川柳 緑
650

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

遊び空間の絢爛争乱氾濫ーこれが現代アートかー

 四月十八日、妻と、三河高浜のかわら美術館へ行った。

 同美術館で、瓦の美術とはまるで関係ない、「想像を超えた世界」という副題を持った『天野喜孝展』が、開催され、ていたからである。

 「日曜美術館」で、この画家の、マンガ家という言葉のレベルを遠く超えた、しかし、洋画家という「現代芸術」の名目などに閉じ籠もった趣などのまるでない、現実的日常的時空を超えた仮構の時空に、躍動のドラマを展開して見せる、その一貫した画風の紹介に興味を抱いたのである。どうやら、現代の劇画家、それもアニメ・キャラ(アニメーション・キャラクター)としては、天野喜孝は名だたる作家のようで、その作品群に是非にも会ってみたくなって、不便を省みず何はともあれ出掛けたのである。

 私たちは、名鉄の高浜港駅で下りて美術館まで歩くことになるのだが、その道は、美しい瓦をふんだんに使って散策風の小路として仕立てられていて、車を気遣うことなく、ぶらぶらと美術館までの距離を辿ることができるようになっている。

 当節は、美術館への客も自家用車で来るのが一般だからであろうか、土曜日なのに、私たちは、この散策路を辿る誰とも出会わなかった。

 美術館の前に着くと、既に十一時半になっている。私たちは七十五歳以上ということで割り引きを受け、入館する。

 天野喜孝の展示作品は、二↓三↓一階の順で観ることになっていたが、作品の大小こそあれ、出展数が二百五十点から成るというのは、当節一般の展覧会の出展数が、百点前後であることを思えば、その充実振りはなかなかのものだということになり、この名古屋を離れた僻地の美術館の、こうした展覧会のない日ごろの空室ばかりの寂しさを思うと、その空室が見事埋められて、美術館と名乗るに足る建物の値打ちを発揮できることになっていた。

 こうした企画展でも催さない限り、瓦の常設展示室一つを除けば、空き部屋ばかりで何もない、こんな田舎町の美術館では、通常、訪れる入館者などまず期待出来ず、その深閑ぶりから閉館が予測されたとしても致し方ないことで、それを思えば、その美術館イメージとは真逆の、喧騒の高い大都会の美術館での開催こそが似合いの展覧会を、敢えてこの美術館で催そうと企てるのは、町の活性化の一助になることを図りもする当然の振舞であろう。だが、散策路の今日の閑散振りに出会うと、眼前の美術館の様子に改めて肌寒くなり、哀切の情を寄せないではおられなくなる。

 展覧会は、天野喜孝の、どうやら古い物から新しい物へと、年代順に、その時代ごとの作品の傾向特徴で括りながら展示されているようだ。

 二階の最初の部屋は、「デビュー」となっており、四・五〇センチの大きさまでの作品が、並んでいた。「科学忍者隊ガッチャマン」に始まり、「ヤッターマン」に「テッカマン」、「ドロンジョ」や「ハッチ」や「新造人間キャシャーン」が、その特徴あるスタイルとポーズで描かれている。ハッチやドロンジョの絵は、昔見かけた気がし、一寸懐かしくなるが、元来こういう劇画・動画の世界にまるで関心を持たず、主体的に日常接することもなかったので、感興を抱くことができないのだ。この点では妻も同じだと思うが、どうなのか。

 続いて、第二の部屋は「吸血鬼ハンターD」となっており、Dの、黒を中心にした配色で、装飾豊かに、繊細な筆遣いで作り上げられた、血色の全くない若く美しい男の、小ぶりな肖像四点は、恰も、歌舞伎の若い女形役者が持つ、冷たい色気のようなものを、漂わせていると言ったらよかろうか。

 続いて、「グイン・サーガ」「ファイナルファンタジー」の挿画がならぶ。私にはグイン・サーガが何なのか知らぬが、その「グイン」という題で描かれた怪物の絵からすれば、どうやら豹の魔神のようなものか。その作品の多くが、「Cover illustration」とあるところからすれば、本の装幀画なのであろうか、その一点一点が、細密画と言ってよい細な筆遣いで描かれ、中でもミステリアスな気配を醸し出している三点は魅力的だった。 

 次の作品群には、その街の姿や、空飛ぶ島や、雲間に浮かぶ城塞が、ファンタスティックに描かれており、加えて、ファンタスティックなスタイルの人物が浮遊飛翔するかのごとく描かれているのだが、しかし、「ファイナル」を思わせるようなものは一点もない。「ファンタジー」の創造に凝り過ぎたせいなのか、私の見損ないなのか。分からない。

 五つ目のパートは、「モノクロームの世界」と名付けられていた。黒だけで描かれた、B4位の大きさの挿絵風作品が、三十数点並んでいたが、どれも墨で描かれたもので、鉛筆で描かれたものは一点もなく、モノクローム作品でもそれが素描、下書きとして造られたものではないことは明らかで、モノクロームの作品が、たとえ小品であっても、彩色画に充分匹敵する力・魅力を持っていることを伝えていた。

 ここまで見てくると、どうやら、天野は、彩色であろうとモノクロであろうと、下書き作品を、自分の画業として見せることを一切せず、完成画だけを、作品としての価値を持つ、人の目に晒すに足りるものだと決めているようだ。そして、展覧会を、その完成画だけの展示で催したところ、天野喜孝の、「画家」としての自己に対する気負いと気取りを感ずることになった。

 どんなに空想的で非現実的な事態でも、それを現実として、写実的に鋭い線と彩色によって描き、表現として見せる自分の創造力に、天野が自己満足を得ているとするならば、その自負が、作品展示に、スタイリストと言っていい対応を彼にさせたとしても、ごく当然のことだ。その天野のカッコ付けに、ニヤリと笑いが生じる。 

 ところで、こうして見てきた作品は、二、三点のリトグラフ以外は、全て紙にアクリル絵具か墨で描いたもので、たとえ、天野喜孝があくまでも絵画きで、アニメ世界のストーリーまでを造ることがなかったとしても、その作品の展開に沿ってキャラクターのデザインを造り、移り変わる場面を描き続ければ(現に、彼の展示されている作品の画像の八割方は、「動画」の語に相応しい動的な場面を造っていた)、アニメ作品の刻々の動的変化に応じた作画を成立させる作業の場、作画の作業工房が必要になることは、想像に難くない。ということは、アニメ・キャラである以上、天野喜孝は、自分のアトリエの中だけで自分の絵を描いておれば済む「画家」ではありえないはずなのに、この展覧会に、工房での作品製作についての案内は、全くない。

 昔、手塚治虫の展覧会を観たことがあった(注1)が、その展示作品を見ると、出版された『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』や『火の鳥』と言った主要な漫画本の二、三ページ分の原画が、それぞれ展示されていると同時に、印刷された漫画のページ仕立てが紹介されていて、漫画本が、作者一人の手だけで仕上がらない、多数の人の手を借りて、つまり、一つの漫画本出版グループを組織することによっ、て、はじめて作品の出版という事業も、経済的に成り立つことを語っていた。展覧会では、そのための工房での活動を、手塚治虫とそのサポーターたちとの作業写真を展示して紹介してあった記憶もあるのだが、天野喜孝のこの展覧会では、そういう事の片鱗すら匂わされていない。

 この天野の態度に、彼のスタイリストとしての己に対する自負と気負いの強さを、痛感せざるをえなくなる。

 その作品が、「アニメ」として、額縁に治まる「芸術」という枠から抜け出してしまい、その宣伝のためには、作品が繊維類や陶器類のデザインの柄などにも利用され、大量生産されるような状態になり、そうなれば、作品が、たとえ天野喜孝という一人の男に発していようと、最早、額縁に治まる「芸術」作品と同一の処遇を受けるわけにはゆかなくなるということにはならないか。

  そういえば、ルネサンスの著名な画家たちの作品、例えば、ボッティチェルリの作品を見ていると、作品の作者が「ボッティチェルリ」となっているものの他に、「ボッティチェルリとその工房」、或いは「ボッティチェルリ工房」となっているものがあって、その工房で、職人が参加して、ボッティチェルリ作品と受け止められるよう仕上げた、つまり、ボッティチェルリという名前を商品的に活用した作品があったことを、大展覧会で学習させられているのだが、そういう事実にも、天野喜孝は目を塞ごうとしていることになる。

 しかし、展示された彼の作品は、全て一点毎に独自の題名が付されている訳ではなく、前述したように、例えば「FF(ファイナル・ファンタジー)パッケージイラスト」とか、「FFイメージイラスト」とか題されていたものが何点かずつあり、「D―真白き堕天使 挿絵」とか「D―ダー クロード 挿絵」とか「グイン・サーガ 挿絵」とかの同題の絵も数点ずつあり、「ドリームハンター 装幀画」、「ライオンボーイ 装幀画」となっているものも複数点展示されていて、作品の一点一点は、個別的であったにしても、時と場合によって選別される同類の中の一点に過ぎない、その分、芸術作品の絶対性は失われることになっていることを、天野は、どう思っているのか、それも気にかかる。

 そのあと、展示は、「The Maidens (乙女)」、「The Machismo (男)」、「KAWAII」の項目で続いたが、「乙女」の部分では、シンデレラやアリスが扱われており、線の輪郭だけで画かれたその女性の裸体は、まるで陰影をもたぬ白地で画かれ、ピュアーなエロチシズムの造形が目指されているように見え、「男」の項では、今度は少年のエロチシズムが白い肌に淡い影のみの無表情の表現によって追求されており、「KAWAII」では、子供と動物が扱われていたが、私にはかわいさを痛感する作品はなかった。

 引かれた作品が多かったのは、次の「東方の夢」と括った、日本の古典的世界を扱った項で、その色彩的絢爛振りが面白かったのである。一つは、それぞれ八〇X一二〇センチ大の、「飛天」と題した六点で、金箔・金粉で仕立てられた宙天を、飛馬と共に渦を成して天女の飛ぶ姿が、スピーディに書かれていて面白く、今一つは、「源氏物語」の、五〇X六〇センチ位の「末摘花」「明石の君」「夕顔」「六条の御息所」「女三の宮」の五点が、どれも暗黒の闇を背にして、流れる女の黒髪と十二単の裳裾の朱色の柄が、大きな曲線を造って乱れ舞う、その動きに、加藤らしい知的処理を感じた。さらに「100lnighits」の作品では、四×三メートル程の大作「天井画 椿」と、六〇センチ×二メートル位の横長の「歓喜」という作品が魅力的だった。どちらも、黒い闇をバックにしている点が「源氏物語」の作画の構造に似ているが、流動の中に書かれた白い裸婦の目を閉じた恍惚の姿を、絢爛豪華な和服の絵柄の氾濫の乱舞の中に描いていた。とりわけ、「歓喜」の絵柄の乱舞が、深い闇の中に横長に激動する描き方は、美しいエロを醸成していた。

 こうして私たちは三階から一階の展示場に降りた。出点数が多く、流石に見草臥れてきていた。

 その一階の展示室は、最後の二つのフェーズが設定されていて、それには「DEVA ZAN」と「DEVA LOKA」と示されていたが、私には何のことかさっぱり分からず、この応じようのない不可解というものこそが、今日の、私にとっての天野喜孝の売りだったのかと思われてきた。

 その「DEVA ZAN」では、描かれている世界が、六〇×八〇センチ位の大きさで、色や形が、抽象化・液化して描かれた、意味をなさない作品が登場し、最早「動画」という言葉で括るレベルを脱してしまった抽象画状態に、天野が行き着いてしまったことを伺わせた。

 それが、「DEVA LOKA」になると、その抽象画状態からまた元に戻り、まず五〇センチ位の正方形の「Candy Girl」と題した、可愛い女の子の、眼差しの表情が豊かで多様な顔立ちの十五、六点が、線と色の組み合わせだけで、黒髪を一切用いずに描かれて並んでいた。しかも使われている色は、穏やかな中間色だけで、それこそ、「KWAII」が、純に結晶化した感じだった。

 そして、澄んだ空色一色をバックにして、中央に痩せた少女の、一切彩色のない白い線画だけで描かれた裸が立ち、それを左右から支えるかのように、宇宙帽を被って天の鳥のように飛翔する天女――その顔の部分だけに黒とグレイの陰が作られていた――の群れが、線描で白く描き出されている、二、五x五メートルはあろう大きな作品が、壁画のように壁面を飾っていた。題は「Creation」と付けられていた。それは、天野式の天地創造の澄明な表現なのであろう。

 それに続いて、「DEVA LOKA」と題した大作が壁面を埋めている。二、五×八メートルはあろうそれは、人も動物も、全て妖怪めいた姿形で、大画面に動的に混在している。そしてこの絵の中央には、真っ白な裸の娘が腕を上にのばして天に昇るかのように描かれている。その爽やかな色気を持つ裸身を軸に、それを取り巻き支えるかのように、混在し乱舞する妖怪めいた者たちの織り成す世界こそが、実感している今の自己というものだと、天野は、自己宣伝?しているのだろうか。

 そして、会場の最後の部屋の壁面を飾っていたのは、一、五×四、五メートル大の大作「Candy Girl」だった。赤を主体にした地に、まさにキャンディと呼ぶに足る少女たちが、画面一杯、大小それぞれ思い思いのポーズと仕草で、愛らしく宙に纏められている。その少女たちの住まう玩具箱があるならば、そこに同居するに相応しい得体の知れぬ遊具風動物たちが、これまた緩められていて、画面の賑わいを造っていた。つまり、この少女たちの賑わいが私たちを、室外の明るい日常世界に送り出したのである。

 さあ昼飯をどうするか。折角だから、この高浜の町の食堂に入りたくなっている。

 

(二〇一五、四、二五)



注1

私の観た『手塚治虫展』は、一九九〇(平成二)年九月、愛知県美術館で行われたものである。前年一九八九年二月に、手塚治虫は胃ガンによって六○歳の生涯を閉じていた。

P /