川柳 緑
637

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

感激!高山寺の寺宝
     妙なり!人間戯画の滑稽
            ー宝の山に分け入る半日ー

 国宝の鳥獣戯画の全巻の修復が無事終了したことを記念して、その全てを開巻展示するというのである。私には、そんな事が到来するなどとは予想だにしたことがない展覧会の快挙である。見過ごしてなるものか。

 その昔、「京都、栂尾高山寺」と流行歌にも唄われた高山寺を、人気のない道をかなり歩いて、「鳥獣戯画」を拝観しようと出掛けたことがあったが、結果、展示してあったのは、原寸大とはいえ複製でしかなく、それも画集で見慣れた著名な部分だけだったことに、随分気分が滅入ってしまって、寺内の濃い緑に目を遣りぼんやり佇んでいたことを覚えている。

 その「鳥獣戯画」が、肩書に『特別展覧会 修復完成記念』と付記した、『国宝鳥獣戯画と高山寺』と題した展覧会に出展されるというのだから、早速見に出掛けた。展覧会は、十月七日から京都七条の国立博物館で催され、私は、土日を避けて二十二日の水曜日に出掛けたのである。

 しかし、入場券売り場で、会場へ入館するまで五十五分待ちになることを知らされる。改めて私は臍を固め、四列並びの行列の末尾に加わり、遅々たる歩みの中に耐え、まさに五十五分後、漸く入館。直ぐロッカー室に行ってバッグを預け、身軽になって右手展示室へと身を運んだ。

 展覧会は、まず、目玉の「鳥獣戯画」以外の、「高山寺」に所蔵される寺宝の展示から始まった。その展示される寺宝の圧倒的な多数は、開祖明恵上人の直筆になるものを始めとする筆録文献・典籍の類だったが、それがどんな価値ある文献遺産であれ、その有難味を語る能力は私にはない。そういう中で、「高山寺の開創」と銘打った第一室で、別にその作品には美術本を介して親しみを覚えていた一幅の絵画、国宝「明恵上人像」を目の前にした時は嬉しかった。その作品は私の身を気分清冽に澄ませ、思わず来てよかったと口にしそうな、待ち時間のことなど忘失させてしまう着色画だった。

 この「明恵上人像」は、「樹上座禅像」と言われる、サイズ一五〇センチX六〇センチ程の作品で、高々と伸びた松樹の林中、手前の松の二股に別れた幹の上に、座禅を組んで瞑想する黒衣の上人の姿が描かれている。松樹の枝幹や地面の茶褐色と輪郭線の黒とによって醸される、林中の空気の戦ぎが聞こえる気がして、これぞ正しく国宝と推賞できる一幅だったのである。

 次の第二室に入ると、今度はいきなり、先の座禅像より二回りは大きい国宝の「仏眼仏母像」に出合った。むろんこれは初見の一幅だったが、仏像もそれが座す蓮台も、つまり絵の主体が白を基調として描かれていて、それが、諸仏の慈母という存在の豊かな静寂をよく現していた。頭と背の後の二つの光背は、白い輪郭の外側に赤く細い炎の連なりとなって描かれているが、それも主体の母性を語るに見事な効果を示している。画面上部両肩に、どうやら明恵上人の筆になる「南無母御前」の文字をどうにか読むことができたが、それは上人の、母親コンプレックスを正直に現しているようで、この像への愛着の心を私に齎した。この「仏母像」への愛着心が、重要文化財の二つの小さな遺品に私を引き込むことになる。

 一つは、「輪宝羯磨蒔絵舎利厨子」とあった、高さ四十センチ程の方形の、三方に扉が開く厨子と、その中に安置される、高さ二十センチ程の円筒形の、正面の扉が開く厨子とのセットで、その繊細精緻な厨子の造りと仏画とによって心が誘われた。外の厨子の二十センチ大の扉の内側の黒い漆面には四天王が色細やかに描かれ、正面奥の黒い壁面には釈迦三尊が描かれており、円筒の小厨子の扉の内側には赤地に五輪の塔が描かれ、十センチ程の筒の黒塗りの内部には、仏舎利を納める精巧な彫の塔が納められていた。これに合掌して祈れば、仏の世界へと誘われ行く情調は、いや増すこと請け合いに思われた。

 そして今一つは、もっと小さな、円盤型の、「中に納まるような大きさの「阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子」というものだった。この円盤厨子の蓋が二分して左右に開くように造られ、この扉を開いた姿で展示されていたが、開かれた扉の右の半円(半月)内には、仕切られた三角形の炎の中に、座した不動明王が描かれ、左扉の半月内には、三日月型の炎の中に、どうやら三面六臂の怒り舞う明王(注1)が描かれている。そして真ん中の満月部分には、蓮台に座した浮き彫りの弥勒菩薩像が見える。その菩薩像の背後には鏡が嵌められているので、この厨子は「鏡弥勒像」と呼ばれたと、説明が置かれているが、現代の我々にはガラスをそこに想定することは、とても無理なくすんだ満月になっている。そして、題字の「阿字螺鈿蒔絵」は、半月の蓋を閉じた時の表が、螺鈿作りの「阿」の字を貼り込めてあるところからきている、それが作品の横に掲示された写真から知ることができた(注2)。いずれにしろ、これを掌中に抱く時のことを思うと、その人のその時の幸せ振りが慕わしくなる。

 その後、「華厳宗祖師絵伝」の「元聴絵」の巻一と、同じ「華厳宗祖師絵伝」の「義湘絵」の巻二の、それぞれ一巻ずつだったが、国宝の、着色された伝記絵巻二巻に出合い、この寺には、「鳥獣戯画」以外にも、それと同量の国宝絵巻が所蔵されていたことに、寺の格式の高さ大きさと、己が無知の見事さを改めて痛感させられたものだ。(なお、元暁と義湘の二僧については、各々が椅子の上に座した肖像画の軸が、二幅並べて架けてあった。)

 しかし、私を感動させたものは、その絵巻ではなく、二点の、小ぶりな重要文化財の仏像だった。一体は、「白光神立像」と名付けられた、高さ四十センチ位の、「神」とはあるものの殆ど仏の姿に彫り上げられていた。それも「白光」とあるように、立像が土台・蓮台から全身に至るまで全て白色に塗られ、それが、一般に暗褐色に色を落とした仏像に馴染んできた私には、目を見張る新鮮な美観を齎す魅力的なものだったのである。その白色ののためか、金冠とその下の群青色の頭髪、眉と深く彫られた薄目の黒、唇の朱が、鮮やかに見える。首飾りから胸飾り、蓮台の一花弁ごとに下げられた金の露の滴、炎を纏った円環の金造りの光背も、光を失っているが、それが却ってこの白色の像に落ち着きを与えていた。

 ここでも、白色だった「仏眼仏母像」の影響が尾を引いている。

 もう一駆は、これも彩色と容貌の膨よかな美しさが秀でている、白神像より更に小ぶりな身の丈三十センチ程の「善妙神立像」だった。

 この小像は、その金蘭を偲ばせる髪飾り、結い上げられた豊かな黒髪、その膨よかな白顔からして、女性の神であることを伝えている。女神善妙(注3)は、岩の上 に、緑の桂(うちぎ)に浅葱色の襟と袖先のある緑色の被衣を着、その上に緑の肩掛けを纏って、金の木箱を捧げ持って立っている。首筋豊かな面差しは、眼やや吊り気味に厳しく朱唇鮮やかに何かを訴えたげに見えた。鮮やかに残る緑色の中、襟・袖・顔・首の白い色が、像の印象をけざやかにしている。その、小さいけれど強い印象が、この像の存在を確かなものにしていたのである。

 そして、この二体は、どちらも明恵上人と親交のあった湛慶だと見られていることが、展示ガラスの中の紹介記事に記されていて、改めてそれにも驚く。

 三つ目の部屋は、高山寺の写本や版本の典籍三十数点で占められており、それらは、三点の国宝と、残りは全て重要文化財といった壮観振りだったが、何せ、文字だけの世界で、殆どここも通過するだけに終わる。

 そして、いよいよ「鳥獣戯画」の部屋の前に出る。その四つ目の「鳥獣人物戯画―――楽しさあふれる絵巻―――」のタイトルの表示された部屋の中に足を踏み入れると、そこは、二人並びの長蛇の列でぎっしり一杯になっていたのである。どうやら、部屋の一番奥のコーナーに作品が展示されているらしく、そこへ辿り着くまで遅々たる歩みに耐えねばならなくなる。

 そして、待つこと二十分の余、漸く、ガラスケースの中に広げられた「鳥獣戯画」の前に、狭い通路ながら、背後から押されたりすることなく、ケースの右端から左へ、眼下の戯画の本物を、前の人に続きながら、ゆっくり見ることができる自分の番が到来した。

 展示は甲巻からしてあるのだが、その甲巻開巻の、水辺で戯れ遊ぶ兎と猿のヴィヴィッドな絵に始まって、的から距離を置いて、屯して弓射を楽しむ、兎の仲間と蛙のグループの絵、その集いの方に向かって、組になった兎と蛙が、大きな籠や壷を担ぎ下げて運び行く場面までを見て、この部屋の展示は終わり、次の五つ目の部屋に入ることになった。

 そこには、壁に沿った一列のケースに、乙巻の始めが開かれていた。つまり、甲巻の後半部はその展示を見る事なく終わったのだ。私の記憶にある蛙と兎が取っ組みそ合いをしている絵を見ることは適わなくなったようだ。戯画の全巻を拝見できると思っていたのは甘かったようだ。一巻の全部を開巻して延べることは、その十メートルを越す長さからして展示上無理ということでもあろうかと、展示室の長さを見て推察はするものの、残念の恨みを消すことはできなくなる。私はがっかりして乙巻の、やはり前半分を見ることになる。

 そこには、馬の群れから、牛の群れへと移行し、樹上に止まる三羽の職に至る絵で見終わることになるが、この乙巻の動物たちには、甲巻に見られる、戯画らしい戯れの動きが全くなく、画像として一般に知られないで来たことがよく分かる、つまらない絵巻だった。

 更に六つ目の部屋に入ると、今度は丙巻の前半部を見ることになるが、そこには、人間たちの戯画が登場した。「鳥獣戯画」ではなく、「鳥獣人物戯画」というのが正しい呼び方であることをこの巻は、見事証かしていた。

 人物は五、六人ずつのグループで、双六遊びや、耳の綱引き、首の綱引き等の遊びの勝負事が、大口開けて笑いこける姿態を交えた、多数の痴愚痴態の賑わいとなって、戯画の名に相応しく描き出されている。

 そして、最後の丁巻の前半部を、七つ目の部屋に見ることになるのだが、この巻の戯画も、人物たちによって作られており、そこでは、法会を営む僧侶や、騎射を楽しむ武士や、鼓笛の舞に狂い興じる男女が描かれていたが、中でも、その戯れ振りは、仏壇に向かって鼻孔を天上に開いて読経する和尚の姿に結晶しているように見えたのが、何とも妙だ。それは、巫山戯の頂点が、その和尚の拝する仏像を、跳びはねる蛙のように描いているところに極まっているように思われたからである。

 馴染みのなかった「人物戯画」をこうして見ると、これが、『北斎漫画』を遡ること四百年も前に描かれた事を、改めて重く痛感させることになる。

 これで「鳥獣人物戯画」の展観は終わったが、その後、この戯画集の断簡が一点展示されており、それは、甲巻の戯画世界に等しく、様々ないで立ちに身を装った蛙、狐、猿の五体が、祭礼の行列に身を替えて歩む者のように描かれていて、「鳥獣戯画」の始めに還り纏められたように感じられ、丁巻の和尚の祈りと合して、不満の残るこの絵巻展に締めを残してくれた。

 展示された戯画絵巻の後、第七室の後半には、どれもて重要文化財で木彫の、一対の神鹿、三対の狛犬、一躯の馬と一般の子犬が置かれていたが、私には、それらに注目する気力は最早残っておらず、早々に出口から外に出てしまうことになった。

 展覧会のタイトルは『国宝鳥獣戯画と高山寺』であったが、私にとってこの展覧会の御利益は、どうやら『高山寺』の方にあったことになる。割り切れない不思議な感じを抱いて、私は昼の食事を気分よく済ましたいと願うことになる。

 

(二〇一四、一一、五)



注1

後で「降三世明王」だと知る。五大明王の一で、前世・現世・来世の三世を三毒と捉え、これを法力をもって降し伏せる力を持つという。

注2

付記すれば、「阿」字は梵語の第一字で、万物の根源であり、その存在としての仏、大日如来を示す。つまり、「阿」字の厨子を掌中に持つことは仏との一体化を願う祈りを示し、造られた画面は、曼陀羅の世界を示していることになろう。

注3

この女神については、本展の図録に、「善妙は、華厳の学僧だった新羅僧義湘に想いを寄せた唐の女性で、義湘が唐から故国へ戻る船を守護するために海に身を投げ、龍と化した(「華厳宗祖師絵伝」義湘巻)。この伝説から華厳の守護神となった。両手捧げ持つのは義湘の持ち物を収めた箱。」とあったので、紹介しておく。

P /