川柳 緑
511

えぼけまなこびじゅつてんみてあるき

画惚美術展回遊記

マグダラのマリアの乳首

 プラド美術館展を、会期も終わりに近づいた五月九日、上野の国立西洋美術館へ見に出掛けた。ゴヤの著名な「巨人」に、初めてお目にかかれる喜びの期待があったのだが、例によって、展覧会の面白さは、構えた期待通りにはいかないところにあって、ゴヤも「巨人」より、「自画像」や「ポルドーのミルク売り娘」の方が、遥かに見る私の気持を引き付けたのである。とりわけ、画集で見知っているミルク売り娘は、見知っているの出来栄えを遥かに越えて、美しく輝いて見えた。それまでそれほど美しいとは思っていなかったその田舎娘は、今目の前できらきらと美しく光っているではないか。その輝きは、後で買い求めた図録からは跡形もないほどに失せてしまっていて、実物というものの力を、私は改めて痛感させられたものである。所詮画集は画集であって、僕らは、画集のお蔭で絵を知りはするものの、画集のお蔭で、絵を誤解しているというのが、実態の大方なのかも知れないと、いささか暗鬱になる。

 ところで、このミルク売り娘の絵は、ゴヤの自画像の次に掛けてあって、その七十歳のゴヤの表情には、こか屈託したものが伺われ、そこにこの自画像の値打ちがあると思われるのだが、その屈託したものがあったればこそ、八十にも達して、もう己の死も見えていたであろうゴヤの眼に、この田舎娘の若く質朴な美しさは、眩しいたまらない魅力であったろうと、私は自画像のゴヤにこれまでにない親しさを感ながら、一人で悦に入ったのである。

 しかし、今度のプラド美術館展で、私が一番引き付けられたのはゴヤでもグレコでもなく、全く前評判にもなっていなかった、だから、事前に、その絵が来ていることすら知らなかった、一枚の婦人像に対してである。それはイタリア、ヴェネツィア派の画家ティントレットの描いた、「胸をはだける婦人(La dama que descubre el seno)」と題した、 六一×五五センチの一点である。描かれている女性の上半身像は、確かに「婦人」というに相応しく、「娘」という言葉が嵌まらない年格好である。歳は三十を過ぎていよう。金色の髪を結い上げた整った顔は真横に右を向き、露になった胸の、右の乳房は正面を、左の乳房は斜め横を向いて、両の腕が、この双の乳房の姿を美しく際立たせるかのように、胸元の衣をはだけて見せている。胸は決して、ルーベンスやルノワールの女性たちのように豊満ではなく、寧ろ青い血管が透けて見えるような白い肌の形のよい乳房である。太陽を思わせる乳房ではなく月を偲ばせる乳房である。

 えてして、絵画では、意外な付き方をした乳房の形や大きさに気持ちを殺がれることがあるーー現に、この絵の前にティツィアーノの「スペインに救済される宗教」という絵があったが、そこに描かれている裸女の乳房はその付く位置が首の下になっていて、とても不自然であるーーのだが、この胸にはそういう不自然さがなく、この絵がティントレットのモデルに対する的確な写生によっていることを伺わせる。

 絵の前に立って、私の眼は、絵の全体を受け入れながら、しかも二つの乳房、それも二つの乳首に、まるでそこに焦点があるかのように吸い寄せられてしまっていた。吸い寄せられるのは、乳房、とりわけ乳首が、仄かなピンクに彩色された息づくような色合いにある。品の良い乳暈に、子供を生したことのない形の良い小さめの、真に楚々とした乳首のピンクは、思わず、指を触れるか唇を寄せるかしたくなる風情なのである。大袈裟に言えば、私はその時、月の肌ざわりを感じ、静かな血の流れを聞いていた。描かれた婦人の横顔の方は、全く視野から消えて、唯彼女の胸の息づかいだけが、その息づかいにつれて息づく、胸元を二重に巻いて飾る真珠のネックレスと共に、目の前に美しく見えているという有様だった。

 私は、自分がこれを二十かそこらの折に見たら、恐らくこんなゆとりのある見方をしていられなかったろうと思い、七十の今を喜んでいいのかどうか、思案の首を傾けざるをえなかったが、ティントレットが、この息づく乳首をこそ描いて見せたかったことだけは、疑いようのないことと確信できた。そうして私は、なぜか、一寸仄暗い幸福感に浸っていたのである。

 ところで、図録の解説は、この女性のモデルを、ヴェネツィアの著名な高級娼婦ヴェロニカ・フランコーー彼女の生没年は一五四六年~九一年だと言い、それなら彼女の三〇歳の年、一五一八年生まれのティントレットは五八歳だったことになるーーだという。彼女が才色兼備だったことは、この絵によって充分伺われるが、詩文の著述も残しているほどの知性・感性ともに豊かな女性だったようで、フランス王アンリ三世をはじめとする貴顕が顧客として名を連ねていたという妍艶ぶりであったらしい。彼女のティン トレットに宛てた手紙も残っていて、ティントレットとは、親しい間柄だったという。

 見る私にとって、写されたこの乳首は、私を靜かに憩わせ癒す優しさを持っていたことになるが、そういう力を賦与されたものこそが、ここに描かれたような、生きたマリアにも当たる高級娼婦というものの有り難さーー私はこの語を皮肉で言うのではないーーなのであろう。

 私は不思議な幸せを感じながら、その日、美術館をあとにしたのだったが、帰宅して数日後、もう一つの幸福な衝撃に出会うこととなった。NHKのハイビジョン放送が、ルーヴル美術館の所蔵彫刻を紹介して、マグダラのマリア像を映しているのに出会ったのである。

 放送されていた木彫彩色のマグダラのマリアは、あり余るほど豊かに波打つ金の髪を腰の辺りまで垂らした裸身の立像であった。白い頬に紅のさした顔がクローズアップされると、靨の蔭が見え、小首を傾げた可愛い幼顔に見えた。私の知っている裸のマグダラのマリア像といえば、それこそ過剰なほどの丈なす髪によって裸身を覆うようにし、遥かな上空に限を馳せる、ティツィアーノの有名な半身像で、これにはフィレンツェのピッティ宮でお目にかかりもしたが、そのマリアは、その豊かな髪をもってしても覆い切れない豊満さを、太い腕と大きな乳房によって示している。それに比べれば、ルーヴルのマリアは、その可憐な顔立ちに相応しく娘らしい裸をしていた。そしてその乳房の先端のなんと愛らしい乳首であることか。乳暈は描かれず乳首だけが作られているのだ。カメラはその胸を見続けることを恥じるか、たちまちにそれから退ってしまって、私の法悦は一瞬のうちに封じ込められてしまった。

 目を逸らしたカメラは、像の肩や背中を写して、そこに羽が付けられていたことを語り、この像が、天使に運ばれて昇天するマグダラのマリア像であることを伝えた。一体、このマグダラのマリアという女性は、キリストの死後、兄弟のラザロやマルタと共に迫害を受けて船で逃れ、マルセイユに漂着した後、プロヴァンス地方で三十年の長きに渡って修行伝導生活を続けたと言われ、彼女は祈りの最中、飛来する天使に運ばれて天上に昇り、天上で歓喜の一時を持つことを許されたという伝説があって、つまり、昇天像はそれに基づいて作られているわけだ。

 無論マグダラのマリアは、ルカ伝中に、イエスをして、「此の女は涙にて我が足を濡らし、頭髪にて拭へり。比の女は我が入りし時より、我が足に接吻して止まず。比の女は我が足に香油を塗れり。比の女の多くの罪は赦されたり。その愛すること大なればなり」と言わせ、それによって、その身から七つの悪霊を追い払って貰ったとされる女性として知られ、それゆえに、元々は娼婦だったと一般に考えられてきている女性である。

 それが、まるで乙女のような体つきに彫られ、美しく彩色されている。それは、娼婦だった女性の果てに、という ことは、娼婦という存在の奥に、人間の見込んできたもの が、聖なる女としてのイメージであったことを物語ってい るということであろう。

 だとすれば、先の日に観た、ティントレットの描いた高級娼婦ヴェロニカ・フランコの乳首も、マグダラのマリアの聖なる乳首に通じていると見てよいのではないかと思われてくる。このマグダラのマリア像に母性的豊饒の徴を見取ることが出来ないのと等しく、ヴェロニカ・フランコの胸にもそれを読むことは適わない。性的に言って、男の情欲を駆り立てる挑発の乳首ではなく、男の性欲を優しく宥め癒してくれる乳首なのである。そしてそのように見るのは、七十にもなった男ゆえに成り立つ功徳というものかも知れないと思ってもみるが、しかし、肉欲の対象としての娼婦の奥に、人間が、男の罪滅ぼしの懺悔の意味とは別に、女性の性そのものに聖なる働きを見てきたことはおそらく確かなことで、そしてそうならそれは、私の年齢とは最早関係のないことである。

 改めて、ヴェロニカ・フランコの乳首が懐かしく慕わしくなるとともに、そういえば、椿姫の乳首もこのように美しかったのだろうかと、デュマ・フィスの思惑が開いてみたくもなってくる。

(二〇〇二、七、四)

 

P /