川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

プロフィールの美女

 これは展覧会での話ではない。日本の展覧会では、まず見ることのできない絵の話である。この前、プラド美術館展で見たティントレットの「胸をはだける婦人」像のことを書いて、そのモデルである高級娼婦ヴェロニカ・フランコの顔が真横を向いて描かれていることに触れた。話はそこに繋がっているとは言える。あの時、婦人の息づく乳房にすっかり視線を奪われてしまったのは、婦人の顔が真横を向いて、絵を見るこちらの視線をきっぱり拒んでしまっていることと無縁ではなかったろうと、今、私は納得している。つまり、プロフィールの画像というのは、その画像に臨む者の目を拒絶し、拘わろうとする気持ちを撥ね除けようとする、つれない仕打ちの表現になっているということだ。

 絵画が、それを見ようとする観客を対象として成立する という前提からするならば、だから、体の向きも含めての 完全な横顔像というものは、絵画の大前提を無視して尚絵 画であろうと意図する、自己矛盾の上に成立している絵画 だということになる。そういう絵画ならば、当然その数も 少なかろうと見当がつく。

 二〇〇〇年に『フェルメールとその時代」展が開かれ、 フェルメールの作品五点が展示された折、彼の作品が三十 六点よりないこと、また、二〇〇一年に「カラヴァッジョ」 展が催され、カラヴァッジョの作品七点が紹介された折、彼の作品が四十四点よりないことが、それぞれの図録に案内されていたのだが、それに倣って、プロフィール画像の全作を案内するとすれば、一体何点になることやら。ましてやそれが美人のプロフィールということになれば、その数は蓼々たるものになろうと思われる。

 大体、私には、情けないことだが、プロフィールの肖像画を、誰の何という作品と言うふうに論うことができない。知識の持ち合わせがないのである。美術全集などによく紹介されていて、唯一思い出すことができるのは、ウルビーノ公とその妃の横顔を、向かい合わせの対面する形でそれぞれに描いた、ピエロ・デラ・フランチェスカの二点だけであるが、これが記憶に留まっているのは、モデルであるお二人には気の毒だが、その横顔の醜さに与かるところ大きく、モデルが顔を横に向けていてくれるお蔭で、どうにかこちらの目が救われるような肖像なのである。その印象は、当の絵にウフィッイ美術館で出会った時にも、決して裏切られはしなかったが、これが絵画史上の横顔肖像画の代表作だというのでは、私にとっていかにも寂しい限りで、美術上の大きな落ち度のようにさえ思われる。ところが、この寂しい無念さを払拭し、私の横顔像認識を改めさせてくれる体験を、今年の二月、私はミラノで持つことができた。その日、晴れたミラノのドゥオモの屋上からは、遥かに雪を被ったアルプスの山並みを澄明に見遣ることができたのだが、その清々しさに相応しい、それは喜びとなった。

 その日、私は妻とアンブロジアーナとポルディ・ペッツ オーリという二つの小さな美術館を訪れた。そして二つの 美術館のそれぞれで、私は一点ずつのプロフィールの婦人 肖像画に奇しくも出会ったのである。

 アンブロジアーナでは、アンブロージオ・デ・プレディ スの作とされる五一×三四センチの一点に、ポルディ・ペ ッツォーリでは、アントニオ・デル・ポライウォーロの描 いた四五・五×三二・七センチの一点に、私は出会った。 相似た大きさの、どちらも真横の顔を左に向けて描かれて いる肖像画である。前者は一四九〇年頃に、後者は一四七 〇年頃にそれぞれ成ったもののようである。

 横顔の二人は、一見、娘のように若く見えたが、暫くたつと三十には達していると見直される潤いの滲む美しい女 性である。プレディスの美女は黒をバックに陰影を伴い、 ポライウォーロの美女はグリーングレーをバックに陰の深 さを排して、それぞれ左前方に目をやって描かれているの だが、髪の毛の一筋一筋の細部まで克明に描写され、今時 のカメラの能力でもここまで均等に細かくは写しえないの ではないかと思われるほどの、つまり人間の目なればこそ 出来た細密な描写である。

 どちらの横顔からも、相好を崩すというのではないが、 確かに笑まいが窺われ、それが、見る者の視線を拒むつれ なく冷ややかな絵の罪障を帳消しにしている。笑まいは左 前方の何者かに向けられているのに、笑まいの向けられた 何者かに嫉妬するのではなく、それによってそれを見るこ ちらの心が和んでくる、つまり、そこに居合わせる誰しも に功徳となる、そういう笑まいである。目の前の対象でめ るこちらとの交歓を断ち、顔を背けてこちらにとっては見られる存在とのみ化することによって、なおこちらを誘う 魅力、それだけ普遍的な魅力が、そこに描かれたというこ とだろうか。あるいは、そう描きたいと思わせるほどの美 しさを備えた女性が存在したと言うべきか。

 笑まいに誘われ見れば、額から鼻梁・唇・頤へと続く輪郭線と、点睛の瞳とによって作られる女性の造作の美しさは決定的である。正面や斜め前からの顔ならば、多少の誤魔化しも効こうが、真横の顔はそれを許さない。私などは、正面や斜め前からも人に見られるからどうにか生きてこられたようなもので、横顔だけが見られる私だとしたら、とうに世をはかなんでいたかもしれないのだ。その点では、先の醜い横顔の主、ウルビーノ公などは、よくぞその横顔を堂々描かせたものだと感服せざるをえない。聞くところによれば、ウルビーノ公の醜い鉤鼻は、戦の修羅場での負傷のせいであり、彼が左を向いているのは、右の顔面には、その傷痕が残っているからだということなのだが、だとすれば、堂々とはいえ、そこには己の顔の見てくれについての姑息な気遣いが介在したことにもなり、また、そうしてでも描き止めさせねばおかぬ己の絶対的な権威の誇示と、自己の存在を後世に保存しようとする拘りーー当時、一体どんな百姓町人が己の顔を肖像画として残すことができただろうかーーが、顔の醜さに結晶してもいることになる。そうして見ると、改めてここに描かれた婦人の美しさは、その横顔の輪郭線によって紛れのないものだと私には実感できたのである。

 それにしても、こういう輪郭こそが美だという、人間の 顔に対する美意識は、いつ頃出来上がったのだろうか。出 会ったこの二点の絵は、どちらも、十五世紀の後半なのだ が、それは、ラファエッロやミケランジェロより前の、ボ ッティチェルリの時代に相当する。もしこの頃、それ以前 から存在したコインの横顔像というものから脱して、ポー トレートとして描かれた上半身の横顔像の美の規範が出来 上がったのだとすれば、それ以後、女性たちは、それによ って、男の眼差しの下での己の人生を弄ばれる歴史を辿っ てきたということになるのだろうか。そう考えると、この 絵は、甚だ罪作りな元凶だということにもなりそうだが、 どうなのだろう。ともあれ、これを美しいとする美意識が 私に存在することだけは疑いようがなく、私の目における 歴史的伝統的汚染を感じざるをえない。

 さて、どちらの女性も、美人の鼻というものは、高けれ ばいいというものではなく、優しい高さと、鼻梁の先の小 鼻の美しさにかかっているものだということを教えてくれ ている。これを、先のウルビーノ公の妻バティスタ・スフ ォルツァの右向きの横顔の鼻の長きに失した権高さに比す れば、納得の行くことだ。また、プレディスの女性は、唇 の端に窪みを見せて少し肉感的に描かれ、ポライウォーロ の女性の唇は、子供のそれを思わせるあどけなさを示して いて、唇というものが、セックスの表現に深く拘わるものだということも、これも無表情な公妃の唇と比べれば、今 更ながら理解ができることになる。

 そして、二人とも真珠の髪飾りとネックレスを付けてい たのだが、真珠は、美と愛の女神アフロディテが水中から 現れ出る時に滴り落ちる水滴だとされているのだから、そ れをもってすれば、この二人の女性が、神話ではなく、現 実の世界における愛の女神として描かれたものだというこ とは、まず間違いなかろう。

 伝統的な汚染の結果身に備わった審美眼のお蔭で、私は、小さなうつそみの愛の女神像に何ともいとおしい思いを抱かせられたのだが、その思いの動きによって、張りつめている旅の心は和らげられ、まさしく愛の女神の愛に包まれるひとときの幸せを、私は感じることができたのである。

 なお、二つの美術館のうち、アンブロジアーナの方は、 その場所が通りから奥に引っ込んでいるせいもあってか、 入館者が少なく静かで、館内の快い空間を穏やかに楽しむ ことのできる、格好の美術館であったことも記しておこう。

(二〇〇二、一〇、二七)

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