川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

明るく軽快、広やかにアール・デコ

 『小山田二郎展』を観終えて、府中市美術館から府中駅へ戻り、駅で十二時に、私は久しぶりにKと落ち合った。彼女の娘夫婦が府中にいて、その孫の面倒を見にこちらへ来ていたからである。駅の和食の丼物で昼食を済ませ、久しぶりに目黒へ出て、東京都庭園美術館に向かった。凡そ三年間庭園美術館の改修を終えて再開する、開館三十周年記念をも祝しての、『幻想絶佳:アール・デコと古典主義』と名乗る展覧会を見ようと出掛けたのである。

 言うまでもないが、東京都庭園美術館となった旧朝香宮邸が、日本におけるアール・デュ建築の粋そのものであることは、これまでの何度かの訪問で親しく味わっている。しかし、久しぶりに降り立った目黒の駅前は、建築工事が立て込んでいて、駅前の佇まいがすっかり変わっており、美術館への道を辿り損ねそうになった。

 ところが、庭園美術館の切符売り場から奥は、これまでと全く同じ佇まいで、同じ玄関から入館すると、正面の、ルネ・ラリックのガラスの玄関扉レリーフを初めとして、大小の客室や大食堂の、アンリ・ラパンの壁画などが、実に見事に修復され、扉や壁面のアール・デュ風絵図が邸内の流れを美しく蘇生させていて、気分が爽やかに晴れる。

 一体、アール・デコのデコは、デコラティヴのことで、アール・デコは装飾性美術の謂いに他ならない、一九二〇年代から三〇年代にかけて流行の、社会や生活が機能的に現代化した、そんな変化を表徴する美術運動を言うのだろうが、朝香宮邸が竣工したのは、その運動が結実を見た時期、一九三三(昭和八)年のことなのだ。

 つまり、アール・デコの結晶空間に包まれて、部屋々々に展示されたアル・デコ美術の作品を見ていくことになる訳のだから、こんな贅沢な美術鑑賞はまずあるまい。

 この、普通の展示場とはまるで異なる空気の中で、まず出会ったのが、プールデルの彫刻だった。

 「弓をひくヘラクレス」、「ヴェールの踊り」の小ぶりなブロンズ像と、同じブールデルの、三〇×五〇センチ位の、シャンゼリゼ劇場の装飾のために試作された、瞑想するアポロンを中心に、その両側から、アポロンに向かって走り寄る女神たちを、四角い額状に彫塑した三点のテラコッタとがあった。私には、プールデルのテラコッタは、初めてで珍しく新鮮だったが、それが、ブロンズ像への親近感とも併せて、まさにアール・デコの美術であることを、部屋の佇まいが、見事に証かしていた。この彫刻家が、ロダンにはないモダンの魅力を造形していたことを、改めて私に確認させてくれた。

 そして、展覧会のタイトルとしてあった「古典主義」の徴として、シャルル・デスピオの頭部の彫像「ビアンキーニ」、アンドレ・ドランの油彩の裸体画「海女」、モーリス・ドニの大きな油彩画で、波打ち寄せる岩礁で戯れる何人もの男女の子弟を描いた「トレストレニェルの岩場」の三点が並んだが、ドニの大作だけが、その岩や波の描き方が、写実を超え、人の動きぶりにも、印象派時代を超えたリズムの表現があって、どうにか見ることができた。

 それより、それまでに通った、部屋部屋の修復適った壁面が、まさにアール・デコ的な図柄の美しさを蘇らせていて、これまで再三ここへ来ているのに、改めて新鮮な印象を持つことができたのは嬉しかった。とりわけ、天井高い大客室の壁面上段に、オーカー一色で描かれた森の木立の風情や、その部屋の扉の一つ、アーチ型の上部を持った幅二メートルの両開きの扉のガラス面が、二列ずつ四列、五段に区切られて都合二十欄からなる、アール・デコ的図案でエッチングによって細工された見事な扉は、これぞ、今回の代表となる出展と言ってよかった。

 こうした壁面の修復美を楽しみながら、数多いガラス製品に出会う。その殆どは、箱根ラリック美術館の所蔵品だったが、ルネ・ラリックの香水瓶の「牧神の接吻」や「アンブル・アンティーク」、ブロンズの取手のついた花瓶「クリュニー」や取手のない「射手」、文字盤を裸身の男女が左右から囲むように作られた置時計の「昼と夜」、カー・マスコットとして作られた、女性の髪が風に真っすぐ靡く「勝利の女神」等の作品が、どれも見心地がよい。中でも、騎馬のナイトが、左右からぶつかり一騎打ちをする様を細かな彫りで作った、高さ二〇センチ程の、一メートル近い長さの置物で、付けられたランプによって、装飾的造形の「二人のナイト」が浮上するガラスの彫りの美しさには、目を寄せないではいられなかった。「ダイニング用センターピース」とあったから、それは食卓の中央に飾られる置物らしい。

 この後、廊下へ出、案内表示に従って二階の部屋に上がる。

 すると、庭園美術館の所蔵する絵画二点が登場する。アール・デコらしいデザイン性と、色彩のモダンな明るさとを持った大作で、快適な印象を齎す。一点は、縦一メートルはあろうアンリ・ラパンの「サント=ヴィクトワール山麓、2人の子どもがいるプロヴァンス地方の風景」と題するもので、紅葉によってできたアーチの手前隅の二人の裸の子どもを近景として、その奥に山と村とを遠景として描いたものだった。が、もう一点は、丈が二メートル五〇、横は四メートルはあろう、壁全体を覆う程に大きいマックス・アングランの「四季」という作品だった。舞うように歩む二人の女、草上に腰を下ろし足を投げ出す女と、その肩に手をかけて笛を吹く子ども、食材を入れた籠を頭上に乗せた男性、花を手にした女、それに、その間に立つ四本の、幹と枝とそれに付く色とりどりのけざやかな葉の木々の、全体が織り成す図案性の高い明るい作品が、展覧会の回路のリズム感を歌っていた。

 その後、部屋部屋を飾るものは、様々な家具類になった。

 テーブルと椅子六脚のセット、肘掛け椅子やキャビネット等については、展示作品という感じが乏しく軽く見て通るだけになる。興味を引いたのは、パリの装飾美術館からの作品を主にした、瓶やや製陶像だった。

 ルネ・ビュトーの陶器製の三〇センチ大の「花模様大皿」に、黒地に葉や草を背に柔らかな線で裸婦を描いた四〇センチ位の「裸婦図壷」、フランソワ・デコルシュモンの深緑のガラス製の二五センチ丈の「葉型双耳花瓶 に、径四〇センチ程の深い青の花文飾鉢」、モーリス ドーラの掌に収まり一メートルの丈にあろ「壷」、それに、国立セーヴル製陶所作の、白磁の腹に花模様を描いた三点の「花文花瓶」に、彫像のように焼いた丈五〇センチ程の素焼き磁器の女性「ヴィオラ奏者」や、同じようにして作った文四〇センチ程の素焼き磁器の「花」の籠を頭上に持った娘と「果実」の果実の枝葉を図上に支え仰いだ娘との二点といった作品群が、明るいイメージをこちらに齎してくれる。

 快感のうちに、二階の展示を見終え、指標に従って一階へ下りる。

 ところで、今度の美術館の再開は、これまでの建物や庭園のリニューアルだけではなく、修復期間中に並行して新たに建てられた、建坪が一三五〇平米という広いギャラリーの紹介も兼ねられていた。その白く明るい解放感の強い巨大なギ_ャラリー一部屋を使って、今回の展覧会のために、海外から「招聘され来日した、アール・デコの画家や彫刻家の作品三十五点が、展示されていたのである。

 部屋は作品を保護するために証明を落とすこともなく、見る前から、アール・デュ的な明るさを、解き放たれた気分で楽しめそうに思われた。

 展示された作品の作家は、その名前ぐらいは聞いたことがであっても、その作品を見たことは、これまで皆無と言ってよく、お陰で新鮮なことこの上ない。作品群は、新築の部屋の明るさに見事照応し、本展の掲げた主題「幻想絶佳」の語を、アール・デコ的に充分裏付けることができていた。

 その画家では、まず、六点を出していたジャン・デュパの作品が、その人物人体がデュパ風に様式化されていて、そのユニークな装飾性が面白い。

 「パリスの審判」では、普通なら、パリスと三人の裸女が描かれているものだが、四人の人物は、様式化された天を突く巨木と彼方まで延びる青空の下の広い緑野に、まるで風景の中の点景のように小さく描かれ、点景化した美女の二人はドレスを纏っており、パリスが全裸になっているのだから変わっている。また「現代装飾美術・産業美術国際博覧会ポスター下絵」では、装飾的図案の施された柱棒を腕に抱えて立てている、三人の美女――そのうち右の一人は裸である―――が描かれていて、それが、美の女神ヴィーナスに仕える三美神を描いたのであろうと想像できた。さらに「エウロペの誘拐」は、ベージュの紙に黒一色で描いた、一メートルXニメートルを優に越す大作だったが、模様化された海上の手前中央には、ゼウスの化けた雄牛に誘拐され、その背に裸身のエウロペと、それを誘うように泳ぎ渡る馬と裸身の女たちが描かれ、その背後には巨大な古代帆船が幟をはためかせて進む船列が描かれていた。間違いなく、デュパは、己の新しい芸術活動を、ルネサンスよろしく古典的な世界の復活として、捉えていることが分かる。

 次には、ルイ・ビョテの二点が現れる。一点は、一メートル×四〇センチ位の小振りな作品で「シャイヨー宮《悲劇》のための習作」と題されていたが、構図と色彩との割り振りは、できあがっていて、これが大きな壁画となれば、明らかにアール・デコの現代に適した装飾的な美を示すであろうと思われた。しかも、五段階程に分け、その段ごとに、恐らく物語の登場人物たちの様態を様々な背景と共に描いた、リズムのある古典的風情を持ったものになっていた。そしてもう一点は、「生贄となるイフィゲネイア」という題からして、古典主義に発したものだと分かるが、こちらは、習作画の二倍はある、色も線も、装飾性の高い物の形態も、非常にすっきりと描き分けられている。緑の木立の前、真ん中に一糸纏わぬ娘イフィグネイアが立ち、その左手に、生贄としてアルテミスに送られようとする娘から、顔を背けるようにして青い服を纏って立つのは母のクリュタイムネストラであろうし、歩むイフィグネイアの前を、喜びに跳びはねるように描かれた牝鹿は、アルテミスのシンボルであろう。その描き振りは、マンガチックと言っていい。

 続いて現れたのは、ロベール・プグオンの六点だったが、裸婦人物像を扱った二点は特に魅力的だった。とりわけ、縦横一メートル五〇程の「蛇」は、手前に馬具などの投げ出された草上に、前脚を揚げて跳びはねるように立つ二頭の白馬を背にして、両手を高く揚げて背伸びして立つ全裸の女性、その横で、ソフト帽を被って肩から腰に黒衣を纏い、こちらを返り見て立つ女性、それにこの奥、跳ねた馬脚の蔭で、これまた両手を揚げ、脚を一杯に開いて踊るように立つ全裸の女性が、澄んだ青い空をバックに描かれていて、その色鮮やかでクリアな躍動的描き振りが、目に立った。 

 そして彼にも、七〇センチ×三メートル五〇センチほどの、「パリ4区役所別館祝宴の間壁画下絵」と題した、鉛筆描きに、色鉛筆で部分的な彩色を施した大作があった。

 それは、手から白鳩を放とうとする裸女を中央に据え、その左右に、何人かの、それぞれ個人的な肖像のように、紳士を宙を舞うように描き、それに書籍や楽器や機器のあれこれやが空を飛び交っている、恐らく、パリ4区にとって欠かせない名誉市民を顕賞するための壁画の下絵であろうことを語っている。

 そして、この壁画的大作が、ジャン・デピュジョルの作品三点の中にもあって、それは「農耕」と題されていたが、耕作された広大な大地を背景に、果実や木の実を足許にして、中央に、アダムとイヴのごとき裸の男女が肩を抱き合って立ち、その背後のオリーブの木に向かって、右側で裸の少女が手を伸ばし、左側には、葡萄酒の量を肩に持ちこちらに背を向けて立つ裸女と、彼女に葡萄の房を捧げながら地に腰を落としている裸女が描かれ、右端の大地には、赤子に乳房を与え、肘突きに横たわっている裸の母子、さらには両極に馬と共に描かれた裸の男子、それらが、柔らかい線とくっきりした明暗の表現で纏められ、下絵としての完成度をよく示していた。

 絵画の展示の最後は、アンドレ・メールの作品だったが、その五点のうち、自画像の一点以外は、全て壁画のためのスケッチ風下書きだったのにも驚いた。

 如何にアール・デコの美術が、壁画やモニュメントを必要とするような、未来に明るさを見出しやすい時代の表現だったかを、これはよく物語っていた。

 そして、最後に、部屋の床のあちこちに据えられた彫刻群を辿ることになる。

 すると、そこには、まず三点のブロンズ像が目に付く。カルロ・サラベゾール作の、鎧兜に身を固めて盾を構え槍を振り向けた「パラス・アテネ」と、右手に法螺貝、左手に三叉の鉾を掲げて膝付く人魚トリトーンを表す「海神」、アンリ・ブシャール作の、左肩に楽器を持ち右手で女性を引きずるようにして立つ男の姿態が美しい「ミューズを導くアポロン」が、それぞれ置き台の上に、すっくと見えるように置かれていて、どれもスマートだ。これらが、ギリシャ神話を素材にしていて、ここでもアール・デコの古典主義がよく示されている。

 他に、アルフレッド・ジャニオの五点―――内一点は、五〇センチほどの「イヴ」という銅版画作品だった―――と、レイモン・ドラマールの四点の、どれも、身近に楽しめる手頃な大きさの彫刻作品を見ることができた。

 アルフレッド・ジャニオの三点は、ジャン・グージョン(注1)へのオマージュとして造られた「ニンフ」と題する、女性の肩から上の黄金色のブロンズ頭部像で、中では、豊かな左腕を挙げて己の後ろ髪を掴み上げるようにしている艶めかしさが嬉しく、「イヴ」の、大きな蛇に絡むように乗り、身を握っているイヴのポーズのセクシャルな仕上がりも嬉しくなる。

 一方、レイモン・ドラマールの二点は、一九一五年に英仏連合軍がオスマントルコ軍に勝利した記念に、スエズ運河に建てられた記念碑の、模型として石灰岩で造られた「力」「知性」の二作品で、背の羽を後ろ一杯に伸ばし、前方遠くに向かって顔を上げ、すっくと立っている二体の女神像だったが、その模型の流れる線のモダンな仕上げに、青空の下の大きく建てられた碑像が想像され、これも嬉しくなった。

 こうして、一周して入口に戻り、作品を見ている観客たちを一つに取り入れた、塀で仕切られていないこの大きなギャラリー全体を振り返ると、この会場が、間違いなく一つの祭りの場になっていることが、よく理解できた。

 私は、蘇った朝香宮邸と、新築ギャラリーとによって、アール・デコと呼ばれる芸術の世界を、肌を介して確かに感じ取ることができた気がする。そして、アール・デコの明るさに対して、二十世紀半ばを世界的に覆った戦争の悲劇的暗澹が蓋をしてしまい、外向的芸術から内向的芸術こそが本物の芸術であるかのように今日まで縛ってきてしまった、そういう芸術風土から、この展覧会は解き放とうとしてくれたのだと、感謝したくもなった。

 私は庭園に接して開放的に設えられた出口に眼をやった。

 このあと、Kと飲むコーヒーできたらケーキも添えたいものだ――が、きっと美味くなるだろうと予想され、すると、Kの家庭の愚痴話などは聞かないで済むようにしたいとの願いも生じてくるが、今の気分は、それを笑うことができる。 

 

(二〇一五、二、二八)

 

注1

ジャン・グージョン(一五一〇頃~一五六四〈――六八〉)が、一六世紀のフランス・ルネサンスを代表する芸術家の一人で、彫刻家・建築家としてルーヴル宮の装飾等を残した人物であることは、人名辞典で知ることができたが、私には彼の作品についての記憶は何一つない。

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