スイスは、世界的に著名な国なのに、これまで、この国の美術に関わる展覧会に出合ったことは、少なくとも私は一度もない。そのスイスから、その所蔵作品からしても、どうゃらスイスを代表する「チューリッヒ美術館」の所蔵作品展と、これまたどうやら、スイスを代表する近代画家らしいフェルディナンド・ホドラーの代表作展が、東京で、この秋、同時に開催されることになったのだから驚く。
何と、今年は、日本がスイスとの間に国交を樹立して丁度百五〇年目に当たるらしく、今度の二つの美術展は、それを記念しての企てだったようだが、そんな企てのもとで催されるスイスの美術展が、希有な珍しさを私に感じさせるほど、スイスという国は、ヨーロッパの他の国々に比べて、歴史的にも文化的にも極めて疎遠な国になっていたということだ。私には、アルプスの観光と時計造り以外に殆ど知るところのない国になっている事態に改めて驚く。そのスイス無知に眼船然、私は、十一月六日に国立新美術館での『チューリッヒ美術館展』を、翌七日に、国立西洋美術館での『フェルディナンド・ホドラー展』を、それぞれ見に出掛けた。
観て歩きは、その『チューリッヒ美術館展』から記すことになる。
チューリッヒ美術館のその展覧会は「印象派からシュルレアリスムまで」の副題を持っていた。つまりモネからダビまでの作品展ということになろうが、日本人には、西欧の近現代美術の大きな流れを辿るに適した、極めて親しみ安い展覧会であることを示唆している訳だ。
入ってみると、展覧会は、その流れを、展示する一部屋街にテーマを放げて、何点かの作品が括られて展示され、そりが順次十四の部屋にわたって展開し、近現代美術の時代的推移を追いやすくしてあったのである。
一部屋毎に、テーマを変えて仕切るという、これだけでも驚きだったが、何よりの驚きは、出展されている作品の多くに、感激のオゝレを発するほどの出会いのドラマが仕組まれていたことである。
まず私は、冒頭1の部屋が、「ジョヴァンニ・セガンティーニ」になっていることに驚く。その部屋には、セガンティーニの作品二点だけが展示されていた。一点の「虚栄〈ヴァニタス〉」は、二〇一一年の九月に静岡市美術館で催された『セガンティーニ展』(注1)で出会っているものだが、今一点の「淫蕩な女たちへの懲罰」が、四〇に七〇センチほどの小さい油彩画ながら、まさしくセガンティーニらしい象徴的な表現で、一方が既に観た馴染みのものであるだけに、新鮮な魅力で私を魅了した。
その絵は、青白い月光の冬空の下、氷雪の野の上に横たわり浮かぶ三体の女性が描かれ、雪原に落ちるその影は、漂い流れる下界の罪の動きを、その冷たさがこちらに実感されるほどに、寒々と表していた。
この象徴性・暗示性から一転、次の部屋は、モネの絵を中心にした印象派の作品六点が登場した。しかし部屋のタイトルは「クロード・モネ」となっており、お陰でロダンのブロンズ像「殉教の女」とドガの小品「競馬」は、部屋の一隅で私には殆ど黙殺されてしまい、モネの作品四点が、部屋の空気を決定付けていた。何しろその一点は、何と二メートルに六メートルはあろう、「睡蓮の池、夕暮れ」と題された睡蓮の大作だったのだ。壁面を大きく支配する作品の、青・赤・黄緑に紫の、モネの絵の具の色の特徴ある濃淡と混沌が、作品の力を遺憾なくこちらに伝えてくる。しかもその濃淡と混沌の美を支えるかのごとく、テムズ川と対岸に建つ「国会議事堂の日没」の夕景を描いた、名高い一作が掛かり、さらには親しみを持たせるべく「陽のあたる積み藁」が一点掛かっていたのである。
そして三つ目の部屋が、今度は「ポスト印象派」と名付けて、ゴッホの二点、ゴーギャン、セザンヌの各一点を展示する心憎さだったが、ゴッホとセザンヌの風景画は、どちらも一見して描き手がそれと直ぐ分かる作品で、どうという思いは生じなかったが、ゴッホの「タチアオイ」とゴーギャンの「花と偶像のある静物画」の二点の静物画は、多分どちらも初見で新鮮だった。とりわけゴーギャンのは、四〇センチほどの小品だったが、ガラス瓶に差された紫色の一枝の花の暗い背後に、黒い頭巾の女の横顔が見え、それを知ると、この絵がタヒチへ渡ってからのものだと分かって、花の紫が作品の神秘の美を生み出すのに大きな役を果たしていることに得心した。
しかし、この部屋で私の眼を見張らせたのは、そこに、今一人アンリ・ルソーの「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」があったことである。ルソーの肖像画として、私に印象深く記憶されているこの一点が、作風からして、この部屋には異様な佇まいを見せていて、驚かされた。
それは、指にタバコを挟んだ右手を胸先に置き、朱いトルコ帽を被って、鼻下に黒い見事な髭を備えた鰓骨豊かなX氏の立派な顔貌が、不思議な魅力を発している絵だ。左手前にトラ猫の肖像が併せ描かれているところも、ルソーらしいユーモアを発揮していた。
続く次の4の部屋が、人物画二点と風景画四点からなるフェルディナンド・ホドラー作品の部屋だった。始めて出会う未知のこの画家は、現在、スイスを代表する画家として認められているようだが、その冒頭に置かれた二×三メートル程の、「真実、第二ヴァージョン」と題した人物群像の大作には、その力強さを感じることはできたが、私に共鳴共感できる表現ではなかった。草花の生える大地の中央に、こちらを真正面から見て両腕を左右に開いて全裸の女性が立ち、その腕から追われでもするかのごとく、左右三人ずつの男性と思われる人物が、それぞれ頭部から黒い布を裾長に被り、皆両手を頭上に挙げて、こちらに背を向け腰を反らすようにして立っている絵なのだが、白い裸女の生と、それを取り巻く黒布の男たちの死とを描いたと思われるその象徴的表現に、ホドラーらしさがあるとしても、私を魅きつけはしなかった。外に、六~七十センチの横長の山や湖を描いた風景画が四点あったが、その着彩の仕方に、ホドラー的特徴を感じることは出来ても、作品として魅せられることは全くなかった。つまり、がっかりして部屋を出る羽目になった。
次の5の部屋は「ナビ派」になっていて、ヴァロットンの四点とボナールの二点に会ったが、温もりのある親しみやす・いボナールの絵に比べて、ヴァロットン――そういえば、彼はフランスの画家だが、スイス生まれだったはずだーには親しみがないだけ、一メートルを越える横長の作品「トランプで一人遊びをする裸婦」は、画面の紺と赤とのコントラストの中に捉えられた肉体の表現が、色彩的に面白く、決して名画の仲間には入らぬが、その出会いを喜ぶことはできた。
それに続いて次の6の部屋が、何とムンクの部屋になっていて、彼の作品四点が出されていた。雪の中の暗い木立と沖の海を描いた「冬の夜」は、既見の物だと思うが、二x一メートル位の白いドレスの中年の夫人と鼻下の髭が見事なスーツに身を整えた初老の紳士の、二点の肖像画は、その彩色の軽さが後期のムンクの健康な気概を現していて、過去のムンク展が懐かしく回想され魅力的だった。
その後、7の表現主義の部屋と、その代表的画家の一人ココシュカの8の部屋が続いたが、前の部屋では、キルヒナーの森を描いた風景画、バルラハの木彫の「難民」はさておき、ベックマンの三点、中でも「マックス・レーガーの肖像」と「女優たち」の二点の、ダイナミックで筆太な表現は眼を見張ったし、続く部屋では、珍しいことに、色使い筆遣いの荒々しい画家ココシュカの、五点もの作品に出会えた喜びが大きかった。とりわけ、その筆致の荒れぶり見事な「恋人と猫」の、まるで色々な紙くずの中に埋まってしまったような、男が女に迫っている絵には、思わず笑いが生じた。「モンタナの風景」という彼の風景画も私には新鮮だったが、この作品の製作年を見たら、一九四七年、第二次世界大戦の終わった後の作品と知れ、表現主義の活動が、第一次世界大戦の終わる頃までのはずだと思うと、その後のナチの暗い時代から解き放たれたココシュカの喜びが、これまで私に印象づけられていた彼のイメージから程遠い明るさとなって、この風景画に結晶しているようで嬉しくなる。
9の部屋は、マチス、ヴラマンク、ブラック、ピカソの作品七点によるフォーヴィズムとキュビズムの部屋だったが、それぞれの画家らしい作品と言う以上に目を見張るものはなく、私は通り抜けるようにこの部屋を後にした。
魅力は、その次ぎの10の部屋「パウル・クレー」のクレー作品四点に顕示され、中でも、四〇センチ程の小品「操り人形」と、一メートル大の「スーパーチェス」の二点は、前者の暗黒の中に円と四角を中心にしてメタモルフォーズされ描き上げられた二つの人体図、後者の碁盤の目型の幾何学的な明るく鮮やかな図柄と、その色使いに全く暈しのないクリアな着色との、「チェス」の盤面図に、クレーならではの知的感性を気持ち良く感じる事が出来、嬉しかったのである。
そして11の「アブストラクト・ペインティング(抽象絵)」の部屋になると、一メートルに二・三メートルはあろうカンディンスキーの「黒い色班」、それより一回り小さい、スイス画家ヨハネス・イッテンの「出会い」、一×一、三メートル程のレジエの「機械的要素」の三点が、抽象画の線と色との織り成す美しさを遺憾なく示していて、ここも快適だった。
次いでは、六点から成る、2の「マルク・シャガール」の部屋になったが、ここでは、初期の「ヴィテブスクの上で」、戦乱の悲惨を第二次世界大戦後描いた「戦争」の大作、カップルの二人がセーヌ河と大きな花束の上に描かれた「パリの上で」等六点があったが、それらはシャガール独特の明暗の夢空間へと誘ってくれ、特に「戦争」に再見出来た喜びは大きかった。
クレー、シャガールと続いて、3室目は「シュールリアリズム」の部屋になったが、私にとってはこれが最後の部屋になった。そこにはデ・キリコ、マックス・エルンスト、ミロ、タンギー、ダリ、マグリットといった画家の作品七点が並び、中では、かつて「エルンスト展」で見た、マックス・エルンストの傑作「都市の全景」に会えた喜びは大きく、また、初見のダリの小品「バラの頭の女」には、二人の女性の細長い姿態に、作者らしいエロティシズムが窺えて、初のお目見えだけに、この部屋を面白く括ってくれていた。
そして部屋の最後4室は、その部屋がジャコメッティの彫刻だけの部屋になっていて、その作品が、それまで見てきた喜ばしい美の世界の移ろいを、見事ぶち壊してくれたのである。ジャコメッティの余分なものを削り落とした針金のように細い彫像には、それまでの十三の部屋の作品群を包括でき:る豊かさは望めないからだ。
こうして、私には、スイスの画家ホドラーの作品と、結びを課せられたジャコメッティの作品を除けば、その作品群を構成した画家達の著名さと、見慣れた感じのするポピュラーな作品の近しさから、近現代美術における所蔵作品の見事な美術館として「チューリッヒ美術館」というスイスの美術館に対する動かしがたい親愛の評価を抱くことになった。
そして、その動かし難い感懐を抱いて会場から出てきたら、明るい出口のテーブルの上に、一面のページ一杯をアンリ・ルソーの「X氏の肖像」で飾った、本展主催の朝日新聞が作った「チューリッヒ美術館展記念号外」の新聞が、観客向けに積まれていた。早速一部を手に取ると、ルソーの絵の右手に、ただ一行、「全74点すべてが代表作」の大きな活字を読むことができた。異存なく私が得心したことは言うまでもない。
この展覧会は、近現代美術の歴史的な流れを、名だたる名作を通じて、改めてゆったりと学習し直すことができる自然な歩みを新しくれたのだ。これぞ、「観て歩き」の傑作と拍手するに充分な展覧会だったことになる。
私は、一階へ下り、中央フロアに設けられた、オープン・カフェで一服することにする。なんでもないコーヒー一杯の、体に齎す温もりが慕わしくなってくる。
(二〇一四、一一、一八)
注1
『セガンティーニ展』については、『緑』六〇九号(二〇一三年六月号)に発表した。