川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

無念残念鼻欠けルーヴル

 朝、雨戸を開け、庭木の上の青空が、沁みるほどすがやかに目に飛び込んできたりすると、漫ろ神に乗せられて、迂闊にも外出がしたくなる。

 そんな迂闊の末、四月半ば、散策の足が久しぶりに名古屋市博物館へと向いて、ルーヴル美術館所蔵の「古代エジプト美術展』を見ることになった。足がそう向いたのは、新聞屋が呉れた招待券を無駄にすまいとする、貧乏人臭い斟酌が働いていたからに過ぎず、私にはその程度にしか、このエジプト美術展は考えられていなかったのである。

 一体、古代のエジプト美術については、二〇〇〇年に、大英博物館所蔵のものとカイロ博物館所蔵のものとによる二つの展覧会が催され、私はそれを、それぞれ名古屋市博物館と東京国立博物館とで観たのだが、ロンドンとカイロの二つの博物館を、それぞれ訪ねた際には、興奮に目も心もすっかり上ずった見学に陥ったのとは打って変わり、今度は、眼差しのゆとりが齎す感動を、新鮮に受けとめ直すことが出来て、大英・カイロ両博物館の美事な内容に改めて眷恋の情を抱き直した、どちらも、見甲斐たっぷりの展覧会だった。

 一方、私はルーヴルを訪ねたことはあっても、その古代エジプト美術の展示室に足を運んだことはなく、加えて、ルーヴルの古代エジプト美術の所蔵品については、これまで、カイロ、大英両博物館の内容の素晴らしさが、何度もテレビで紹介され見知っているようには、私は何も見知るところがなかった。それは、二つの博物館に比べ、ルーヴル所蔵のエジプト美術が、ひょっとして見甲斐いの乏しいことを暗示するのではないかと憶測され、今度のルーヴルの『古代エジプト美術展』に対する私の関心を希薄にしていたのである。

 土曜日のこととて会場は観客も多く、まずまずの人気なのは重畳の至りで、展示品に対する、観客の率直な驚きの反応の声を幾つも耳にしたには違いないのだが、私にとっては、予想を裏切らぬ「やっぱり」という落胆の内に見終わることになってしまったのである。

 私などは、人体像などに出会うと、どうしてもその顔立ちの造りと見栄えに関心が行くのだが、ルーヴル所蔵のこの展覧会では、出品作の人体像の顔の殆どで、鼻の頭が見事に欠けていて、男女を問わず見目の麗しさを損なっていたのだから、興を殺がれること誠に夥しい。満足な人体像がないのでは、展覧会の力が弱くなる。なまじ、一方で、描やカバや鷲など、欠損のない小ぶりな像たちの展示があるだけ、この力の弱さは際立って実感されることになる。それでも「授乳するイシス女神像」や「アメン神像頭部」は、若し鼻さえ欠けていなければ、溜め息が洩れたかもしれないと、その美しさを思い遣ることも出来るが、鼻欠け像の多くは、そんなことを感じさせもしない、表情の欠けた無味な、時には醜悪な、最早顔面とは言えない顔面に成り下がっている。若し収穫を言うとしたら、顔面における鼻の重要性というものをとことん納得させられたということだろうか。二つの古代エジプト美術展を見ているだけに、この内容は私を侘しくした。

 それを、コミッショナーであるルーヴルの意図によるのだろうが、フランスにおけるエジプト考古学の功労者として、ナポレオン一世とシャンポリオンとマリエットの三人の、染み一つない真っ白な大理石の胸像(鼻が無欠なのはこの三体だけである)を展示して、その功績の表示のために相当の展示スペースを割いていたりすると、侘しさまた一段と極まり、こんなことでルーヴルを権威づけようとする浅ましさまで思われて、挙句腹までが立ってくる(無論、既に見た二つの古代エジプト 美術展で、そんな顕彰のコーナーなどありはしなかった)。

 それでも図録はやはり買い求め、空しい気分と一緒に手に下げて帰ることになる。

 帰宅して、書棚に、二〇〇四年に求めた『エジプト文明展』と『大英博物館古代エジプト展』の図録を探し出す。そして、前者では、眼差しの憂いが巻きつける小さな「身代わりの首」、長い付け髭の上の顔面の笑まいに彩色の跡が色っぽく残る「トトメス一世像の頭部」、穏やかで家族的な優しさが、それぞれ三体の並んだ人物像に溢れた「メンカウラー王のトリアド」や「建築家カエム・ヘセトの家族像」、大司祭ニムロトの娘「シェブ・エン・セベデトの座像」や「神官ホルの方形彫像」のいずれも女性的で嫌みのない柔和な顔、それらのどれをとっても、その人たちへの慕わしい愛しみに見飽きることのない、そういう顔ばかりだった記憶が蘇る。さすが本家エジプトの博物館だけのことはある。また後者では、王冠の先端も顎の下部も欠け落ちているのに、鼻の欠損がないため神秘的微笑を称えて魅力的な王像の頭部、高さ三尺にも満たない、左手を胸に当て、無垢な少女の面差しで腰掛けている「メンケペルラーセネブ座像」、高さ一尺程の、蛇頭と羽飾りの付いた心を高く戴いて、悲しげな目を見開いて口に微かな笑まいが見えるオシリス神の青銅の立像などがあった。無論鼻欠け像もあったのだが、欠損のない美事な作品に出会うことで、私などは、こちらの感情移入が果たされることになり救われる。つまり、ルーヴルの「古代エジプト展』には望むべくもなかった対象の功徳を受け取ったわけだ。

 五月に入って、漫ろ神の御むずかりはさらにも増して、またぞろ、横浜市美術館の「ルーヴル美術館展」を見に出掛けた。過去二回のルーヴル展(一九九三年四月、神戸市立博物館においてと、一九九七年五月、東京都美術館において)を見てきたからには、その義理だけは果たさなければと思い立ったのだ。桜木町へ出て、この前来たのは確か『中国文明展』を見にきた時だったはずだが、あれからもう四・五年経つのではないかなどと思いながら、動く歩道を辿って美術館に行く。行ってみると、水曜日の十時過ぎだというのに、入館者が列を成して並んでいる。何とも結構な御時世で、慶賀の至りだが、私自身も並ぶ一人なのだから世話はない。

 しかし、展覧会は、私には、義理が先に立ってのことで大して期待もしていなかった分、救われたと言ってよい内容だった。入場した正面にアングルの「泉」を飾り、中心に同じアングルの「トルコ風呂」を置く設定は尤もなことだが、「泉」は既にアングル展で見たものであり、「トルコ風呂」は期待したほどではないということになれば、何をか言わんや。僅かにシャセリオーのヴィーナス像、ジェリコーの老婆像、コローのギリシア娘(どれも一メートルに満たぬ小品である)ぐらいが、私を喜ばせたに過ぎなかった。『エジプト展』に続く今日と、私にはルーヴルの香りと傲慢がちらついて弱った。

 私には口直しの必要が生じた。そこで午後は、国立博物館に「ベルリンの至宝展』を見ることに決め、上野へ出た。良かった。口直しは見事適ったのである。

 入館して間もない、出品されていた三〇点ほどの古代エジプト美術が、その品質の高さによって、私の幸せ気分を決定的にしてくれたのである。それは、ルーヴル所蔵の「古代エジプト美術展』の不満を埋め合わせてなお充分な釣りがくるものだった。

 この古代エジプト美術は、曾てベルリンのシャルロッテン宮殿前にあったエジプト博物館を訪ねた際に、見た作品なのかも知れぬが、あそこでは、誰もが知る王妃ネフェルティティの首に目が眩み、異空間にさ迷う酩酊状態に陥ってしまったのだから、見ていたとしても初見と同じことだ。その王妃に因む「ネフェルティティ王妃あるいは王女頭部」と題する長めの首の上に十五センチ位の顔が刻まれた像が出ていたが、褐色の肌に穏やかで険のない鼻梁と縁取られた目、藍の引かれた眉に紅がうっすらと残る唇の、その顔はひいやりとした唇と頬の温みが感じとれるほどの美しさである。さらにも驚くのは、ネフェルティティの義理の母に当たる「ティイ王妃の頭部」像で、木彫の、一五センチ程の冠を高く戴いた、一〇センチにも満たぬの王妃の顔なのだが、威厳の眼差しと鮮やかなアラブ系の人の唇との何か言いたげな小癪な風貌で彫られており、美人顔の美とはまた別のリアリティの力がそこにあった。『無辜の民』の小品群を作った本郷新は、それがどんなに小さくとも、作品に向かう気持ちは、大作に向かう時と同じだと言ったそうだが、それは、作品の享受者にとっても同じことで、この二つの小品は大作と変わらぬ美的衝撃を、同じ本郷の言った「彫刻の重さは命の重さ」という言葉通りの実感としてこちらに伝えている。コバルト色の上薬の艶やかさを殆ど無傷のまま残した、陶器製の掌に 乗るほど可憐な「ホルスを抱くイシス女神」(キリスト教世界におけるキリストを抱く母マリアの像に当たる)も、よくぞ御無事でと手を合わせたくなる。南無三宝、南無帰命頂礼。

 私は、漸く、ルーヴルの鼻欠け像を見せつけられた無念怨念から解き放たれることができた。そして、かほどに鼻欠け像に恨みを抱くのは、私自身の顔が鼻欠け像同然である故で、見目よい顔立ちの人達には、こういう思いは起こらないのかも知れぬと思われてもきた。

(二〇〇五、五、二〇)

 

 

 

 追記 夏に入って、ルーヴルのエジプト美術をNHKがテレビで紹介した。鼻欠け像ならぬ立派な女性像が三点ほど出て来たが、私に衝撃を齎すほどの物ではなかった。見終えて、ルーヴルのその展示室の、かつての宮殿としての美事さに目の覚める思いがし、それをしも見に、ルーヴルの古代エジプト館には足を運びたいと思った。

 

 

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