今年、二〇一六(平成二八)年は、日本とイタリアの間に国交が樹立して一五〇年を迎える記念すべき年に当たるようで、それが、美術展の企画に大きな動きを齎したようだ。
お陰で、二月一九日、上京して、ルネサンスの二人の巨匠の展覧会を観ることになった。即ち、午前中に上野の東京都美術館で『ボッティチェリ展』を観、午後、両国の江戸東京博物館で『レオナルド・ダ・ヴィンチー―天才の挑戦』展を観て、贅沢な時間を過ごすことにしたのである。
十時過ぎ、開館間のない『ボッティチェリ展』の東京美術館へは、入館料一六〇〇円のところ、敬老手帳の御利益により一〇〇〇円で入館した。
何しろ、「ボッティチェリ」の名を名乗って、彼の作品を多数集めて展覧会を開催することなど、私にはまず考えられなかったことで、購入したチケットの肩に印刷されていた言葉ではないが、「日本初の大回顧展」だったのである。
それを上京前から感取していただけに、この展覧会に寄せる期待は、私にとって胸膨らむ大きさだったが、実観はその期待を軽々超してしまったのである。
まず、会場に入ると、テラコッタ製の、茶褐色に彩色された、高さ八〇センチはあろう一体の胸像に出会った。帽子状の頭飾りを被った、中高の面を伏せ気味にした中年男の風貌は、眼差し鋭く怒りの情さえ湛えていたが、「ロレンツォ・イル・マニーフィコの胸像」とあるのを見ると、さすがに私のような不勉強な者にも、これが、フィレンツェを統治し、文芸復興運動の中心的存在となったロレンツォ・デ・メディチの像だろうと想定することはできた。まずは、ルネッサンスを代表する画家ボッティチェリの活躍が、このメディチ家の当主の力が背後にあってこそ成立したということを、伝えようと企図したのか。
だから、その後、このロレンツォ・デ・メディチの使用した酒杯やカメオ、メディチ家に係わる色々なメダル、金糸・銀糸をふんだんに織り込んだビロード生地などが、往時ののフィレンツェの威勢の一端を飾っていたが、こういう展示は私の好みに合わない。
そして、その後に、既見の記憶がある、アントニオ・デル・ポッライオーロの「竜と戦う大天使ミカエル」が登場したのである。竜に向かって剣を上げて構える黒衣のミカエルの、イケメンの面差しが、目の前に再登場したのだ。爽やかなその面構えを見ると、初な時期におけるルネッサンス絵画の清廉振りが懐かしく蘇った。
そのポッライオーロ作品が、ミラノ公だったマリア・スフォルツァの風貌見事な婦人像と並べられ、併せて、同時期のアンドレ・デル・ヴェロッキオの作品である、大理石に浮き彫りにされた聖母子像、聖ヒエロニムスの頭部を仰視する形で描いた油彩の肖像画が、このコーナーを飾っていた。
こうして、次の部屋に移ると、そこには、ボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピの作品が一〇点、纏めて展示されていたのである。
フィリッポ・リッピの作品をこんなに纏めて観ることができようとは、私には驚きに当たる。これも、ボッティチェリ展充実のための手だとは分かるが、私には有り難い限いだった。
出展作品は、素描画二点を除けば、全てテンペラ画作品だ、そのうち五点は、聖母子を扱った作品だった。それは、新たに作られていくルネサンス時代の、その中心を成すものがキリスト教美術であり、その核心にあったものこそは、美しい母マリアとその手に抱えられた幼いキリストが織り上げる、聖母子の愛の世界だったことを如実に伝えていた。
作品は、大きくても七、八〇センチで、最も小さい聖母子像は三〇センチにも満たなかったが、その作品も、遠近法はとられていても、遠近によって、対象を暈かしたりはせず、細部まで細かに描き込んでいた。
聖母子像二点は、どちらも貝殻装飾タイプの壁龕を背に描かれていたが、一点の幼児イエスは、マリアの膝上に抱かれながら、肩から足先まで、真っ白な包帯状の布で、その全身がぐるぐる巻きに巻き固められ、身動きできない状態に描かれていた。イエスの養育のためなのであろうが、こういう包帯巻きのイエスを観た記憶がなく、その不思議な朴訥の聖母子に出会えた喜びが、私に生じてきた。
他の三点は、聖母子を上段中心に据え、三段に分けて天使や聖人を配置した構図になっていて、この種の作品の典型的な構造だと分かったが、天使がそう描かれるのは尤もながら、総じてどの顔も丸みを帯びて描かれていて、ために、顔が個性的な独自性を欠いて等し並みに見え、結果、聖の世界に、威厳ぶらない穏やかな優しさを造り出しており、それがフィリッポ・リッピの美の特質のように見えた。が、その分、作品としての力強さを弱め、作品を小振りにしているようにも思われた。
こうしたフィリッポ・リッピの聖母子像から、その優し.さを優しく受け取った後、本展の主役ボッティチェリの、多数の聖母子像に期待を掛けながら、彼の作品展示室へと私は入っていった。
その、ボッティチェリの展示コーナーには、彼に係わる作品が、何と全部で三三点集めて出展されていた。そのうち、ボッティチェリがまさしく描いた本人作の作品は二一点、ボッティチェリとその工房によって作られた作品が六点あって、加えて、ボッティチェリの下図を使って作成したタピストリー等の織物や、銅版画の挿絵などの作品が六点あった。
しかし、観て行くと、私はまず、相前後して出会った四点の肖像画に注意がいった。どれも凡そ五〇×四〇センチ程の作品だったが、中で、「美しきシモネッタの肖像」「女性の肖像(美しきシモネッタ)」と「胸に手をあてた若い男の肖像」の三点には、既に出会っている印象がった。
それあってか、作品には親しみが持て、鮮明な美しさをこちらに伝えた。特にシモネッタの二点は、髪も衣装も全く色合いが違って、派手と地味と、まるで別人のように見えるが、どちらも魅力たっぷりに仕上がっていて、私には、肖像画として、対象の個性を特徴鋭く捉えようとするボッティチェリの意志が感取でき、作品はその力量を十分示して、モデル本人が描かれた自分を喜び得る傑作に見えた。
この俗に対して、聖の世界においても、当然のように個性の表現が生かされており、そこに、ボッティチェリの、フィリッポ・リッピとは異なる、新しい進歩が伺えた。そのことを、ボッティチェリの工房が関わっている母子像二点が、最もよく語ってくれていた。
その二点は、どちらも径一メートル大の円形の画図で、「聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル」では、ヨハネは幼顔に、二人の天使は大人の顔に描き分けられており、その大人の顔の内、白百合を手にしたガプリエルは女らしい横顔に、剣を手にしたミカエルは青年らしい顔に描き分けられており、「聖母子と四人の天使」では、咲き並ぶ薔薇の花を背に草上に座す聖母子を中に、左右に二人ずつ天使が描かれていたが、その四人を見ると、男女の別と年齢の差とが、ごく分かりやすく描き分けられていたのだ。
一方、聖母子像の方は、「バラ園の聖母」「聖母子(書物の聖母)」「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」の三点だったが、「バラ園」のは、半円形のアーチ状の、窓外のバラの小枝を背にして、左膝の上に、上半身だけを肌脱ぎにした裸身でイエスを抱き、窓枠に掛けるようにしているマリアを正面から描いており、「書物」のは、イエスが、胸から上と足とが裸になってマリアの膝の上に立ち、マリアを振り向いているのだが、マリアの顔はそれには応えず、憂い顔で眼差しを落して座している。その眼差しはイエスの左腕に落ちているので、その腕先を観ると、そこには金の茨の輪が嵌められ、その幼い指には、同じく金の三本の釘が握られていた。そこに描かれていたのはイエスの死の暗示であり、それを予知するところにマリアの表情があることに気付く。そのマリアの右手が、机上に開かれた書物の上に置かれ、イエスの右手もその書物の上に向けられているところからすれば、この作品の主題である「書物」とは祈祷書を表しているのだろうと、想像ができる。そして、そのマリアの背後に恋が描かれ、そこには澄明な空が悲しみを立ち上げるように描かれているところが、何とも暗い。それも、「バラ園」に比べて「書物」の方は、観る側に語りかけるゲーム的な遊びが試みられているところに、面白さがある。
何れにしろ、この二点の静謐な作画に対して、「聖ヨハネ」のは、動きを描いたところに、聖母子像としての、独自性があった。動きは、三人の人物が織り成す構造によって造出されていた。聖ヨハネの登場する聖母子像は、聖母子は腰掛け、その傍らにヨハネが立って描かれるのが一般だが、この図では、マリアはイエスを抱いて、上体を前に屈めて立ち、そのためマリアの腕の中で目に身を倒しているイエスに、幼いヨハネは、腕を伸ばして下から背伸びして抱き付き、口付けをして立っている。画面左側には、バラの木がマリアの背後に描かれ、右側には、イエスと口付けするヨハネの後、その肩に掛けて、その足下から槍のような十字の棒が、天に向いて伸びている。そしてマリアの身につけるゆったりした衣装が、青と赤とで、鮮やかな色の交錯した図柄を造り、この独自な動の構図に、表情の柔らかなの動きを齎していた。
この、三者が殆ど画面一杯に描かれた聖母子像の構図の新鮮さは、ボッティチェリという画家の、発想の柔軟な豊かさを示しているように思われた。
しかし、今度のボッティチェリ展の作品群で、一番ひかれたのは、ボッティチェリの聖俗併せ備えた風俗画的作品だった。
その内の二点、「ラーマ家の東方三博士の礼拝」と「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」は、既に実際見たかどうかは別として、既知の作品で、親しみが持て、工房作の「パリスの審判」は画集などでも見たことのない初めての作品として興味深かった。
「パリスの審判」と言えば、ローマ神話の、パリスが三人の女性の中から最も美しい女性ヴィーナスを選ぶ話で、三人の女性を中心に描いたものが一般で、しかもパリスは添え物で、三人の美女を、それも裸体で描くことを主眼にした作品が多く、背景はそのために暗く描かれ、美女三人が浮上するように描かれるのが通例なのだが、この目前の約一×二メートルの大作では、四人の左右の空間が広く採られ、そこに牛馬羊犬等の家畜や鳥たちが群を成して描かれ、背景の海と港には、船舶や櫓塔、城郭等の建物が見え、人物は衣装を身に纏い木立を背にして描かれ、青空の許、全てが等し並みに明るく描かれていた。ために、主題の人物は、最早神話の神秘性から全く解放され、広い多様な日常的環境の中の一存在でしかなくなっている、不思議な面白さを作り出していた。つまり、ここで意図されているのは、「パリスの審判」という神話の世俗化なのだ。
そして、新約聖書マタイ伝記載の聖書「東方三博士」の絵では、小屋の中央高く座した聖母子と、それを仰ぎ祈祷して跪く三博士と、それを左右から見守って立つ博士の付き人や村人が多数、全て明確に描かれているのだが、これについては、私は、描かれている三博士が、メディチ家の父子であり、右の人群の中で自らを指さしこちらを見ている男が、この絵の注文主「ラーマ家」の主人であり、画面の右端一番手前に全身を見せてこちらに顔を向けて立つのは、画家ボッティチェリ当人だということを、既に聞き知っていた。つまり、私が知るほどに、最早神話の世俗化が実現しているだけではなく、世俗化を進める張本人自体を顕示主張するための、聖なる話の活用化があからさまにされているのだ。表現とは、表現の実現内容についての意図・実行の結果に過ぎないことを訴えているのだ。
そして、そのこと事態を作品にしたもの、それが、「ラ・カルンニア」のように私には感じられるのだ。
しかし、この絵が私に面白く思われたのは、描かれていることが、まるで私に分からなかったからである。表現の実現内容それ自体が不可解だったのである。
何しろアベレスは、紀元前四世紀頃のギリシャの画家で、どんな作品を描いたかまで分かっていながら、どこにもその作品は現存せず、そのコピー一つ残っていない奇妙不可解な画家であることは、人名辞典で知ることができたにしても、アベレスの存在も含めて、その作品―――とりわけこの「誹謗(ラ・カルンニア)」に対するミステリーは、いや増すばかりである。
絵の舞台は、アーチ状の列柱の、その柱ごとに古典的な容姿の見事なプロンズ像が彫られ、彼方に海の水平線が望まれる殿堂のフロアーで、まず、その右端の高台の玉座に、左右の侍女に身を寄せられた王冠の男性が腕を延ばして座し、その王を指さして乞食並に貧しい身なりの男が立ち、さらにこの男に左の腕を引かれ、ために腰を崩して倒れかけた美女が一人、その引かれた腕には炎を挙げる松明を握っており、右腕は、その足下に合掌して倒れている裸の男の頭髪を引っ張り挙げて立っている。その背後には松明の女の頭髪に後ろから何かを取り付けようとしている女が二人いる。そして倒れた男の足先には、尼僧を思わせる頭から黒い衣を纏った老女が、右手に顔を背けるかのごとく左を見返って立ち、その目の先、舞台の一番左には、これまでの登場人物から一人離れて、金髪全裸の女性――フィレンツェのウフィツィ美術館にある、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナス像を思い出してほしい―――が、左手に長い髪を持ち己が前を隠して立ち、右手は挙げて天を指さし、その指先を見上げて立っていた。
この絵が、アベレスという画家が描いた、今は何処にもない「誹謗」という絵の、ボッティチェリ流の復元画ということなのだ。
ここには、作画家本人の絵解き言葉を貰わなければ、読みようがないほどのロマンが、そのロマンの世界へ誘い込むように描かれて、ミステリアスな混沌に人を誘い込む画家の遊びである。それも画家が真面目に取り組んだ遊び(芸術)だと言ってよいように思う。
その意味では、聖母子を中心とした宗教画とは、最も対照的な場に立って描かれた作品に思われ、それが、私をこの絵に引き寄せた根幹にあるものだという気がした。
こうして、ボッティチェリの展示室の終わりが来るのだが、その終わりを飾った彼の二点が、また私を喜ばせることになった。
一つは、壁を背に立てられた、丈が一メートル五〇は超えていよう、十字架状に切られた板の上に、テンペラで描かれた磔刑されたキリスト像であり、今一つは、四〇×二〇センチ程のテンペラ画の小品ながら、妖気妖艶の気を発した「ホロフェルネスの頭部を持つユディト」だった。
二つの絵は、見事、ボッティチェリの描き続けた、聖と俗の性(さが)そのものを示しているように思われたのである。
このように、多様な領域に亘ってその力を見せつけた、ボッティチェリの作品群の後は、その部屋のタイトルに「フィリッピーノ・リッピ」と名乗ってあり、添えて「ボッテイチェリの弟子からライバルへ」と付記されている作品群だった。
フィリッピーノ・リッピは、言うまでもないことだが、ボッティチェリの師匠フィリッポ・リッピの息子である。最後の部屋は、そのフィリッピーノ・リッピの作品十五点で締め括られており、そのうち聖母子を扱った作品は三点だった。
しかも、聖母が幼子イエスを抱いている典型的聖母子像はなく、母子二人を描いたものは、「幼児キリストを礼拝する聖母」と題した、草上の岩を背にして横たわるイエスの前に跪き幼児に向かって合掌している一メートル近い絵で、二人がいる草地は欄干で仕切られており、背景の現世に仕切りを付けた別世界であることを告げているようだったが、どの聖母も、優しさを深く秘めた現実を越えた聖を、よく描いており、その点では、神秘性の表現においてボッティチェリを越えているようにさえ見えた。
そして、その彼が描いた作品の最後を括っていたのは、それぞれ壁龕の前に立つ二人の老いた聖者を描いた身の丈程の高さの二点だった。二点の内、左側には右を向いて天を仰ぐように立つ洗礼者ヨハネが描かれ、右側には、左を向いて己が身を抱くようにして俯いて立つマグダラのマリアが描かれていた。その肉体をまるで感じさせない痩せ細った老体は、長い生に負い重ねた罪を悔悛する姿を否応無く謳っているようで、この展覧会を一巡りして来た者に対する締めの論しをしているように私には見え、自分の老いた体が顧みられもして嬉しかった。
そして、今回、この展覧会のタイトルとして立てられた「ボッティチェリ」を伝えるに当たって、その師と弟子、それも親と子である二人の画家の間に挟んでクローズアップさせようとした、その手法に改めて感嘆した。芸術作品が人間関係、もっと言えば、その関係を造り支える社会基盤があって成立するものだということを、つくづく痛感させられた。
私は、本展でボッティチェリに多数出会うと同時に、フィリッポとフィリッピーノの親子の作品に、纏まった出会いを持てた幸せを、温かく胸に感じていた。
私は、肩を竦め、足音を立てないように会場の暗がりから外へ出た。視覚の贅沢に酔った者に、外気はさわさわとさわやかだった。
昼食は、文化会館二階の馴染みの精養軒へ行ってとった。
展覧会のお陰で、いつものランチが、贅沢な味わいになり、コーヒーのうまいことといったらない。
(二〇一六、二、二七)