーリン美術層所蔵のシュトワック(一八六三~一九二八)の作品だったからである。なにしろこのユーディットは、泥酔して倒れているホロフェルネスを足許に見下ろし、両手で大きな剣を棒げ持ちながら、その身に一糸も纏わぬ裸身をこちらに向けて立っていた。しかも、翌八二年の七月には、日本橋高島屋の「プラハ国立美術館秘蔵名画展Ⅱ」で、今度はクリムト(一八六二~一九一八)の描いたそれ、恍惚として眼を閉じ、首を提げてこちら向きに立つ乳房もあらわな官能的半身像のユーディットに出合った。お陰で彼女に対する揺るがぬイメージの偏見が醸成されてしまったのである。

 それが今、この小さなユーディットの絵を前にして、はらっと眼からその鱗が落ち、落ちて、ひょっとしてクラ ナッハのユーディットの中では、これが一番いいんじゃない かと反省されもする。

 と言っても、私の知るクラナッハのユーディットは、先にも記した『ドイツ美術500年展」にあったシュヴェーリン 美術館所蔵のもの(一五三七年)と、ウィーンの美術史美術館で観たもの(一五三〇年)との二点に過ぎない。二点とも、右手に剣を立てて持ち、台の上に置いたホロフェルネスの切り取られた生首の頭髪に左手を添えた、ユーディット一人を描くという、図柄の酷似した作品である。しかし、この二点の、生首のポロフェルネスの薄眼から見つめられた覚えはあっても、ユーディットの瞳に見つめられた記憶は、私にはない。つまり、鑑賞者は、ホロフェルネスの恨めしげな無念の眼差しに取り付かれはするものの、ユーディット当人からは視線を交わすことを拒まれる。ユーディットは観る者との係りを断つことで自らの剛毅さを保証していることになるのだろうが、さて、その人を寄せ付けぬ剛毅さをあらわに見せた姿でホロフェルネスを油断させえたかとなると、それはどうも疑わしくなる。シュヴェーリン美術館のなどは、首尾を遂げた後とはいえ、表情が冷徹に過ぎ、それに比べれば、ウィーンのは熟女の色気が出ていてまだしもだが、それでも目の前のあどけない表情には、とても適わない。

 もし二点の方に意義を認めるとすれば、観る者の眼を拒絶する強い姿勢で一人立つ、彼女の孤独な魂を窺わせるという ことであろう。そしておそらく、孤高孤絶の姿にユーディッ トを描くことで、救国の士として、彼女を聖化し神話化する 意図の表明に成功したのである。

 それに比べて、目の前のこのユーディットに、聖なる峙立 を窺うことは難しい。

 確かに、一人の侍女を伴って描かれたユーディットは、ウ フィツィ美術館にあったボッティチェルリ(一四四四~一五一〇)の、剣を手にした彼女が先に立ちホロフェルネスの首 を頭上に抱え持った侍女がそれに従うところを描いた小品、 「ユーディットの帰還」や、一九八九年九月、京都で観たヴァチカン美柄館特別展」中の、ユーディットが切り落とした ホロフェルネスの首を侍女に手渡しているところを描いた、 オラツィオ・ジェンティレスキ(一五六三~一六三九)の「ユディットと召使い」など、例のあることで、それは前にも記した「ユディット書」の記述に倣っているのだが、原典を無視しての、二人の侍女を伴うユーディットは、他に例を見ないのではないか。ボッティチェルリやジェンティレスキの作品が、原典の絵画的再現であるのに対し、だからこれは、作者クラナッハ独自の企図を絵画化したものだということになる。

 そこで、この二人の侍女をよく見ると、画面左側の侍女は、を持ったユーディントの右肘を、右側の侍女は、頭髪を鷲掴みにして生首を提げているユーディットの左肘を、それぞれの手で下から支えているように描かれている。見ようによっては、女の細腕にこんなポーズなど耐えられそうもない、そのポーズの持続を、両脇から崩れないよう謀っていることになる。謀ることで浮上するのは、剛毅な格好の裏にある非カなひ弱さである。

 そういえば、「ユディット書」は、ユーディントホロフェ ルネスの枕元の柱に掛けてあった彼の剣をはずし、「力まかせに二度彼の頸を打ち、首を身体から切りおとした」と記しているが、描かれている剣は、身幅のある剛直なもろ刃の剣で、現にシュトゥックのユーディットは、その柄を両手で捧げていたことを思えば、その重さはおそらく日本刀の比ではなかったであろう。切るというより、その重量を利して叩き切る武器として、女性の手に余る重さだったに違いない。「ユーディット書」の記述は、非力なユーディットが、剛剣の重みの力を借りてホロフェルネスの首を落としたとした経緯を、簡潔に語って炒だと言える。だとすれば、そういう剣と生首をそれぞれ片手に持って立つことは、貞淑の誉れ高い寡婦の、慎ましいイメージを負った女性にとっては容易なことでなく、ユダヤの国を救った彼女の英雄としての雄々しさを広く人々に告げようとすれば、両側から彼女を支える侍女が必要になるというのが、ユーディットの真実というものであろう。つまり、彼女は、鎧を纏って馬上獅子奮迅の働きをするジャンヌ・ダルクや巴御前とは全く異質の女傑なので、そこを捉えたのが、この絵におけるクラナッハの手柄というものであろう。してみると、私が見知っている彼のその後の二枚のユーディットは、あえて悪しざまに言えば、銅像に等しい英雄像に過ぎぬということになり、あらためてまた、この可憐なユーディットが、私にとって好ましいものになった。

*

 二〇〇一年の今年五月、私は上野の国立西洋美術館で『イタリア・ルネサンス一宮廷と都市の文化』展を観た。会場に、ウフィツィ美術指所蔵というポッティチェルリの縦三一×横ニ五センチの小さなテンペラ画があった。「ホロフェルネスの遺骸の発見」と題する絵である。朝明けの空をバックに、豪奢な青い天の中、ベッドの赤い毛布をめくって従卒たちの驚きの視線が集まる先に、死体となった裸のホロフェルネスが横たわり、頭を失った首の切り口から、生々しく血の赤が白い取布にしたたり流れているといった図柄である。絵が、その大きさから、前記ボッティチェルリの小品「ユーディットの帰還」と対をなすものだとは、想像のゆくところだが、「ユーディットの帰還」で、侍女の頭上に抱えられたホロフェルネスの首は、どう見ても五十格好の白いものの混じった髭面なのに、どうしたわけか、この首のないボロフェルネスの遺骸裸は、胸毛も腋毛もないまるで二十代の青年のものなのである、あらためて、今度はボロフェルネスの裸の謎が、絵を読む述へ私を誘い込む。

(二〇〇一、六、二三)

 

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