川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

あれやこれやの楽園追放

 あれは、私が五十代に入って間のない、もう二十年以上も昔のことだ。私が『緑』の表紙絵を描くようになって二、三年目だったはずだ。マザッチョの「楽園追放」の絵をカリカチュアライズして描いた、と言えば恰好がいいが、実のところ、その絵は、我が家でもやっと書棚を飾ることができるようになった、学研版の世界美術全集の中に見出だしたもので、表紙絵は、新しい本を買い得た喜びのあまり、小学生に等しい悪巫山戯の成果として生まれたものに過ぎなかった。 

 神によって作られた男と女は、それとして作られたればこそ、人間存在の宿命となる原罪を、必然的に背負わねばならなくなり、神の楽園から下界に追放される羽目に陥った次第だが、それが旧約聖書の冒頭、創世記に記されていることは、我々日本人にも広く知られた話であろう。 

 私も、たとえキリスト教とは無縁だとしても、曲がりなりにも人間として存在する以上は、背負わざるをえない弱さというものを身を以て体感し納得しており、キリスト教の言う「原罪」を背負っていることは疑いようのないことで、したがって、その「誘惑」と「楽園追放」の主題が、私という存在の根に関わる重大事として、私を捉え続けているのは確かなことだ。 

 しかし、にも拘らず、その「誘惑」や「楽園追放」を扱った芸術作品そのものに、私は長い間、殆ど出会わないできてしまっていたのだ。アダムとイヴの二人を描いたものだって、画集などを通じて知っているだけで、それとても数えるほどでしかない。

 知っている僅かな作品で、思い出せるものの第一は、マドリッドのプラド美術館にあるデューラーの黒を背景として描かれた、アダムとイヴの一対の立像であり、次いで、それを模写したグリーンの、フィレンツェはウフィツィ美術館にある、やはり一対になったアダムとイヴである。そのウフィツィには、クラナッハの描いた、もう一つのアダムとイヴの立像の一対もある。それに、ゲントのバーフ大聖堂の祭壇画の両端に描かれた、ファン・エイクの、対になったアダムとイヴ。このイヴは身ごもった大きな腹をして描かれていて、それが私に生々しくエロティックな印象を残している。

 一方「楽園追放」では、システィーナ礼拝堂の天井に描かれたミケランジェロの作品が第一だろうか。それに、フィレンツェはサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂にある、私が表紙絵に使ったマザッチョの「楽園追放」ということになろうか。

 そして、私が「楽園追放」を表紙絵に扱った二十年前、私は、こうした作品の現物に、まだ一点も目見えてはいなかったのだ。デューラーの版画によるアダムとイヴなどは、作品の大きさからしても、版画である点からしても、実物に出会う機会が一番ありそうなのに、意外にも、それに出会えたのは、名古屋ボストン美術館で催されたデューラー版画展でのことで、たかが三年前のことに過ぎない。それ以外に、アダムとイヴの絵で、展覧会で出会ったものといえば、レンブラントの銅版画ぐらいのものだ。これには、一九八二年の愛知県美術館で開かれた『レンブラント展』のエルミタージュ美術館所蔵のものと、二〇〇三年国立西洋美術館で開かれた『レンブラントとレンブラント派』展のアムステルダム国立美術館所蔵のものと、二度お目にかかっているが、それ以外は記憶がない。つまり、よく知られた題材の割には、どうも、アダムとイヴの絵は少ないのであるらしい。

 そういえば、和辻哲郎や野上弥生子は、間違いなくシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画を見ているのだが、和辻の『イタリア古寺巡礼』にしても、そのアダムの首の部分の拡大写真を挿絵として入れておきながら、それへの言及は文中に見られないし、弥生子の『欧米の旅』にしても、「青銅と大理石で、一種格天井に似た枠をつくって『創世記』が描かれているが、(中略)いずれも見事に強健な肉体をもち、予言者たちも、女巫者も、アダムもイヴも、描かれたものと云うより正しく彫刻であり、法皇に対する鬱憤から、ミケランジェロは彼らを天井に抛りあげた、との批評も決して誇張ではない。」と記すばかりである。同じミケランジェロでもサン・ピエトロ寺院のピエタについては、思いの丈を溢れんばかりに書き綴っていたのに比べれば、雲と泥との差である。やはり、アダムとイヴの作品は、鑑賞の対象としては、問題視され憎いものだということになろうか。

 ところで、六十路に入って、ということは一九九二年以後になる訳だが、漸く私も世の風潮に乗って海外へ足を運ぶようになったら、別にそうしようと努めた訳ではさらさらなかったのに、上に記したアダムとイヴを描いた作品達に、マザッチョの「楽園追放」を除いて、全部面拝するまでになってしまったのだから面白い。

 尤も面拝とは言え、例のミケランジェロの天井画のアダムとイヴは、野上弥生子ではないが、抛り上げられたような遥かな高みで、双眼鏡を携帯してなぞいなかったから、肉眼では、身近に見た感じが全くせず、恰も地図によって現場を確かめるのに似て、画集で見覚えている画像の記憶によって、遥かな高みにあるものが本物であると納得しただけである。

 ところが、不思議なもので、この春、まるでピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を辿る旅と言ってよいようなイタリアへのツアーに参加して、三度目になるフィレンツェの訪問をした際、奇しくもそこで三組のアダムとイヴに出会うことになったのである。

 今度の旅程には、フィレンツェで一日の自由時間が設けられていたので、これまで二度のこの街の訪問で、そこが町中から外れていたため見残していたサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の、ブランカッチ礼拝堂に描き残されている、例の、マザッチョの「楽園追放」を含む壁画は是非見に行きたいと思っていた。そしてもう一力処、ピッティ宮にあるボーボリ庭園も、最近テレビで紹介されてもいた、そのグロッタ(洞窟)芸術なるものに見参したく、訪ねようと決めていた。ピッティ宮の美術館の方は、既にこの前、妻と二人でフィレンツェを訪れた折に見終えていた。

 教会を訪うには朝に如かず。私は妻と気持ち良く晴れた朝のフィレンツェを、サンタ・トリニタ橋を南に渡ってカルミネ教会へ歩いた。教会の前の広場は、全く駐車場と化し、広場を占拠した車に教会が片隅に押しやられている。

 正面の入口から入り奥へ進んだが、ブランカッチ礼拝堂へは通る事が出来ず、外へ出て改めて見直すと、正面右手に小さな出入り口があったので、それを潜って中へ入ると、受付が設けられていて、マザッチョの絵のある礼拝堂の見学予約を取っていた。申し込むと十二時半の回になるとのことなので、兎に角その予約を取って外へ出た。

 それではボーボリ庭園を先に見ようと、私たちはピッティ宮に急いだ。こちらはチケットも直ぐ求められ、直ぐ入園出来た。

 入園してすぐ取っ付きの売店で、日本語版のガイドブックを求め、それを便りに歩くコースを決めて園内を辿った。辿って一番奥の見事に造園された泉水の島まで行き、その帰り、脇道に入った小さなグロッタに行ってみると、なんとそこに、身を寄せ合って立つアダムとイヴの白大理石の裸像が置かれていた。ガイドブックに従えば、ミケランジェロ・ニッケリーノ(一五五〇~一六二二)の一六一六年頃の作品ということになっているが、無論こんなミケランジェロは、私にはとんと不案内である。

 時代からすれば、ベルニーニなどのバロックの時代ということになる。そう思って見るからであろうか、イヴは、アダムの肩に両の手をかけて己が顔を凭せかけ、アダムは、右腕を腰に当てて足を組み、凭れかかるそのイヴの頭を左手で抱えこむようにして立っているのだが、お互いが顔に深い憂いを湛えているように見える。二人とも、前をおきまりの無花果の葉で覆って造られている。 

 それは、同じように無花果の葉でそれぞれの前を覆って立っていても、殆ど無表情と言っていいデューラーやクラナッハの「アダムとイヴ」とは違って、「誘惑」の場げ句、「楽園追放」の憂き目を見たお互いを悲しみいとおしむ情感が露で、それが新しい驚きである。

 しかし、アダムの足許に、もう一人一回り小さな裸の女が跪いてアダムの方を見上げているのは、どうしたことなのだろう。このもう一つの驚きが、作られたグロッタという空洞空間にあって、その不思議を一層増幅しているように見える。そしてこの不思議感覚が、その後見た園内の二つのグロッタ空間を面白く見せることになったことは間違いない。

 さて、時間を気にしながらブランカッチ礼拝堂に戻った。そして礼拝堂内陣の壁面に描かれた二点の「アダムとイヴ」像に私は出会った。

 礼拝堂に向かって左手手前の上部に、マザッチョの「楽園追放」が、画集の画面から抜け出して、思っていたより大きく、肉感的にもリアルに、私の眼に迫ってきた。私は『緑』の表紙で茶化したことを、ちらと、申し訳ないことだったと思った。そして視線は、これと対照的な位地に置かれた、同じ大きさのもう一枚の「アダムとイヴ」の像に引きずられている。それは、画集での予備知識がない作品だった。

 地上の楽園の、沢山の赤い果実をつけた林檎の、その幹に巻き付いた女の顔をした蛇の下には、これまた幹に腕を巻くように掛けたイヴが立ち、その隣にはイヴに顔を向けたアダムが立っている、そういう絵である。

 絵は明らかにマザッチョのものではない。説明に従えばマソリーノである。私見としてその出来栄えを言えば、マザッチョの百に対して三十以下。無論、私はマソリーノについてはその名前以外に何も知らない。題材からすれば「イヴの誘惑」であろうが、何の情調もその絵にはない。

 その時、一枚の絵が突然思い出された。それも「イヴの誘惑」に関わる絵だった。マックス・クリンガー(一八五七~一九二〇)の、確か「蛇」と題する銅版画である。それは小さな縦長の絵で、知恵の木の実をつけた林檎の木の枝から蛇が一匹絡み下がり、手にした鏡をイヴに見せかけており、爪先立ちした長い髪の裸のイヴが覗き込んだその鏡に、満足そうなイヴの顔が映っている、そんな絵だ。そうだ、胸元に上げたイヴの手には林檎の実が持たれていたっけ。

 物語的で暗示的象徴的な図柄が、極めて写実的なタッチでエッチングされており、水辺の背景の描写と相俟って、叙情的で詩的でさえあったのが思い出される。

 日本に帰ってから確かめたら、私が「マックス・クリンガー展」を見たのは、一九八九年の春、名古屋市美術館でのことだった。もう一六年も前のことだったのだ。

 

(二〇〇六、四、一〇)

 

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