川柳 緑
513

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

屠蘇機嫌の美術館御託
—食は器を選ぶー

 年明け一月一日の深夜十二時から、NHK教育テレビは、「とっておきの美術・ドイツ・オーストリア四都物語」と銘打って、「ベルリン・よみがえる芸術都市」と題する映像を流した。それを、怠惰な正月気分で寝転びながら目にいれていたのだが、

 しばらくすると新しく建造された文化フォーラムの絵画ギャラリーが写され、あゝ、ここへは行ったのだと、ちょっと懐しく感じながら見ていると、展示作品として、いきなりボライウォーロの「若い婦人の横顔」像が鮮やかに映し出され、思わず私はアッと声を発し、驚愕のあまり跳ね起きてしまった。

 映し出された横顔像は、美人のプロフィールとして申し分のない屈指の麗しさである。カメラのレンズが下に動いて、衣装の袖がクローズアップされると、織り上げられた深い赤色の綾なす糸の膨らみまでがくっきり浮かび上がって伺え、描写の腕の確かさを物語っていた。

 驚いたのは他でもない。この前、私はミラノで見た二点のプロフィールの美人像について語ったのだったが、そのとき私は、それに絡んで、ウフィッツィ美術館にあったピエロ・デラ・フランチェスカのいウルビーノ公夫妻の横顔像こそ思い出しはすれ、このベルリンのポライウォーロの作品については、つゆほども思い出すことがなかったのである。あの時、絵の展示壁面に「貸し出し中」のカードを掲示した空白の箇所などなかったという覚えはあるのだから、この美しい横顔に出会わなかったはずはないのに、一体どういうことなのかと、自分の脆弱な記憶にショックを受けたのである。好きな美術についてすらこんな具合なのかと、今更ながら己の霊験あらたかな老化の成力に気付かされる情けない驚きだった。

 私は新春早々、些か惨めになりながら、してみると、どうやら美しいものは、醜悪なものよりも印象が弱く、醜悪なものほど克明な刻印を脳裏に残すものらしいと納得することによって自分を救うことにした。確かに、この強烈な印象を与える効果を当てにして、映画などは残虐陰惨な映像を作ることに自らを追い立てて来たと言えるだろうし、それがひょっとしたら、今日、殺戮に対するわれわれの不感症の招来増幅に大いに貢献することになっているのかも知れないと、およそ屠蘇気分に似つかわしからぬ頭の働きで、私はいよいよ消沈した。

 私は、慌てて頭をベルリンの絵画ギャラリーの記憶の方へ戻すことにした。テレビの映像が映し出していた天井の高く明るい広大な壁面に、絵が小さく横一列に並べられている人気のない四角な空間(その空間=部屋は、壁面に陰を作らぬよう、ベた一面均一の明るさとトーンをもって全く無表情に統一されており、それが六十室の余も連続しているのである)に、私はたちまちそっくり入り込むことができた。確かにあのときも、この映像のごとく、そこに立つ私の周囲には、妻のほかにはほとんど誰もいなかった。絵の前に立つ私の頭上左右背後にはガラーンと広大な空間があり、私はその森閑とした無闇と明るいだけの空間に取り囲まれ、その空間からすればあまりに小さく絵に対している私が、まるで小人のように矮小化して感じられたものだ。米粒のような私が米粒のような絵を見ている感覚は、これを美術鑑賞といえるものかどうか。あのときの何だか落ち着かぬ見学が、今改めて想起されてくる。

 私はこのギャラリーに入る前に、これもまだ開館して間のない新ナショナル・ギャラリーの方も覗いてみていたが、こちらのギャラリーも広大な空間で、入館者が自分の足音を気にかけねばならなくなるほどの静かさだった。しかし、展示されている現代美術の作品は、どれも壁面を大きく覆っていて、空間の広さに拮抗しているように思われた。所々に置かれた立体的造形作品も、広がりの齎す空虚感を緩和していた。何よりも、会場が地階に作られていたため、天井の高さがそれほどではなく平板に押さえられていて、広い展示場ながら、何処かに陰を生み出していたのである。

 明らかに、展示空間と作品の大きさとの関係は、作品鑑賞上に大きな影響を持つということだ。考えるまでもなく、床の間を飾る軸の大きさが、床の広さと座敷の広さとに規制されていることは自明のことではないか。

 そういえば、ベルリンに入る前に、私はドレスデンに立ち寄って、ツヴィンガー宮殿内のアルテマイスターの美術館を見てもいたが、そこにあったフェルメールの二点は、ベルリンのこの新しい絵画ギャラリーにもあった二点のフェルメールに比べて、記憶がより明瞭に残っている気がするのである。ドレスデンの美術館は、採光から言っても、展示室の広さから言っても、ベルリンの比ではない。小ぶりなフェルメールの作品は、小さな部屋の暗い壁に下がっていて、とりわけ「取り持ち女」の方などは暗くて見にくかったのだが、それでも、ベルリンの「ワインのグラス」や「真珠の首飾りをした娘」より印象がしかと残っているのは、描かれた素材の面白さも与かっていようとは思うものの、絵を見る環境が記憶の濃度に大いに関わったということでもあろうと顧みられてくる。

 「取り持ち女」は、まるで照らし出されたように、派手な衣装で椅子に掛ける中年の女と、それを陰のように暗く取り巻く三人の男が描かれているのだが、その女の後に立った一人が、左手を前にまわして女の胸を押さえながら、右手で女の掌にコインを落とそうとしている、日くありげな絵柄になっている。これを、あっけらかんと明るいベルリンのギャラリーの壁面で見たのでは、恐らくその意味を尋ねることもなくつるつると見過ごしていったに違いなく、してみると、ドレスデンの暗く狭い壁面が、この絵の鑑賞にいかに大きな効験を有していたか、あらためて分かってもくる。確かにあのとき、私は、薄暗さのために上半身を近づけて目を凝らしたのだと、自分の仕草まで思い出すことができ、その時伝わって来た、暗く猥雑な色気のことまで蘇ってきたのである。

 それに比すれば、新春早々お目見えのこの横顔美人像は、何と清やかな美しさを湛えていたことだろう。雲を棚引かせたような背景の描き方は、ミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館のポライウォーロの作品と同じだが、ミラノのプロフィールよりも美しさにおいてこちらの方が勝っているように直感された。こちらの方が面長に見え、その分ミラノの方が少女っぽく思い出される。何よりも、ミラノの胸先と肩までの描写に比べて、着衣の胸と二の腕、首筋から背筋への屈曲する肌の線の流れまでが描かれたことで、女の美しさが潤いを増しているのである。女の美が首から背筋への線によって表現された点は、前に記したミラノの二点にはないこの絵の手柄だと実感出来た。しかも、ミラノの二点に描かれていた真珠のネックレスがこの女性にはなく、そのために、項から背中へと流れる線の美しさが際立っている。

 ほんの僅かな時間だったが、そこだけ取り出して映される画像は、余分な周辺に妨げられることのない鮮明な印象を見る者に齎すものだ。それは、美術館が、広く明るければ鑑賞にいいというものではないということを、改めて示唆している。壁面が無表情で、作品が一律な光の下で充分に見えるということが、美術館の徳というものでは決してないのだ。 今思えば、私は、夏の午後だったのに、そして溢れんばかりの明るさだったのに、風邪をひく間際のような悪寒を感じてあそこに立っていたのだったが、新しいベルリンの都市建設の、文化的シンボルとしてお目見えしている折角の建築も、実は骨折り損というもので、美術にとっての功徳からは遠い結果になっていることを、あの時、体が脅えとして感じていたのではないか。食を願わば器物とはいえ、器物は食に適ったものでなければならないはずだが、してみると、この美術館の紹介は、芸術都市として蘇り損ねたベルリンの一面を伝えたことになりはすまいか。

 最早、昼を食べることでの満足を得られなくなっている私にとって、食することは器を通じて始めて喜びとなる次第。美術鑑賞も、作品とそれを展示する環境との折り合いがよい、心落ち着く愉楽の空間でこそありたいものとなっている。そういえば、シャルロッテンブルク宮殿の向かいにあった、小さくて決して明るくはなかった、エジプト博物館の小ぶりなネフェルトイティ像が、ベルリンにおける私の美術鑑賞の最大の収穫として、その時の驚きを今に鮮明に残しているというのも、無理からぬ仕儀だったことになる。

 と、腑に落ち安堵したところで、どりゃ、取り甲斐のある小皿を手に、あらためて一第二箸お節料理を嗜みながら、初春の寿を楽しみなおすことにしようと、私はようやく正月気分に立ち返ることができたのである。

(二〇〇三、一、二〇)

 

 

 

P /