川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

自己追及の悲哀、時流再認の逸楽
    ー静岡の春、石田徹也と小林清親の贈り物ー

 春三月、気持ちよく晴れた十七日の火曜日、二つの展覧会を観に静岡へ向かった。無論、とちらの展覧会にも、私は大きな関心と期待とを持っていた。

 二つの展覧会の一つは、静岡県立美術館で催されている『―――ノート、夢のしるし 石田徹也展』であり、今一つは、静岡市美術館で催されている『没後1〇〇年 小林清親展―――文明開化の光と影をみつめて』であった。

 

 私は『石田徹也展』から観ることに決めていて、十時半の「ひかり」で静岡に出ると、東海道線に乗り換えて草薙駅で下りた。着けば十一時五十分、折しも駅前は工事中でせせこましくなっており、そんな駅前で美術館行のバスを待つのが気詰まりになって、タクシーを拾う羽目になった。美術館に着くと十二時になる。

 この美術館へは久しぶりで、敬老手帳の御威光も灼(あらかた)に、チケット代半額で入館ができた。

 会場への入口フロアが広やかで、観客を、作品の展示される閉鎖空間の暗がりに誘うかのように開かれており、その、声を発すれば大きな木魂が帰りそうな、静かなほの暗さが、これから観る画家の、不幸な命運と魅力を予告するかのような、ひんやりとした佇まいを造成していた。

 それは、日曜美術館で紹介されていた本展の幾つもの作品の映像が、作品の瑞々しさと同時に、保ならぬ生の閉塞的暗さを私に痛感させていたせいである。

 展覧会は、この先入観を確かめ直しながら酔う過程を辿ることになりそうだった。

 まず、どの作品にも、一人の、少年と言っていいような無表情な顔付きの青年が、作品の主人公として描かれていることに気付かされる。

 その少年風青年の顔は、目鼻立ちに全く癖のない中肉の丸顔で、開いた眼は癖がなく描かれており、喜怒哀楽の感情を表情としてはっきり表出した顔は一点もなく、どれも画一的に無表情に描かれていた。その全く没個性的な点こそが顔立ちの個性だった。だから、その顔に「風貌」の語は通用しない。しかも、その若者は、どの絵でも同じ顔付きをしており、つまり、どの絵の若者も、作品に描かれた若者は、全て同一人物だと分かるように描かれて登場していたのである。

 そればかりか、この同じ顔付きの若者達は、全て表情が短く丸刈りで、それだけ少年に近く造られ、白いワイシャツにネクタイを締め、黒っぽいスーツを着ていた。しかも、複数の若者が一枚の絵に登場する場合、皆、ネクタイやセーターの柄まで同一に描かれていた。つまり作品一枚毎に、描かれた人物(若者)は、複数であろうと、相似の境遇にいる以上、同じ一人でしかないようになってしまう。それは、個性などは無視消滅してしまうという徹也の観察眼を物語っていた。

 若者の、こうした無表情の表情に、次から次へと会い続けると、その顔の主を否応無く石田徹也その人に見てしまうことになる。してみると、どうやら石田徹也は、関わる他との間で生きる自己の、関わる他によって縛られた自分というものの在りようを描こうと努め続けて生きたということになるか。

 そうした石田徹也の具体的作品にどんな絵があったか。それに触れて置きたい。ただし、徹也の絵は、紙であろうとカンヴァスであろうと、全てアクリル絵具で描かれていた。

 作品の記述は、展示の初めの方にあった、眠る若者を描いた作品三点(どちらも横長の七〇×一〇〇センチ位の大きさ)から始めることにする。どちらの若者も眼を閉じて、上着こそ着ていないが、白のワイシャツにネクタイを締め、黒いズボンに黒い靴を履いているのは共通しており、一点は、「みのむしの睡眠」とあるごとく、蓑虫が纏う蓑のようなもので身を包み、頭と靴の足先だけ出して、赤い木のベンチに横たわっている作品であり、今一点は、「だんご虫の睡眠」で、若者は黒く大きなだんご虫の殻の中に入って、膝に手を置き、身を丸めるように描かれている作品である。

 三点目は、ベッドで眠る絵だったが、さすがに若者はパジャマ姿になっており、両膝を抱えるような格好でベッドに臥していた。しかし、その若者は透明で巨大な袋状のクラゲのような物の中で眠りに落ちており、題が「クラゲの夢」一(×一,五メートル)と付けられていた。

 こうして見ると、石田徹也は、眠りに、何かに包まれる温もりを、言って見れば母胎の温もりを願っていたように思われてくる。一人という存在から解かれることのない孤独感に捕われている石田徹也という青年の生を実感せざるを得なくなる。

 それは、仕事を終えて帰宅し眠る場所として描かれた、四〇X六Oセンチほどの小さいマンションの絵によって裏付けられる。三階建てのマンションの端の、三階と一階のヴェランダ側の窓から、まるでマンションを抱え込みでもするかのように手の指が大きく出ており、加えて、端の壁面からは鼻から上の若者の頭が大きく突き出している絵なのだ。若者の頭と指の突き出たマンションの前の中庭には、一葉もない丈高い枯木が何本か立っており、建物の角地には、巨大な若者の顔の方に向かって小腰を屈めた、赤いランンドセルを背負った一人の少女が描かれている。その絵の題は、分かりやすく「囚人」と付けられていた。

 そして、この閉じ込められた休息の場の住人の、過ごす生活とはどういうものか。どう描かれることになっていたか。

 先ず一.五×一メートル大の「兵士」という作品では、四方を七階建てのビルで囲まれた中庭一杯に、スーツ姿の若者が一人、まるで閉じ込められているかのように、手に黒い傘を持ち、左足の膝下を包帯で巻いて腰を下ろしている様が描かれている。

 また、ほぼそれと同じ大きさの「使われなくなったビルの社員の椅子」では、座席を失った安物の肘掛け付きの椅子の中に、残った肘掛けを腕として――ということは、両腕を亡くした状態で、正装のスーツ姿で正座している作品があり、もう一点、同じサイズの「使われなくなったビルの部長の椅子」では、若者が、ソフトで立派な肘掛けを自分の腕にして、椅子の脚部の上で、こちらは胡座をかいて座っており、ネクタイの上に、黒のスーツにチョッキも着ているという、「社員の椅子」の場合との描き分けが面白い。

 両腕を肘掛けに取られたこの絵に比べて、その左手一方をミシンに取り替えた、何人もの若者達が、同じ姿勢でミシンを前にして座し、それぞれ同じ布にミシンをかけ、同じ学習をしようとしている「無題」(二×一メートル位)や、それぞれ同じネクタイ、スーツの制服を着た若者達が、教室の机に座して授業を受けようとしている中で、二人の若者が、机上の大きな顕微鏡となっており、レンズの部分となった顔だけを残して、他の生徒と同じように学習机に向っている「めばえ」(一一五x二メートル位)といった作品もあり、さらに、「燃料補給のような食事」(一五×二メートル位)という作品では、勤め人たちの昼食の模様が扱われており、そのレストランのカウンターの席に、同じスーツの背をこちらに向けて、三人の若者が、等しく丸椅子に掛けているのだが、カウンターの内側には、客三人の前に、前掛け姿の店の制服に身を整えた三人の男性店員が、一人ずつ相対して、手にした、上から下がったガソリンスタンドの給油機を、それぞれ目の前の客の口元に運んでおり、客は今し給油機から注がれる液体を口にして、ランチを済まそうとしている絵になっていた。三人の店員の顔も若者の顔と同じくお揃いで、その点では、三人の客との区別はなされていない描き方になっていた。

 こういう、自分の生活の場や、そこでの仕事の内容や、さらには仕事に使う頭に至るまで、ひたすら等し並みにされてゆくばかりの束縛・拘束からは、人は、若者ならずとも脱却を望むようになるのは当然なことで、それが、壁面に沿って走る洋式トイレの便器の中に独座して、風にネクタイを解かせている若者を描いた「トイレへ逃げ込む人」(一×一.五メートル)という作品になっていたりもしたが、傑作は、単発飛行機の頭部から若者が顔を出し、己が頭上にプロペラを付けて、主翼の上に両腕を広げた機乗姿で空を飛ぶ様子を仰角的に描いた「飛べなくなった人」(一x一.五メートル)と題された作品だった。しかし、そのプロペラは回っておらず、機体は下から支柱で支えられて描かれているといった有り様で、宙への脱出それ自体が縛られており、しっかり束縛の枠内にあることを語っていたのだ。

 アミューズメントというものの実態・本質がそこには示されており、アミューズメントの世界が、現代の企業の中で、どれほど大きな部分を占め、幅広い営業分野を作り出していることかを考えると、「飛べなくなった人」に至る、徹也の描いた若者の姿は、生きることの哀しみを抜きにしては見ることができなくなる。

 それにしても、徹也の描いた人物に女性像は皆無と言ってよい。わずかに三点が心に残ったが、身体的な女らしさ、つまり色気の表現を企図した絵は皆目なかった。

 心に残った三点は、二〇〇二年以後に描かれたものだったが、石田は、二〇〇五(平成一七)年、三十一歳十一ヶ月目の五月に、踏切事故によって急死したのだから、死ぬ前の晩年五年の間に三点は描き残されたことになる。

 そして、この二〇〇〇年(二七歳)以後になると、展示作品の殆どは、アクリル絵の具ではなく、油彩で描かれるようになっており、この三点も油彩画で仕上がっていた。

 その三点の最初の一点は「無題」で、木の椅子の上に、木の背凭れの方を向いて座っているシュミーズ姿の少女が描かれていた。椅子の下には白に茶色の斑の猫が三匹いる。しかしこの絵の徹也らしさは、その少女の腰と膝の下半身が大きな洗濯挟みになっていることだった。洗濯挟みに挟まれている身体的な苦痛を、少女は目を閉じて耐えているのだろうか、但し苦痛の表情はなく、それがこの絵を救っている。二点目は、どことも言いようのない空間に、浮かぶように置かれたミラー作りの容器があり、その器の中に水草が揺れ、金魚と小魚が泳いでいるようだが、その一番端に、女性の顔の左半分が水に髪を靡かせて映っている。

 こちらを見るその女の眼差しが、どこか恨めしげで不思議なエロスを湛えていた。そして二〇〇四年に描かれた三点目は、「触手」という題名を持っていたが、そこに描かれた女性は、肩先までの豊かな黒髪の顔から血を流して傷ついており、両手で抱え込むようにして、胸に大きなクラゲを抱きよせている。クラゲの長い脚が浮くように靡いているところからすれば、この絵は水中の光景だということになる。そして、大事なことは、この怪我をした女性の抱えるクラグの冠の中に、シャツとパンツの、少年のような若者が体を丸く沈めて浮くように描かれていることである。それを見ながら、私は、始めの方で見た「クラゲの夢」の、徹也の括りを見るような気がした。

 そしてその括りを見ると、徹也の死が、事故とは言え、三十一歳の括り、締めになっているように思われてきてつらくなる。

 そういう落ち込みに私は暗くなってしまう。

 しかし、その一方で、二〇〇〇年を過ぎると、ネクタイにスーツ姿の若者は描かれなくなっていき、代わりに芝草の上で戯れる白いシャツにパンツ姿の若者が描かれ、そこに同じようなシャツ姿の幼い男の子が描かれるようにもなっていたこと、また二〇〇四年になって、広い緑野で、運動靴でリュックを背負ったり、自転車のペダルを踏んだりしている若者を描き始めていたことを見届けもした。そうした揚げ句、会場を後に、明るく眩しい日差しの中に出てくると、鬱屈の末に暗くなった自分からもどうにか抜け出すことができた。

 ほっとすると、どっと疲れが襲い掛かってきた。

 

(二〇一五、三、二五)

 

以下次号

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