川柳 緑
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えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

行かないでおくれ、少女のエロティシズムーバリテュス展を観るー

 四月に入ってから、やけにバルテュスのことが賑やかに喧伝されるようになった。企画運営の主催が、NHKと朝日新聞であること、とりわけ、NHKが、バルテュスの日本との関わりも深い生涯を、その生きた背景などを幅広く紹介撮映して作成したその映像を、テレビを通じて再三紹介したことが、大きな宣伝効果を齎したように思われる。

 それに、何よりも、今回の『バルテュス展』を、そのアトリエの展示まで企画し展示するようにした、バルテュス財団の名誉会長こそは、バルテュスの後半生を支えた日本人女性の妻、節子・クロソフスキー(注1)なのだが、その節子夫人が、バルテュスとの間に儲けた娘春美を伴って来日し、展覧会の開催される京都市美術館を訪れたりしたことが、テレビで紹介されたりもして、この展覧会への関心を相当に高めたに違いない。

 そんな喧伝振りには、些か眉を顰める思いを起こすが、それでもやはり、その展覧会を早速見に行くことには決めた。それは、他でもない、バルテュスの作品には今一度会いたいという思いを、予てより心に潜めていたからである。

 つまり、日本でのバルテュス展の開催は、私にはこれが二度目で、その一回目の印象が強烈だったからである。それは、今から三十年前の、一九八四(昭和五九)年の夏のことだった。その時の展覧会は『バルチュス展』だったが、会場は今回と同じ京都市美術館だった。

 三十年前のその時、一九〇八年生まれのバルテュスは七十六歳でまだ生存していたが、私は、往時のNHKの「日曜美術館」で、初めて紹介されたバルチュスという画家の作品に出合い、不思議な刺激を受け、是非会ってみたいと思ったのだ。しかし、だからといって、私には全く無名の画家だったバルチュスに対して、あまりな期待を持つことには些か不安があったのだが、幸いにも、その時、同じ京都市美術館で『ピサロ展』が催されており、その序でならばよかろうと、「バルチュス展』に足を運んだというのが、正直なところだった。

 しかし、バルチュスという絵描きの、出展数もそれほど多くない、小規模の展覧会のその時の作品が、まるで洗眼されたような新鮮さで、私にメルヘンチックでエロチックな強い印象を齎し、そのために、その時見た印象派の巨匠『ピサロ展』の印象が、殆ど何も残らないで終わってしまう事態を招来してしまったのである。

 そのメルヘンチックなエロティシズムは、作品に取り上げ 描かれた女性が全て少女で、その少女たちの取る意味ありげなポーズから、造成発信されていたものだった。そんなバルチュスという画家の、独特のエッチな情調表現に、私自身の性欲的本性が取り込まれてしまったことになると言えばよいか。

 しかも、その時会場に紹介されていた写真に、彼バルチュスが、映画『天井桟敷の人々』の名優ジャン・ルイ・バローと、『異邦人』『ペスト』の作家アルベール・カミュを相手に、手振り宜しく話しかけている一枚があって、この画家が、幅広い文化的交際を持つ画家だったらしいことを語っていた。

 そんな彼だからなのであろう、フランスの文化相だった作家アンドレ・マルローとも関わり、ローマのフランス・アカデミーの館長を勤めたり、パリで催された日本美術展の出展作品の選定を任されて来日し、日本とも深い関わりを持つに至った、社会的活動能力の高い国際的な画家だったことも知らされたものである。

 ともあれ、こうして、八月二十七日、私は京都へ行き二度目の『バルテュス展』を観た。

 京都市美術館の古い造りの入り口を入り、まず、出合ったのは、復元されたバルテュスのアトリエである。大きなガラス窓と板壁造りのそのアトリエは、使い古された椅子やテープルや画材の混雑が、床板の汚れと共に、一人の画家の居城としての佇まいを見事復元していて、ここに今老いたバルテュスが膝掛けをして座していたら、それが忽ち一つの絵に成る、そんなリアリティを持っていた。

 画家のアトリエと言えば、私には、小磯良平美術館の、住居跡に保存されている良平のアトリエを見たことがあるのだが、それは、埃の中に忘れ去られたような、良平の実在感のまるでない空しさで、それを思えば、今目前のバルテュスのアトリエは、これから展開される作品の、画家の息遣いを間近に感じさせる効果を充分持っていて、改めて本展に対する主宰者の思い入れと演出の妙を思う。

 こうして作品の展示は、画家の年齢・年代順に、つまり、極めて標準的な方法で行われて行くのだが、それは、主宰者の、構えない、観客一般の大衆的志向に阿った感じを伝え、それを私は好感を持って受容でき、画家の経緯を素直に辿り見たくなった。展示の冒頭は驚いたことに、一冊の本から始まった。それは、十歳のバルテュスが、少年と猫との関わりを黒インクで描いた四十点からなるドローイングに、詩人リルケが感動し、序文を書いてMITSOU(ミツ)』と題して出版したものだった。 ドローイング作品はコピーが並べられていたが、十一歳の少年の作とはとても思われない、リルケが驚いたのも合点がゆく、幼児性などとんとない詩的雰囲気を持った出来だった。

 この驚きの後の、二十代半ばまでの、彼の風景画を中心にした油彩画の群れは、その彩色も図柄も私にはつまらぬものだったが、そんな中で、十八歳の時に描かれた、アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の、ピエロ・デッラ・フランチェスカの有名な壁画、『聖十字架伝』を模写した油彩画三点は、そのどれもが、細部までの精細な模写にはなっておらぬが、作品の印象を狂いなく明確に再現することを目途としたような、紛れも無くフランチェスカの風趣を実感させる模写になっていて、それは、改めて模写とは何かということをこちらに問いかける効果を持っていた。 その後、「バルテュスの神秘」と名付けられた「Chapitre2」の部屋に移ると、そこには、バルテュス二十代後半から 四十歳に至るまでの風景画と人物画を主とした作品群が並んでいた。そして、その人物像を通じて、彼のエロティシズム を培う作品の形成過程が、伺えるようになった。

 まず「鏡の中のアリス」から始まる。それは、布を腰に纏って片足を椅子の上に架け、こちらを向いて髪を梳る仕草をして立つ裸婦だが、丁度腰布の奥に、陰部の割れ目が、その陰の色濃さによって、視線がそこに行きやすく、そこが作品の中心を成すように描かれている。乳房は大きく女の成熟を示しているが、陰毛の描かれない陰部は、この女性の、写実とは異なる造られたエロスの表現であることを伺わせる。アリスは、鏡に向かって梳る己が顔と、己が陰門を写し見ており、作品の意図がエロスの表現にあることを強調している、そんな作品なのだ。

 そして、今一枚、裸婦を描いた風俗画「キャシーの化粧」という絵が続く。その絵は、右端の鏡台の前で、ガウンを羽織った女性が、前を殆ど裸にして、髪を老いたメイドに梳らせて立ち、その左手には、身繕いの良い若者が、何か思案するかのごとき顔付きで、膝を組んで椅子に掛けている。女性の乳房は乳首を上に向け釣り鐘型に跳ねている成熟ぶりであり、それでも陰部に陰毛は全く描かれず、割れ目そのものを明確に現しており、足元はヒールの付いた黒い部屋履きを履いている。

 前回の展覧会に、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』の挿絵風ペン画があったが、それからすれば、この「キャシー」は『嵐が丘」の主人公キャサリンを指し、傍らの男性は、キャシーを愛するヒースクリフということになりそうだが、無論、原作に裸のキャシーの傍らにヒースクリフが同席する場面なぞはなかったはずだ。しかし、男女が同じ部屋の中に居ながら、まるで別々の空間にいるような無関係な佇まいで描かれている、この表現は、バルテュスの独自な人間観を物語っていそうである。そこにあるのは間違いなくバルテュス的な物語的光景なのだ。そしてそのことは、どうやら、出発点の猫のドローイングの時から暗示されていたのかも知れないと振り返られてくる。

 そして、この物語的でエロティックな創画の特徴が、「夢見るテレーズ」を始めとする五点程の少女像の後、一、五X二メートル位の、バルテュス三八歳頃に完成した「美しい日々」という大作にまで結晶して登場する。

 その「美しい日々」は、三十年前にも出ていたが、改めてその絵のバルテュス的面白さと完成度の高さを認識し直すことが出来た。画面中央には、一人の少女が、右胸をはだけて、左膝を立て右足を長く伸ばして、背もたれ豊かな長椅子の上に横たわるように掛けている。その右腕は床に垂らし、顔を擡げて、少女は、左手で胸元に持った手鏡の方に眼を遣っている。

 そうした少女の右手奥には、四角く造られた暖炉に赤々と薪が焚かれ、その画面右端に、上半身に何も纏わずこちらに背を向け炎の加減を見やる青年の姿が描かれている。青年は少女の下男のごとく黙々と火を焚き、少女は寝開いた己が股間にその火熱を呼び込み、鏡に映る自分に酔っている、そういう絵だ。

 画面左端のテーブルの上には、白い洗面器が描かれているのだが、ここにある様々な熱気を冷ます水を感覚出来、つまり、画家は、ここにそれほどの過熱したエロスの表情を見取っていることになる。

 そして、この少女像へのエロスの拘りが、三枚の、六〇センチから一、五メートル位の大きさの少女の裸体像として描かれ、更には、それまでの集約であるかのような「猫と裸婦」ーー一メートルもない作品だったがーーとなって登場した。

 三枚の始めは「猫と少女」と題し、ベッドの上に、首を立てて横臥する少女の裸像を正面から描いており、股を開いた陰部の無毛の割れ目が、まさに陰部というに相応しく、陰ってはいても、少女らしい初な乳房共々はっきり描かれ、猫は少女の膝の上から描く画家の方を見ていた。次の二点「部屋」と「ジョルジェットの化粧」は、どちらの少女も腰に括れのなずん胴の裸身を、顔共々正面に向けて立ち、その乳房は その重力を示すまでの丸みを帯びておらず、無毛な陰部の描き方は、無論それまでのものと等しい。

 そして「猫と裸婦」になるのだが、これは、白いタオルの掛かった椅子に素っ裸の女性が、のけぞるように体を伸ばして掛け、左腕の差し伸ばされた先のタンスの上に、その腕に目をやって猫が横たわっている。女の伸びた乳房の陰の浅さから、彼女のうら若さが想像でき、膝を畳んで椅子に踵をおく右足と床に伸ばした左足は、陰部の表現をこの絵から奪っているが、それが、見えない陰部への妄想を逆に煽る効果を持っている。その左足先にある金盥は、この少女の全裸が行 水後のものであることを語っているが、画面は、この少女の 裸体を対角線にして二分するように描かれており、その右サイドの窓辺に、こちらに背を向け、手を開いて立つ、スカートにセーター姿の女が描かれていて、その二人の位置は、先ほどの「美しい日々」の少女と青年の設定宜しく、そこに、この二人の疎遠なありようが語りかける、不思議な物語り性 が醸し出されていた。

 登場人物の、この無関係的な関係の持つ人間の親近性を描いた作品として、私には、前回の展覧会で観た一枚の町の風俗画が思い出されていたが(注2)、その絵に今回再会することはできなかった。

 次の「Chapitre3」では、パリを離れてブルゴーニュ地方の田舎シャシーに移住し、隠遁画家生活を送った、四十代半ばから五十代に掛けての、十点に満たない作品が並んだが、そこでは、四点の風景画と一点の静物画が、それまでにないざらざらした肌触りのマティエールによって描かれ、なかなかに魅力的だった。それは、描写対象の実在感を紛れもなく 増幅していたからだった。

 しかし、この成果を、「Chapitre 4」の、ローマ、スイス のロシニェールで過ごした三十余年に及ぶ後半生の作品で確かめることはできなかった。この晩年の作品は四点より出展されておらず、このコーナーでは、節子夫人をモデルに使ったこと歴然の「朱色の机と日本の女」と題した二メートル近い大作と、それより更に一回り大きい「読書するカティア」と題した作品だけが見る値打ちを持っていたのである。

 前者は、赤い羽と立屏風の間の身の上に、和服を殆ど脱ぎ捨てて腰紐のみを残した裸の日本女性が、右肘立てに俯せ、右足を畳み、左足を長く伸ばして、対角線的に画面を二分して伸びやかに描かれ、後者は、部屋の右半分に、少女が椅子に掛けて、たくしあげられたスカートの下は、恐らく裸のままの足を伸びやかに見せ、読書をしている場面が描かれ、部屋の左半分が、少女の挑発に応える空間としての息遣いをよく現していた。

 こうして、バルテュスの油彩画の展示は終わり、最後の部屋「Chapitre 5」に移るのだが、そこは最早素描群の展示があるのみだった。中で興味が持てたのは、大学生だった節子夫人と出会った当時に描かれた、鉛筆画の、彼女の肖像画や半裸身像だった。いずれも三,四〇センチのスケッチだが、多分幼女の如く見えたであろう節子に対する、バルテュスのいとおしみの眼差しがよく伺えて面白かった。

 それとここには、『嵐が丘』のペン描きの挿絵が十数点あったが、その中の一点は、着衣のキャサリンの髪を乳母が梳り、その傍らの椅子に掛けて、二人の方に眼を遣るヒースクリフが描かれていて、明らかに、始めの方で見た「キャシーの化粧」と同じ構図になっていた。そして明らかに先の油絵が、この挿絵から発したエロティックな世界の造成を意図したものであることを語っていた。

 ところで、こうして見てくると、今度のバルテュスの展覧会で、彼の作品の数にこそ多数接することができ、そのなかなかの描き振りの風景画と、節子夫人をモデルにした作品とに出合えた喜びはあったものの、バルテュスに対する新たな発見は何もなく終わったことになり、それが、一寸、寂しい思いを私に落とした。

 私は、最後の部分で、今一つ見栄えのある少女の作品でも置いて、締め括りの演出をしてほしいと思った。あるいは、バルテュスのエロティシズムへのこの心残りを観客に残すことこそが、主催者の企図だったのかと私は迷路に嵌まり、唇を噛んで出口を出ることになった。

 すると、改めて、バルテュスのために忘れ去られたピサロの事が思い出される。

 ピサロの企画展が、その後今日に至るまで、あったかどうかも知らずに来てしまっているが、もう一度ピサロの作品展を観る機会が訪れるなら、私は、今度こそ、ピサロの、田園風景画に近代を流したその穏やかな優しさに、心を預けたいと思う。

 この年になって、その幸せの到来を待つなどは厚かましいのだろうとも思いつつ...。

(二〇一四、九、五)

 

 

 

 注1 この「節子・クロソフスキー」の氏名から、バルテトュスは、「バルタザール・クロソフスキー」を縮めた呼び名(通称)だったことが理解できた。

 注2 後で確かめたのだが、それは二×三メートルはあった大作で、バルテュス四十歳過ぎに描かれた「コメルス・サンタンドレ小路」と題された作品だった。T字型の日差しのない町角の辺りを歩く人物と大、歩道の上で遊ぶ子供や母親、腰を下ろす老爺、路上に立つ少女らが、それぞれ関わり無く居る、不思議な空気感を持った絵である。

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