「二〇一七年、今年の美術館初詣では、二月も八日を過ぎた、晴天の水曜日になった。
詣でたのは、東京都美術館での『ティツィアーノとヴェネツィア派展』である。
この日の初詣ででの念願は、遠路遙々初めて来日し、御開帳に及ぶという、ティツィアーノの「ダナエ」に合掌し、併せて、御随伴ありと聞いている、同じティツィアーノの「マグダラのマリア」への拝謁も得て、吝(けち)なこの胸一杯に、女性美の御利益を頂戴することだったのである。
去年、日伊国交樹立一五〇年を記念しての、イタリア美術の日本での展覧会のうち、ルネッサンスの美術については、フィレンツェ、ローマで活躍した画家達の仕事が主を成したが、同じイタリアでも、それとは画風を異にするヴェネツィアの画家達の展覧会が企図され実施されもした。
現に、去年の七月から十月にかけて、国立新美術館で、「アカデミア美術館所蔵」とことわっての、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』展が、無論これも「日伊国交樹立一五〇周年特別展」として、催されていたのだった。
その、一五〇周年記念の最後を括っての展覧会が、初詣での本展であり、この初詣展に先立つ、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』展は、去年の七月十三日、汐留ミュージアムに『ミケランジェロ展』を観た日の午後、六本木に足を運んで観ていた。
その時、展覧会は、ヴェネツィア・ルネサンスの「巨匠たち」を、ティツィアーノを嚆矢として、ティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノの三人を指して組まれていたが、その出展作品の殆どを、ヴェネツィアのアカデミー美術館一館の収蔵品で飾って見せたところには、主催者の、フィレンツェのウフィツィ美術館やローマのカピトリーニ美術館と相拮抗する、美術都市ヴェネツィアを代表する美術館への、主催者の強い拘りを伺うことができた。
そして、その時の展覧会のちらしには、「巨匠ティツィアーノの晩年の傑作《受胎告知》日本初公開」とあって、ちらしの画面はその受胎告知の絵によってできており、作品は、ヴェネツィアのサン・サルヴァドール聖堂の壁面を飾る、高さ四メートルを越す大作であることが、案内されていた。無論、ここにも、主催側の展覧会に対する入れ込みの大きさが窺えた。
それから半年が過ぎ、今度の『ティツィアーノとヴェネツィア派展』に出会ったのである。その画家たちが、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』の「巨匠たち」と重なることが直ぐ思い遣られ、一体、今度はどうなることかと怪訝になりながら期待されることになった。
しかも、今度のちらしでは、「ティツィアーノの傑作《ダナエ》初来日」との見出しの宣伝宜しく、作品「ダナエ」の全体がちらし一面に刷られており、お陰で、今度の私の初詣で参拝の念が、止み難い大きさに膨らんでしまったのである。
こうして今回、私は、地下一階のロビーに下り、受付でお賽銭を払うと、特別展のいつもの会場へ入館することになった。参詣本展の参道の初めは、主神ティツィアーノが登場する本殿に至るまでの、十五世紀後半から十六世紀初頭にかけての、初期ヴェネツィア派の作品十九点が「ヴェネツィア、もうひとつのルネサンス」と題して飾られていた。
展示は、ラッサロ・バスティアーニが描いた、ヴェネツィア共和国の統領の、帽子を着した正装横向きの五〇センチ大の肖像から始まり、その後は、お定まりの「聖母子」像が何点も並ぶ。どれも五〇から七〇センチの大きさで、聖母は、或いは赤子を抱いて椅子に掛け、或いは青空を背にキリストを抱き、または暗い壁を背に赤子に乳首を吸わせ、キリストも抱かれていたり寝かされていたり、聖母に支え立たせられていたりして、祈られる像の意味、情調の多様性を案内していた。それから参道には、「ヴェネスト地方の画家」とのみあって名の記されていない作者の、二点の、黒をバックにして描かれた中年男性の肖像画があったが、中でも「青い袖の服の男」の表情と衣服の表現のリアルな深さは、作品空間の奥行きを見事に造形していた。そこには、ティツィアーノの「復活のキリスト」と題した作品もあったが、これは素材も主題も、それに拘って齎された作品の明るさ、それも影を伴わない明るい筆捌きが、私の気には入らなかった。
ただ、このコーナーの最後が、凡そ名画傑作から遠い、マレスカルコという画家の「田園の奏楽」という八〇×一二〇センチ大の、作品が救いになった。
その絵は、山と林の日暮れの景を背にして、右側に優しく白衣を着て、フルート、リュート、ヴィオラを手にした三人の女性が立ち、手前左側には帽子から靴まで格好付け宣しい二人の青年が立ち、その右手には白衣で身を飾った二人の女性が、青年に向かって話しかけている、言ってみれば、これから催される合奏と、そこに明るく催される舞踏の遊びが、思い描かれる、そんな絵だったのである。
そして、「ティツィアーノの時代」と名乗った、本日の本堂へ入った。入ってまず目に飛び込んできたのは、ティツィアーノの作品、八〇×六〇センチ大の「フローラ」だ。
白い衣を纏い上半身胸乳の元まで豊かに肌を見せて、右掌に花の幾房かを握るように持って立つ美女フローラの姿が、その肌の温もりをふわりとこちらに掛けるように描かれている。この乳房の露出もない見事な女体の表現が齎す温もりは、既に、フィレンツェのウフィツィ美術館で体感したことがあるが、それを、今度はフィレンツェから来日して、体感させてくれたわけだ。私は嬉しくなる。
そして、この「フローラ」に仕えるかのように、「フローラ」とほぼ同じ大きさの、イル・ヴェッキオ工房の「女性の肖像」、イル・ヴェッキオの「ユディト」の二点があったが、この二点のあるお陰で「フローラ」の胸肌の美が一層香り立ち、二点は、控えの役を美事果たしていた。
その後、本尊「ダナエ」に至るまでに、まるでその阿弥陀仏を守る仁王様のように、七点にも及ぶ男性の肖像画が参道を飾っていたが、どれも仁王相応に、中年男性の肖像で、暗い背景の中に、描かれたそれぞれの眼差しの鋭さが印象的で、十六世紀前半の、女性の表現美に対応しての、男性の「肖像画」美だったのだろうかと、引きずり込まれ た。
最後に本堂に至ると、本尊は、その前に、ベルナルディーノ・リチーニオ作の、八〇×一五〇センチほどの、白いベッドの上に仰臥する全裸の「裸婦」像と、ポリドーロ・ダ・ランチャーノ作の、六〇×八〇センチほどの、海が遠望できる木立の左下に、全裸のヴィーナスが仰臥して眠り、右上にヴィーナスに向かって羽ばたくエンゼルが描かれている「眠るヴェヌスのいる風景」画とを置き、本尊の後には、ティントレット作の、一五〇センチ平方の、右上から左下へ対角線上に、横臥して座すように描かれた全裸のレダが、その右手で、彼女の方に延ばされた白鳥の首を押さえている「レダと白鳥」を据えて、鎮座していた。
この本尊前後の三点は、それぞれに裸女としての裸体美をよく表現していて、本堂が女性の裸体美の世界であることを語っており、本尊は、まさにこの裸体美の「優美」を最も詩的に歌い上げていると言ってよかった。
本尊のサイズは一二〇×一七〇センチ位だろうか。画面左上から右下への対角線の下側、皺が太く寄った白い枕と白いベッドの上に、白い掛布を股に掛けて、全裸の美女ダナエが殆ど力の抜けた姿態で横たわっている。画面右端には、左手に弓を持ち、羽を広げた男の子キューピッドが、左に顔を振り向けて立っている。キューピッドが見遣っている画面中央上部には、垂れ籠めた黄褐色の雲膜から、雲粒が降りかかっており、陰ったダナエの顔の視線は、その雲膜に注がれている。キューピッドの背後には空が青く抜け、ダナエの床の背後は、左端の開かれたカーテンの他は暗い影によって閉ざされている。
ここまで見ると、中央の雲の膜こそは、今ダナエと寝ていたゼウスが立ち去った跡であり、横たわるダナエの美しさこそは、その恍惚の齎した結果だと想像される。
ティツィアーノの描こうとした「優美」が、この「恍惚」にあったとするならば、それぞ、絵描きの至福極楽になろうか、と思ったりもする。合掌!参拝である。
こうして、ティツィアーノの本尊の参詣を終えると、舞台は、十六世紀後半に時代を下げて、「ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼーー巨匠たちの競合」と題した、十四点の作品から成るお堂に変わった。
そこには、まずティツィアーノの作品が四点あり、二点は、老人の聖職者を描いた丈一メートルを超える作品で、一点は、「教皇パウルス3世の肖像」、今一点は彼と工房による「枢機卿ピエトロ・ベンボの肖像」だったが、ティツィアーノ本人の描いた教皇の肖像は、赤い法衣を纏って座した姿態が、三角形の典型的な構図を生(な)してい、貫禄ある重量を美事造成しており、鼻下、下顎、頬の髭豊かな面長な老顔を、その眼の鋭さを沈静に収めて、一つの品格にまで達せしめた技量に脱帽である。私には、肖像画のお手本というにピタリの傑作だった。
もう二点のティツィアーノの、一点は、本人が描いた「マグダラのマリア」で、もう一点は、彼と工房の製作による「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」だったが、私の興味は、当然、まず、これまで観たことのある「マグダラのマリア」に行った。懐かしさが蘇っただけでなく、あらためて、マグダラのマリアの、右手を着衣の左を胸に当て、己が犯した罪を懺悔し、仰ぎ見て神に祈る姿が、聖なるエロスの美を見事に表出し遂げていることを見届け、その美の温もりに、今度もすっぽり陶酔した。
ティツィアーノには、他にも同じポーズ同じ顔立ちで描かれ、両の乳房をその乳首まで鮮明に露わにした「懺悔のマグダラ」という作品があり、それも観た記憶があるが、その裸像が、一向エロチックでなく、長い豊かな黄髪で、胸を隠そうとしているような手の配りが、作品の品位を落魄させているように思われたものだが、今度は、この露わなマリアの方でなかったのが、私を救った。
そして今一点のサロメの絵も、初見の作品として、私には魅力的だった。しかも、その作品は、何と「国立西洋美術館」の所有になっていたのだが、西洋美術館の常設展示場で、これまでこの作品に出会った記憶が、私にはとんとないのだから嫌になる。
ともあれ、一メートル近いこの絵は、何よりも、サロメが肉厚腕太に描かれていて、妖艶の風をまるで持たず、手にした、黒髭の聖ヨハネの切られた首が乗った銅の盆から身を反らせるようにして描かれている、その光景を見ると、これが、ガラリアの領主ヘロデの前で舞いを見せた美少女だとは、とても思えない。宝石の首飾りを下げた首の太さや、着衣の肩口を飾る金細工を見ると、目元に少女らしさが出てはいても、どこか田舎っぽい大柄な娘をイメージせざるを得ず、描き手のサロメに対するその特異な目差しが面白かったのである。
それから、ティントレットとヴェロネーゼの二人の巨匠の作品を見ることになった。
ティントレットの物については、本人の作が一点、本人と工房による作が一点の二点だったが、工房の拘る「ヴェネツィア提督の肖像」画より、本人作の「ディアナとエンディミオン」の物語的作品の方が面白い。
この「ディアナとエンディミオン」は、一、五×三メートルはありそうな横長の大作だが、これには題名の後に「もしくはヴェヌスとアドニス」の添え書きがあるところが妙だった。
画面は、左下に衣を肩に掛けるように纏った美しい裸女が、弓を傍らにした幼児を横たわるようにして描かれ、その右上には、右手に槍を持ったイケメンの若者が、美女の方に語りかけながら、その場から立とうとしており、その場面から右手の下部には、猟犬面(づら)の三匹の犬が、それぞれに顔を上げて鳴くかのように描かれており、その上部には四人のエンゼルが、左手を目して舞っている。そんな出来である。
これを見ていると、裸女が抱いている幼児はキューピッドで、多数のエンゼルは、裸女が夢見ている若者との愛を守り、遂げしめんとしていることが分かる。それに対して、イケメンの若者は、猟犬達を伴い、狩猟に出掛けようとしているのだと分かる。
だとしたら、狩猟を司り、処女の純潔を守りさえした神ディアナと、イケメンだったため月の女神に愛され、その若さを保つため、女神に洞窟の中で眠らされてしまうエンディミオンとでは、絵の情景と整合せず、ヴィーナスの愛人だった美男子アドニスが、狩猟中に野猪に殺されたことを考えれば、描かれた光景は、これを扱ったものだと納得でき、題が添え書きされた事情が飲み込める。
もう一人のヴェロネーゼの物では、本人作は「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」一点だけで、「最後の晩餐」は、本人と助手との合作になっており、「サチュロスとニンフ」、「洗礼者聖ヨハネと聖ヒエロニムス」、「ベルシャツァル王の饗宴」の三点は、本人と工房による作品だった。
中では、本人作の、一×一、二メートルほどの聖家族のキリストを中心にした家族像が、新鮮な輝きを持って私を引き付けた。
その家族像は、些か下がった視点から上向きに捉えられたことによって、ダイナミックな新鮮さを生んでいるように見えた。
絵は画面中央右手寄りに、赤い下着の上に金色の上着、青い掛布で身を覆った聖母が、丸裸のイエスを膝の上に抱き、そのイエスの足元に口づけするように幼い聖ヨハネが右下に描かれ、その右端、聖ヨハネの肩に手を置いて、禿げ頭をこちらに向けて屈む聖ヨセフが描かれている。そして、画面の左側には、金色の衣裳金色の長髪綺羅(きら)やかに、イエスを見下ろして聖女バルバラが立っている。そしてその衣裳の色艶と皺の陰とが、その場の綺羅やかな温もりの動きを美事浮き立たせていたのである。
それから今一点、工房の関連作「王の饗宴」の場を描いた一×一、三メートル大の作品は、出席の中心を成す人物を画面の核にして、宴席の豊穣と快楽の賑わいを、その騒音が聞こえるほどに描いており、私の記憶に残るこうした祝宴の大作と併せて、ヴェネツィアという都市の、一つの時代的な風俗画として、まさに「ヴェネツィア派」だと、微笑みの内に見ることができる作品だった。
こうして油彩画の出展は終わった。
その後、「ヴェネツィア派の版画」と題して、二〇センチ前後大の、ドライポイントによるエッチングが二〇点近く展示されていたが、線描の細密さからはまだ遠く、私には杜撰な出来にしか見られなかった。
私は、ティツィアーノの女性美に出会えた喜びと幸せにすっぽり包まれており、このエッチングでそれを汚したくはなかった。
私は、初詣での参道から出ることにした。もう一時もとうに過ぎていた。
(一九一七、二、一五)